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第一章  霧向こうの虚無 (3)

(3)


 ワオフへ和平の意を伝える任を負った使者の首が、送り返されてきた。

 「うまくいかぬものだな」

 緊急にひらかれた議会において、王は苦悩の息を吐いた。こうまであからさまに拒絶の意を示されると、十日前の己を呪いたくなる。

 「陛下、まだ自治権などとおっしゃるおつもりですか」

 「このような屈辱を受けたままでは、スリノアの権威が丸潰れですぞ」

 憤る議員たちに対し、王は面倒そうに「数日のうちに軍を向かわせる」と会議をしめくくった。

 その夜、少年は、ベノルのデスクの上に、どっかりとあぐらをかいていた。

 「陛下、お行儀が」

 「ヘイカと呼ぶな」

 「ジャスティス様、お行儀が為っておりません。それに、これでは仕事ができません」

 「命令だ、今は仕事をするな。私の相手をしろ」

 気難しい顔で腕を組み、横柄に言ってのける。

 ベノルは、デスクチェアの背もたれに身を預け、苦笑した。

 「御意のままに」

 「なぜだか分からぬ」

 いよいよ口を尖らせ、少年はワオフの苛烈な反応へ、率直な感想を述べた。

 「犠牲なく自治権を取り戻せるというのに、なぜ拒む。現ワオフ王は切れ者と称されていたはずだが、やはり噂は噂に過ぎぬのか」

 「そのあたりは量りかねますが、たとえ王一人が和平を喜んだところで、周囲を納得させられねば、やむを得ないことでしょう。長年の因縁もさることならば、ワオフは勇猛果敢な民族です。プライドと、権威を気にしてのことかと思われます」

 「権威か。あの議員たちが口やかましく繰り返す言葉だな、聞き飽きた」

 「陛下、御慎みください」

 「やかましいものをやかましいと言って、何が悪い」

 「悪くはありません。言葉遣いが問題だと申しているのです」

 少年王は、年相応のふくれ面をした。

 「権威がなんだというのだ。なぜそのようなものに執着する」

 「周囲への見せ方というのも、軽視してはなりません。スリノアが強国であると周辺国に知らしめることができれば、攻め込むにも二の足を踏むことでしょう。いらぬ争いを避ける手段のひとつにございます」

 「あの議員たちが、そのような智のもとに発言しているものか。国家を傘にして威張り散らしたいだけであろう。他に大切にすべきものを知らぬ、哀れな連中だ」

 「陛下、お言葉が」

 「今日くらい許せ!」

 喚いた直後、少年は、はっとしてベノルの沈黙を恐れた。

 言っても仕方のないことを吐き出したがる気持ちは、誰もが持つものだ。しかし、この少年は幼い頃からそれが人よりも強いように、ベノルは感じている。スリノア奪還軍に所属していた多くの戦士達は、少年の愚痴やわめきをよく聞き、うまく笑い飛ばしていたものだが、晴れて王宮へ戻った今、同じように王が甘えたままでは示しがつかない。ベノルはそれを少年に伝え、たまに甘えが過ぎるときには、黙ってじっと見つめることで悟らせるようにしていた。賢い少年は、しばらく甘えの限度をさぐるようにしていたものだが、最近ではそれもなくなり、節度を見極めたようであったのだが。

 「陛下」

 英雄は目だけで優しく笑み、幼い君主をいさめた。

 「一国の長であるあなたが、このようなことで心を乱されては、困ります」

 「わかっている」

 少年はくるりとベノルに背を向け、デスクの端から足をぶら下げた。

 「『このようなこと』でしかないのは、よくわかっている」

 「陛下」

 「ヘイカと呼ぶな」

 「ジャスティス様、いい加減に机から降りていただけませんか」

 「イヤだ」

 言いながら、ぴょんと飛び降りる。

 こうした瞬間の背中は、街の少年たちと全く変わらない。まだまだ線の細い、背負うものの重量が限られた背中である。今の彼には過剰な荷を引き受けることこそ、騎士団長の役目。ベノルは常に、少年に負わせる荷の重さを量り、見極めてきたつもりであった。

 「ベノル」

 その背中を向けたまま、王は静かに問うた。

 「あの議員たちは、首だけで帰ってきた使者の名を、覚えているだろうか」

 「どうでしょう。お尋ねになられては?」

 「結果は知れている。おまえは、覚えているか」

 「はい」

 ベノルは、少年王の背から目を離さぬままだ。

 「覚えておりますとも」

 「彼には、妻と年老いた両親がいる」

 「陛下と同じ年齢の娘もおります」

 「彼ら一家は、このひとつの死を生涯、忘れはしないだろう。しかし、議会は国の権威を叫ぶだけだ。私もおまえも、いつかは彼の名を忘れてしまう」

 王は、低く、静かに続けた。

 「このようなことを、考えていた。しかし私はおまえに命じた。軍を率いて、戦えと。新たな悲しみや憎しみを、産むと分かっていながら」

 ゆったりと振り返った少年王は、悲しい目で微笑していた。

 「偉いだろう。褒めてくれ」

 ベノルは、この未熟だが優しい王を敬愛していた。そして、命を捧げることのできる君主がいる幸福を、再度かみしめた。


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