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第三章  崩壊の兆し (1)

第三章


(1)


 正装し、化粧を施されたダナ=V=ワオフは、絶世の美女であった。

 老いた侍女は、渋面だ。緑と青、そして白を基調としたスリノアの正装に、褐色の肌は合わない、と。しかし若い侍女たちは、おののきながらも、その美にひれ伏すように感嘆し、遠巻きに見つめる。

 式の時刻は間近である。支度を大方終えたベノル=ライトは、いったん、花嫁の控え室を訪ねたのだった。異様な緊張に満ちていた部屋であったが、正装した貴公子の登場により、黄色く色めき立つ。いつもならば侍女たちに微笑を振りまくところだが、ベノルはドアノブに手をかけたまま、開け放した扉の横で眉を寄せ、立ち止まったままだ。

 幸福と笑顔に包まれているはずの花嫁は、全てのものを拒む障壁を張り巡らせているかのように、孤独に部屋の中央に佇んでいた。来訪者の気配にも、激変した部屋の雰囲気にも、全く反応する素振りを見せない。何かに耐えるように、固い表情で一点を凝視している。視線の先に、特に意味はないに違いなかった。

 氷のように冷たい美。ベノルは目に焼き付けると、そのまま扉を引いた。花嫁に声をかけることなく出て行こうとする彼を、侍女たちが訝る気配が、扉を閉め切る前の隙間から漏れてきた。

 ベノルはそのまま、ワオフ兵たちがいるはずの客人の控え室を訪ねようと考えたが、残りの支度を考えると時間に余裕がなかった。彼は諦め、自分の控え室へと足を向けた。式が終われば、彼らは客人としての資格を失い、ワオフへ送還される手はずになっている。あの地下牢での求婚から、五日。ベノルは急な婚儀の準備で忙殺されており、彼らとの交流に時間をとることができずにいた。

 彼らは彼らで、この五日間、足しげく王女の部屋へ通いつめていたようだった。別れを惜しんでいたのか、または……。

 たとえわずかな時間でも、彼らから王女についての話を聞きたかった。疲れていようとも自らに鞭を打ち、睡眠時間をあと少し削れば実現できたことだった。ベノルは後悔を胸に、控え室のそばまで戻った。

 「あっ」

 廊下の角を曲がったところで、こちらへ歩いてきていた一人のワオフ兵が声を上げた。ベノルの姿を見とめると、安堵したような、しかしそれを見せまいとするかのような、複雑な表情を浮かべた。

 

 使用人たちを出て行かせ、ベノルは彼に椅子を勧めた。

 素直に腰掛けると、ワオフ兵は正装したベノルを品定めするかのように眺めた。ベノルはしばらく、真っ向からそれを受けた後、支度の最後の詰めを行いながら話をすることへ断りを入れた。ワオフ兵の男は、「お構いなく」と鼻白んだようにぽつりと言った。

 訪ねてきたからには、何か問いかけがあるのだろう。ベノルは相手が切り出すのを待つことにした。誓いの場で使用する聖なる短刀を、蝋燭の火で熱する。これは、感染症を防ぐための先人からの知恵であった。熱したあとは、自然に冷めるのを待たねばならない。その間、刃には何人たりとも触れてはならず、それを監視するのは夫となる男の役目である。これら全ての過程を、式の直前、半時以内にせよという固い教えであった。ベノルは、大陸中の様々な知識から、感染が恐らく目に見えぬ生物によって為され、その生物はさすがに熱にあぶられては死に絶えるから感染を防げるのであろうという自論をもっている。それを医学会に提示するには、あまりに根拠の薄い直感的な論考であり、そういった時間も労力も持てぬままであるので、遠慮しているのだが。

 火であぶられる刃をじっと黙って見つめてから、ワオフ兵の男はようやく重い口を開いた。

 「他の奴らは」

 この場にいない彼以外の四人のワオフ兵のことを指しているのだろう、とベノルはすぐに察した。

 「ちょっと、難しいんだ。あんたのことは、みんな、悔しいながら認めてるんだけど。それをすぐに言えるほど、みんな軽くない。そんなのは、俺だけ、ってことで」

 苦笑いで、取り繕う。陽気なワオフ兵へ、ベノルは刃をあぶり続けたまま、微笑んでみせた。すると、ワオフ兵はまた、鼻白んだようなふてくされたような、複雑な表情をするのだった。大きくため息をつき、彼は観念したように告げた。

