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第五章  埋まらぬ喪失 (2)

(2)


 その議会でなされた報告と議決の内容は、ベノル=ライトの背筋を凍らせた。盛大な割れるような拍手の中で、英雄は身じろぎひとつせずに黙し、これまでの崩壊の軌跡を反芻するのみであった。何故こうなった。何を間違えた。その答えはとっくに出ており、彼はそれすら承知でこの崩壊に身を投じたというのに、己の失態を受け入れられぬままに、繰り返す。何故こうなった。何を間違えたのだ。


 ベノルは帰宅してすぐに、ダナの部屋の扉を叩いた。

 「ダナ、出てきてくれ」

 誓いを破ってでも話さなければ、と思っていたが、ダナはすんなりと部屋から出てきた。武将であった彼女は、ベノルの声に戦の臭いを感じ取ったのかもしれない。

 武術会の夜以来、夫婦は久方ぶりに顔を合わせた。ベノルが、妻の痩せように目を見開く。

 「ダナ……」

 「用件はなんだ」

 相変わらず突き放され、ベノルは痩せた腕をとった。ソファへと誘導し、自分は向かいの椅子へ座る。

 「落ち着いて聞いてほしい。ワオフ女王国が、反旗をひるがえした」

 ダナは眉一つ動かさない。ただ静かに、問うた。

 「ワオフの戦力が知りたいのか」

 「な……何を馬鹿なことを!」

 つい声を荒げてしまい、ベノルは大きく息を吐いた。今の自分は、多分に冷静さを欠いている。わかっている。だが、そうした客観的な視点をどれだけ持とうとも、解決できぬのならば意味がない。この状況で己の熱を取り去る術を、彼は知らなかった。

 「反乱の首謀者は、女王となったおまえの母だ。今なら、まだ間に合う。私と共にワオフへ行き、彼女を説得してほしい」

 「断る」

 即答に、ベノルは耳を疑った。

 「なぜだ。故郷のためだぞ。私と一緒が気に食わぬか。ならば、他の騎士をつけよう。文書だけでもかまわん」

 「私は、妾の子なのだ」

 ダナは、唐突に告白した。

 「正妻の子より先に生まれた故、元々、折り合いが悪かった。その上、民衆に英雄視されていた私を、彼女は煙たく思っていたようだ。私の言葉など、届くはずがない」

 ベノルは衝撃に打たれた。あのワオフ兵もアニタも、そのようなことを一言も彼に語らなかった。まさか、彼女は出自さえも身近な者に隠し通さねばならなかったのか。そのことは、彼女の母の運命を容易に想像させた。彼女が父とまともに話さなかったことや、この歳まで結婚もせずに戦に明け暮れる人生を送ってきたことの要因は、そこにあるのではないかと思われた。

 「しかし」

 諦めきれずに、彼は問う。

 「王子を通じてならばどうだ。彼とは血がつながっていよう」

 「父上が亡くなった今、私は彼ら一族にとって忌まわしい存在でしかない。私がスリノアに嫁いだことを、彼らは諸手を上げて喜んでいたであろうな。そもそも、私はあの戦で死人となるはずであった。推薦される前に、自ら志願したまでだ」

 ベノルは、言葉をなくした。

 ようやく、彼女の孤独の根深さを知ったのである。

 この女のために、何ができるか。ベノルは瞬時に判断し、そして、決意した。

 「ダナ。私はこの反乱を鎮圧するよう、王に命ぜられた」

 話の終わりを見て取り、ダナが席を立つ。

 「待て、ダナ。おまえはワオフの正統な後継者だ!」

 王子を失い、戦に疲れた民衆は、武神の名を授かる王女の帰還を、熱狂的に迎え入れるであろう。

 間違いない。


 戦へ発つ前夜、ベノルは妻の手を取り、うつむいて切願した。

 「今夜は、一緒にいてほしい」

 ダナは、全てを放棄するかのように、「わかりました」とつぶやいた。静かに台へ置かれた際に、誤って刹那に音を立てた鈴のような声だった。

 彼女の滑らかな褐色肌は、氷の冷たさであった。美しい四肢はただの一度も自らの意思で動こうとはせず、瞳はうつろに宙を眺めた。

 死体を抱いているかのようであった。

 ベノル息を乱し、彼女の耳へ愛を語った。何度彼女の名を呼んだか知れない。そうしてどんなに強く抱こうとも、彼女は声ひとつ上げず、快楽も苦痛すらも、一切を感じていないようであった。

 それでも、彼は妻の体を、一晩中、離さなかった。

 この夜だけでも、夫婦でありたかったのだ。

 たとえ、間違いだったとしても。


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