第五章 埋まらぬ喪失 (3)
(3)
王の命に従い、スリノア騎士団は徹底してワオフ軍を潰していった。
結果、わずか十日のうちにワオフ反乱軍は壊滅。王子は戦死した。
勝利の勢いのまま、スリノア軍はワオフの城へ突入。女王を捕らえ、これを征した。女王はその後幽閉され、二度と歴史の表舞台に出てくることはなかった。
これにより、ワオフの領地はスリノアの完全な支配下へ置かれることとなった。この後、約一年間、スリノアから提督が派遣され、共存のためのより良い形を模索する時期が続くのである。
星暦943年のこの戦いは、のちに「西湖の戦い」と呼ばれる。
そして、この戦の指揮をとっていたベノル=ライトは、スリノア王宮での王と妻の会話など、知る術もなかったのだった。
王の自室へ呼びつけられたダナは、その豊満な胸の谷間に、剣の切っ先を埋め込まれていた。
そうしてただ、いたずらに時が過ぎていた。夜も更けており、部屋にはこの二人しか存在しない。少年王は反対を押し切り、護衛の近衛騎士すらも追い出してしまっていた。扉の向こう側では、二人の近衛騎士が息を殺して中の様子を伺っているに違いない。
「殺すならば、殺せ」
沈黙を破り、平然とダナが言う。彼女とさほど背の変わらない少年は、それを皮切りに、引きつった笑みを浮かべた。
「殺してやりたいところだ。私は、これほどまでに憎しみを覚えたことはない。両親を、スリノアを失った八年前の絶望すら、かなわぬほどだ!」
ダナは、しばしの間の後、ぽつりと言った。
「そうか。私が憎いか、スリノア王よ」
「私は確かに、おまえから多くのものを奪ったかもしれん。しかし、おまえが私から奪ったものは、私の全てだ。そう、全てだ!」
喚き散らしながら、少年はわずかに剣を動かした。しかし、ダナは凛と立つ。
気に食わぬ、とばかりに、少年はますます憤怒の形相を見せた。
「命乞いをしろ!」
「貴公は、聞いていた人物とは似ても似つかぬな」
ダナの声と佇まいは、森に潜む泉のごとく静かである。
「従わぬ者は、気に入らぬ。気に入らぬ者は、遠ざける。感情のままに振舞う。愚君の典型であろう」
「黙れっ」
少年は、剣で女の胸を貫こうとした。が、彼はひざを震わせ、そうするに至らなかった。
「それでいい。自ら手を汚さずに済むのが、王の特権だ」
そこには決して嘲りの気色は含まれていなかったが、少年は顔を朱に染めて言い放った。
「私は内乱時に、剣をとって自ら戦ったこともある。この手はとうに汚れている! 知りもせずにぬけぬけと」
「ならば、このまま私を貫くなど、造作もないことであろう」
どこまでも静かな、王女の声。
少年は、忌々しげに剣を投げ捨てた。少年に合わせたのであろう重量の軽いその剣は、乾いた音を立てて床へ転がった。
「おまえもベノルも、大嫌いだ」
彼は、震えの止まらぬ両手を、胸の前で握り合わせる。
「気味の悪い女だ。今も故郷が焼かれているという時に、よくもそう冷静でいられる」
「滅ぶことはわかっていた。スリノアの支配下へ入るであろう、と。だからこそ、貴公が愚君であっては困る。ワオフの民が、感情のままに虐げられるようであっては」
少年は、何か思うところがあったかのように、長く沈黙した。その胸に去来するものを、ワオフの王女には推し量ることができない。
やがて、少年はもう一度、同じ言葉を拙く繰り返した。先ほどよりも、力を失った声で。
「おまえもベノルも、大嫌いだ」
そして、ダナから距離をとる。背を向け、大きな出窓へと歩み寄った。そこからは、スリノアの城下の街の灯が見渡せる。柔らかな灯は、平和を約束されている安堵に満ち、ただただ温かく、静かであった。
それを眺めた後、次に振り返ったとき、少年はまさしく王者の貫禄を纏っていた。岩のような重量を感じさせる、瞳の強さ。まだ小柄な体から発せられる、高貴な王族としての矜持。
「ワオフの王女よ」
命じた声は、先ほどまで喚き散らしていた少年と同じ人物とは思えぬ、落ち着いた王の声であった。
「ベノル=ライトと離縁し、故郷へ戻れ。おまえは、スリノアの英雄を殺した。その罪は、本来ならば万死に値する」
ダナはこの少年の歳を思い返した。十五。内乱で国を追われたときは、七であったということか。少年はオンとオフを巧みに使い分けることで、激動の人生を生き抜いてきたのであろう、と彼女は推した。そして、彼にオフを許していた存在こそ、あの英雄であったのだろう、とも。
ダナはおもむろに、胸元から書類を取り出した。少年に突きつけたそれは、離婚を申請するためのものである。
王は驚愕した。すでに、ベノル=ライトのサインがあった。
「あとは、貴公のサインと印だけだ」
「これは、どういうことだ?」
「軍がスリノアを発った朝、手紙と共に入っていた」
手紙の内容は、離婚の手続きの仕方など、淡々としたものであった。
「貴公は喜んでサインをし、私と女中をワオフへ送り返してくれるであろう、と手紙に書かれてあった」
王は沈黙の後、書類を受け取った。それと同時に、
「頼みがある」
再びただ一人の少年へ戻った彼は、目を伏せ、小さく言った。
「ベノルが戻るまで、故郷へ帰るな」
「貴公の協力がなければ、どちらにしろ帰ることはできない」
踵を返したダナを呼び止め、最後に少年は、すがるように問うた。
「ベノルは、ここへ帰ってくるだろうか」
ダナは応えず、部屋をあとにした。