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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

杞憂の空雷 

掲載日:2019/11/14

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 つぶらやは今、どれほど心配事を抱えている? ああ、いやいや、言いづらいものもあるのは重々承知だ。単に有無を確かめたいだけだったんだが、その様子じゃ答えは聞いたようなもん。

 俺たちは老若男女を問わず、色々な悩み事を抱えている。誰しも「あるある」なものから、ばらしてもとうてい理解を得られないような、ニッチなものまで様々だ。そうなると、同じことに対して温度差が出るのは当たり前で、うかつな一言が後々まで尾を引く事態を招きかねない。こいつは果たして、接する人が悪いのか、ぐっと飲み込んで平静でいられない方が悪いのか……ま、たいてい前者が責められるわな。

 昔の人も多くの悩み事を抱えていたが、その中で屈指の規模の大きい心配といったら、「杞憂」の故事だろうな。実はこの杞憂に関して、ちと共通点がありそうな昔話を、最近耳にしたんだ。お前の興味を引ける代物だといいのだがな。


 知っているとは思うが、杞憂の由来について軽くおさらいしておく。

 その昔、中国の杞という国で、天地が崩れ落ち、住む場所がなくなったらどうしようと、悩む男がいた。その心配具合は、不眠や食欲減衰を招いたほどだったという。

 彼のことを思う友人は、彼の不安に逐一答えていった。天は空気が集まっているところ、落ちることはない。地は土が積み重なってできているところ。いずれも土のないところはなく、実際に我々は地面を歩き続けている。地が崩れることもまたあり得ない。

 そう諭すことで、心配性の彼はようやく安心することができたという。このことから、心配する必要のないことに、心を砕き続けることを杞憂と表すようになった。

 俺個人としては件の心配性の男、ずっと心の奥底に心配を抱えていたんじゃないかと思う。杞は元々、周から領地を分けてもらい、建国にこぎつけた小国だ。周辺諸国に何度も攻め寄せられて、国を転々とする羽目になっている。

 戦火のたび、住み慣れた家や土地を離れて、新しい住処を求めさまよう。これぞ個人にとって、天地がひっくり返るような大事じゃないかと俺は思うんだ。それを経験するたび、かの男も、一度は払拭した不安がぶり返したかもしれない。万が一、億が一にも、そんな不安が当たったら……といった感じでな。

 これら中国の故事成語は、交易や留学を通じ、日本にも伝わってくる。そして時代が下るにつれ武士たちの教養となり、また日本国そのものも、戦がついてまわる世となっていった。


 戦国時代のとある小大名家は、代々、占いに秀でた力を持つ者を輩出していた。新しい当主もその素質を持つとされたが、小さい頃に行った彼の占いは、ほとんどが外れだった。それらの失敗が重なり、やがて占いに期待するものはすっかりいなくなってしまったという。

 その当主だが、立冬が過ぎたあたりから、毎晩、空を仰いでの祈祷に時間を割くようになった。晴れていようが雨が降っていようが構うことなく、なめした獣皮の外套を身にまとい、空へ向けて祈りを捧げていた。

 当主曰く、「そろそろ空が落ちてくる」のだという。その言葉を聞いた人々のほとんどは、鼻で笑ったらしい。また不才の当主による占い遊びが始まったとも、現代によみがえる「杞憂」の時、などと影で相当囁かれたそうな。

 その当主の身体をいたわるのは、幼い頃からの世話役や、屋敷の使用人ばかりだったとか。


 それから数ヶ月後の朝。家に仕える重臣のひとり、武蔵守むさしのかみ昌義まさよしの住まう屋敷へ、唐突に当主が訪れた。起き抜けだった重臣は、急ぎ身だしなみを整えて、当主を広間へ通す。

 平素、占いを軽んじる武辺者としてならしている昌義。そこへ占いを重んずる当主による抜き打ちの訪問。不審といわざるを得ない。まさか、単純に気に食わない相手だから罰を与える、などというむちゃくちゃは言ってこないと思うが。


