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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

本学坊宗念大和国於阿舎記是弐(ほんがくぼうそうねんやまとのくにあずまやにおいてこれをしるす に)

作者: 小城

 学念はしばらく、おはつの小屋にいることにした。おはつは、たまに外に出掛けるが、それ以外は小屋の中で細工仕事をしていた。

「それはなんだ。」

一度、学念が聞いたことがあるという。

「馬の皮。」

おはつはそう答えた。昼間、河原の男たちはどこかへ出掛けていない。女の者たちも、それぞれ小屋の中にいるのだろう。それも決して人数は多くはなかった。おはつの小屋に住んで数日も経ったこの頃には、学念の恐怖もよほど和らいでいた。学念はたまに、細工物の手伝いをしたり、おはつの代わりに小さな畑の世話をしに行ったりした。そして、やがて、おはつと小屋の中で二人でいる時間がこの上なく大事なものに思えていたと学念はいう。

「それはなんだ。」

あるとき、もう一度、学念はおはつに聞いたことがある。

「仏様。」

おはつの手には三寸ほどの木像が置かれていた。

「仏を頼んでいるのか。」

「大事な物なので。」

今まで、学念が生きてきた中で、仏というものは身近にあったが、それを頼りとすることはなかった。起居していた荒れ寺にも、仏像は鎮座していたが、誰も崇める者などなく、朽ち果てるままになっていた。その仏像をおはつに持って来ようかと思ったが、そんな物がこの小屋にあれば、おはつが疑われることになり、良い思いをしないのではないかと諦めたという。学念はそろそろ、元の荒れ寺へ戻ろうかと思い初めていた。

 ある日、学念が山から戻って来ると、おはつの小屋の中から声が聞こえていた。

「(人が来ているのか。)」

そう思い小屋の中へ入るのを止めた。学念は小屋の横で、山から積んできた薪を鉈で割ることにした。小屋の中からはときおり、おはつの笑い声が聞こえた。学念といるときのおはつは、にこと微笑むことはあったが、今、聞こえるように声を弾ませて笑うことはなかった。

「(なんぞ、女の衆でも来ているのか。)」

学念は薪を割り続けた。しばらくして、もう割る薪もなくなった頃、おはつの話し声が消えた。客人が帰るのだろう。やがて、小屋の中から客人が出て来たが、その姿を見て学念は驚いた。それは男だった。学念は客人はてっきり女の衆だと思っていたので、男が出て来たときの驚きがひとつ。出て来た男が、おはつに助けられたとき、学念が小屋から顔を出して目があった男であった驚きがふたつ。そして、その男を相手におはつが学念の聞いたこともないような笑い声をあげていた驚きがみっつだったと学念は言った。男は学念を見ると恐い顔をして、自分の小屋に戻って行った。

小屋からはおはつが顔を出していた。

「戻っていたのかい。」

おはつは、にこと微笑んでいた。男が何者なのか、おはつとどういう関係なのかは、学念は聞かなかった。そもそも、余所者の学念がそのようなことを聞くいわれはないだろうと思った。しかし、おはつと男がどのような関係かは、おはつの笑い声と学念を見たときの男の恐い顔を見ればおのずと分かった。

「(俺がおはつに助けられたときも、あの男はおはつの小屋を見張っていたのだろう。)」

学念はもとの荒れ寺へ戻ることに決めた。明朝、おはつに断って小屋を出た。前々からこのあたりのことはおはつに聞いていた。学念の勘では荒れ寺からそれほど遠くはない。足を急げば夜半には帰れるだろうと思っていた。学念は小屋から逃げるように駆けた。荒れ寺は予想より近く、昼頃には見知った土地へ来た。夕刻に荒れ寺に着いた。荒れ寺には仲間たちが寝ていた。学念を見ると、仲間たちは驚き、喜んで迎えてくれた。皆、学念は死んだ者と思っていた。

 その後、しばらくして、再び学念は戦働きに出掛けた。その頃は相模の方での小競り合いが多く、それに駆り出されては戦場で野宿する日が続いたという。荒れ寺へ帰る日も少なかった。学念はひと月ほどの野陣を終えて荒れ寺に帰ってきたが、仲間の一人は帰ってこなかった。戦場で死んだのか逃走したのかは分からない。もうその者の名前を学念は覚えていないと言った。荒れ寺で起居していても、おはつのことを想った。また、おはつの小屋に行きたいと思ったが、行く理由もない。学念はあの男の顔を思い出していた。おはつとあの男の仲は学念の中で明らかであった。ときおり学念は、おはつがあの男に抱かれている姿を思い浮かべそうになり、急いでそれをかき消した。夜空には月がきれいに出ていた。

 次の日、学念の足はおはつの小屋があるあの河原へと向かっていた。夕刻、学念は河原へ着いた。小屋の方を見ると、ちょうどおはつが小屋の外にいた。学念は急いで寄って行った。

「すまぬ。」

「ああ、あんたかい。」

学念が声を掛けると、学念の思いに反して、おはつは何気ない返事を返した。学念はそれに安心したという。

「この前の礼だ。」

学念は相模での戦働きでもらった干し飯や芋蔓をおはつに渡した。

「そんなものはよかったのに。」

おはつは、学念を小屋の中へ招いた。学念はあの男の小屋の方を見たが男は小屋の中にいるのだろう。学念が来たことには気づいていないようであった。さっそくおはつは、干し飯と芋蔓を煮てくれた。その間も学念は今にもあの男が小屋の中へ入ってくることを恐れていた。芋汁が煮えると学念は急いでそれを食った。食い終わるとしばし、おはつとふたりだけの時間を過ごした。おはつはあの頃と何も変わらず、芋汁を啜っている。

「また来る。」

「まだいなよ。」

「いや。また来るからな。」

そうして学念は夜の内にもとの荒れ寺へ戻って行った。


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