二人の日常
この病院に入院して早1年が経った。毎日同じ部屋で生活するうちに、1つ気づいたことがある。
普段は開けっ放しにされている病室の扉が、月に数回の頻度で閉められることがある。それは私が割り当てられている部屋だけではなく、全室に当てはまるようだった。
静寂に支配される数分間、私は白い天井を眺めながら視界の端にある扉が開かれるのを待っている。この時間はなぜか気分が晴れず、普段から少ない口数はますます減ってしまうのだった。
「少し開けてもいいかな? ちょっと見るだけなら怒られないかな?」
扉の前に立った少女が、そわそわと私の顔色をうかがっている。
彼女は奏。同じ病室を割り当てられている、私の数少ない友人だ。
「駄目ですよ。看護師さんに言われたでしょう」
私は目だけを動かして、奏の横顔を見る。奏は落ち着かない様子で、生成り色の扉を見つめている。ドアハンドルに手をかけたい衝動を、必死に抑え込んでいるようだ。
「聖ちゃんは気にならないの? 今、ドアの向こうで何が起こってるのか!」
「そりゃあ気になりますけど、言いつけを守らないと叱られますよ。おとなしくしていましょう」
奏は不満そうに頬を膨らませた。あからさまに拗ねている。そんな様を見ていると、彼女が私より2つも年上だということをうっかり忘れてしまいそうになる。
私は冷蔵庫の中から個包装のチョコレートを取り出し、奏に差し出した。
「食べますか?」
「うん! いただきます!」
甘いものに目がない奏は、お菓子で簡単に釣ることができる。幸せそうにチョコレートを頬張る彼女は、もう扉に見向きもしなくなっていた。
「奏ちゃん、聖ちゃん」
しばらくして、カラカラと音を立てて扉が開き、看護師さんが顔を出した。
「お待たせ、もう外に出てもいいよ」
看護師さんが告げたその言葉で、張り詰めていた空気が緩んだように感じる。廊下には何の異変もなく、どこからか子供の笑い声が聞こえていた。
「ねぇねぇ看護師さん!」
「ん? 奏ちゃん、どうしたの?」
はつらつとした奏の声に、看護師さんはにこやかに答える。
「なんでドアを閉めたの? なんで開けちゃいけなかったの?」
奏は可愛らしく首を傾げる。
看護師さんは穏やかな笑みを浮かべた。
「……廊下の掃除をしていただけだよ。病室に埃が入っちゃ嫌でしょ? だから、扉を閉めることになってるの」
そんな説明を聞き、腑に落ちた奏はポンと手を打った。
「そうなんだ! じゃあ、今度から私たちもお手伝いするよ! ね、聖ちゃん!」
「え? あ、えっと……」
私は口ごもった。奏の提案を聞いた看護師さんが、ばつが悪そうな顔をするのが見えてしまったから。
「……私は嫌です」
「えぇっ!?」
奏は大げさに驚いた。
「どうして? 看護師さんにはいつもお世話になってるんだから、協力したっていいじゃん!」
「私たちのような患者が、病院の掃除なんてできませんよ。万が一、設備や備品を壊してしまったらどうするんですか」
「うっ……そ、それは……」
自分がドジを踏みやすい性格だと自覚しているのだろう、奏は言葉に詰まった。
「そうですよね、看護師さん」
私は看護師さんを見上げる。その顔が微笑むのを見て、私の発言が無事に、助け船の役割を全うしたのだとわかった。
「聖ちゃんの言う通り。2人は病気を治すことだけに専念してくれればいいからね。……でも、奏ちゃんの気持ちは嬉しかったよ。ありがとね」
看護師さんにそう言われて、奏は満更でもなさそうに笑った。
「さてと、そろそろ仕事に戻らないと。奏ちゃん、聖ちゃん、またね」
看護師さんは小さく手を振って、病室を後にした。