「率直に伝える。昌義、そなたしばらく外へ出るな。この屋敷内にとどまり、武技の鍛錬なども控えよ」


「これは異なこと。この家にお仕えする前より三十余年。有事の時をのぞき、鍛錬を欠かしたことはございませぬ。それをやめよとおっしゃいまするか」


「そなたの身にかかわることだ」


 ずいっと、正座した膝を突き出し、顔を近づける当主。昌義もつられて背筋を伸ばしてしまう。


 当主は、自分の後ろに控えている世話役へ目配せをした。世話役はこれまで両手に捧げ持っていた、巻物を二人の間に置き、中身を広げていく。

 ひと目で、それが夜空を描いたものだと分かった。藍色に染めた生地の上に、ごまのごとき小ささで無数の白い点が散らばっている。これが星々を表しているのだろう。

 その藍の空の中を、地上へ向かって流れ落ちる黄色い線が、幾筋もかき込まれていた。その軌跡は緩やかで、柳のようにしだれている。


「流星でございますかな? これは?」


「違う。わしはこれを『空雷』と名付けた。以前にも言うたな、空が落ちてくると。これがそれというわけだ」


「杞憂の一節にもありましたな。空が落ちてくるのではないかと、不安になった男がいる」


「要らぬ心配、と申したいのであろう。だが、本当にそうであるならば、こうして足を運びはしない。昨晩、この奇妙な空雷がいくつか、そなたの屋敷に降り注ぐのを見たのでな。

 実際に何が起こるか、確かめた方が早いのだが……そなたの屋敷の中に、何か『壊してもよいもの』はあるか。この屋根の下でだぞ」


 これもまた突然のこと。ややあって昌義が選んだのは、まだこしらえたばかりの新しい矢の一本だった。それを広間の畳の上に置くと、当主は昌義と共に下がっていく。十分に距離を取ったところで、世話役が長い竿を手に矢を強めに叩いたところ、矢が「ぜた」。

 中に火薬でも仕込んであったかのように、の部分は瞬く間に砕けて、砂と化す。分かたれた先端は、矢じりが正面のふすまに刺さり、矢羽根が後方の開いた空間を飛んで、弾むように畳の上を転げていく。

 昌義は開いた口が塞がらない。つい先ほどまで、一度も蔵の外に出すことなくしまっておいた矢。それを手ずから当主の前に持ってきたものなのだ。細工をする暇など、みじんもなかったはず。


「見たか。強い衝撃を受ければ、矢のみならず、この館にあるものが同じ道を辿りかねない。できる限り、動くことを控えよ。叶うのならば使用人に至るまでを休ませ、雑用は外の者に任せるようにせよ。いつまで謹慎すれば良いかは更なる占いの後、追って伝える」



 その日から、重臣の屋敷は喪に服したかのように静けさが覆った。初めは昌義の話すことに半信半疑だった皆だが、ちょうど一同が集まった広間に面する縁側で、猫の声が響いたことで状況は一変する。

 庭の木の枝に乗っかっていた猫が地面に降り立ったところ、その足から先がぱっと消えてしまったんだ。猫は着地することができず、体勢を崩して這いつくばってしまう。先を失った足は穴こそ開いていたものの、出血の類は見られなかったらしいんだ。

 猫の手当てをしようと、立ち上がった者がいたが、駆け寄ろうとした拍子に敷居に躓いて転倒。そのついた左膝から先の足も、一瞬で消え失せたことで、ようやく皆は事態を把握する。昌義は政務を初めとする諸々の仕事を他の者へ配し、自室でできる限り動かないように努める時間を過ごした。

 それでも屋敷では、半月ばかりの間に幾人かの使用人、および調度品に被害が出てしまう。生き物の場合でも失った部位から出血がなく、命に別条がないのは救いであった。

 当主が安全を告げ、実際に同じような被害が出なくなるまで、結局、一ヵ月ほどを要したという。


 それから10年近い月日が経った。

 じりじりと領地を広げていた当主の家だが、当主自らの遠征の間、要所である城のひとつが、敵別動隊に攻め寄せられるという事態が起こる。

 留守を預かるは、かの昌義。城の防備を固めつつ、当主の下へ指示を仰ぐ早馬を送ったところ、返答は「ただちに城を捨てろ」。そして書の端に、あの日に見た絵を小さくしたものが描かれていたんだ。

 

 ――あの日と同じようなことが、ここでまた起こる。


 察した昌義は直ちに軍備を解き、持てるものを持って領内へと引き返していく。その一部始終で、大きな衝撃を生まないよう注意を徹底しながら。

 一両日の後、かの城が敵方の支配下に置かれたという報が入ったが、半日も経たないうちに訂正が入った。城は敵軍もろとも崩れ去り、がれきの山と化してしまった、とさ。


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気に入っていただけたら、他の短編もたくさんございますので、こちらからどうぞ! 近野物語 第三巻
― 新着の感想 ―
[良い点] 話の始まりから、杞憂の説明をして、 話の本筋に入りオチまでの流れが滑らかで、実際に聞いているかのように物語に入り込むことができる。
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