 「……俺は、あんたが敵なのに、なぜか憎めない。不思議だな。スリノア軍の士気の高さも、納得だよ」

 彼は哀しげにうつむく。

 「俺たちは今日限りで、姫さんを置いて帰らなければならない。ずっと守ってきた、妹みたいな姫さんなんだ。だから」

 意を決したように、男はベノルを真っ直ぐに見据え、続けた。

 「あんたに、頼みがある」

 ちょうど、刃を火から出してもいい頃だった。スマートに刃を台座へ置き、体ごとワオフ兵へ向き直ってから、ベノルは真摯に問うた。

 「何でしょう」

 ワオフ兵は、しばしの間、苦悶の表情で目を閉じていた。その後に彼が語ったことから察するに、彼は王女の悲運、そして、それに寄り添ってきた己の半生を振り返っていたのだろうとベノルは推した。

 「姫さんは」

 ようやく、ワオフ兵は口を開いた。

 「人より少し武芸ができただけで、ずっと英雄視されて、祭り上げられてきた。ずっと、気を張って。本当は、もろいくせに、甘えたかったろうに、周りが許さなかった。運命に翻弄されっぱなしで、過酷な戦場で血にまみれて。そんなことを自ら望む女が、どこにいると思う?」

 しばしの沈黙は、痛切であった。

 「それでも、姫さんは必死に戦ってきた。誰にも甘えず、そりゃあ必死に」

 ワオフ兵は、王女が辿ってきた悲運について、知る限りのことをまくしたてた。

 十年以上も前に、一番心を通い合わせていた彼女の恋人のような男が、姿を消してしまったこと。彼女の母が、王子に傾倒しており、王女に見向きもしなかったこと。彼女の父は国政に忙しく、まともな会話を交わすこともなく殺害されてしまったこと。彼女自ら、死地であるこの戦へ名乗りを上げたこと。

 「頑張ってたんだよ。姫さんは、弱音も吐かず、頑張ってたんだ。見てるこっちが苦しくなるくらいにさ。けど、こんなにいろんなことが重なって、必死に守ってきたものが、全部、崩れちまったんだろうな。あの時、壊れた」

 ベノルの胸に、痛みが走る。目をそらすと、男は頭を振った。

 「あんたのせいじゃない。元々、危うかったんだ。何かのきっかけで、崩れちまうような気はしてた。もう、姫さんは、憎んで復讐することにしか意識がない。そんなのは、自分を不幸にするだけなのに」

 ベノルは、目を閉じた。

 復讐は、自身を滅ぼす。復讐は、何も生まない。そう冷静に言えるのは、幸せなことであると思う。

 「俺たちは、少なくとも俺は、姫さんの不幸を全部身代わりになってでも、姫さんには幸せになってほしいと思ってる。けど、俺たちの声は、もう、届かない」

 絶望が、彼の声を奪った。

 この五日間、褐色の男たちがダナの部屋へ通っていたことは、城内の誰もが知っている。そして、出てくる彼らの表情が、一様に暗かったことも。

 「だから」

 搾り出すような声は、ワオフ兵の苦悩のほどを物語っていた。

 「スリノアの英雄さん。俺たちの姫を、助けてくれ。あんたみたいな男に見初められて、幸せになれないわけがない。お願いします、お願いします」

 それぞれの手で両膝を強く握り、深く頭を垂れるワオフ兵。 

 ベノルは、男に歩み寄り、その肩に手を置いた。

 「私の持てる力を尽くして、あなたがたの姫を救ってみせましょう」

 ベノルの誓いを受け、ワオフ兵の顔に希望が差した。

 彼が部屋を出て行った直後、決意と包容に満ちていた英雄の瞳に、不安と恐れの色が浮かんだ。

 何がこんなにも己をかき乱すのか、その正体は依然つかめぬままであった。


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