閑話休題 物語を書くという事
二年ほど前の日記である。
その頃にはまだ文章は書けても、物語が書けなかった。
子供の頃、小説家になりたかった。
いや、当たり前に物語を書いていた。
祖父母の家には祖父の本がたくさんあった。
家主の不在を狙い、書棚から抜き取って読んでから、また戻すということを繰り返していた。
祖父の書斎は母屋の我の住まう離れを向いていて、書院造の窓が主の不在を教えてくれていた。
夜に見る母屋の書院造の窓灯は、竹林越しなので、昔話の中のように存在だけでなく時代さえも遠く感じた。
自分自身さえも、物語の中の不確かな存在のように思ったものだ。
今から思い返せば、小学2、3年くらいで、普通に大人の文庫本などを読んでいたのだ。
昭和初期の古い本である。
旧仮名遣いや漢字も文章も古い。訳も古い。
でも、貪るように読んでいた。
小学校の図書室も入り浸ったし、たまに来る移動図書館では大人の本を普通に借りていた。
物語もまた、我の心を守るものだった。
文章に触れていれば、自ずと自分でもお話を書き出すもので、チラシの裏や学校からの配布物の裏などに物語を書いていた。
その頃に父親に会い、彼の雑談の中で自分に子供が出来たら名付けたい名前があった。と聞いた。
その名前は性別に関係なく使える名だった。
我の名は母方の家につけられた。
だから、父親は自分が付けたかった名を我の名にすることが出来なかったのだ。
それを聞いた時、「ああ。我の名は本当はソレなのだ」と思った。
「その名前の我が本当なのだ」と。
小説を書き出すと、作りたくなるのがペンネームである。
その名を使った。
チラシの裏に線を引き原稿用紙のようにして、題名の後にペンネームを書いて悦にひたる。
物語は楽しく書きまくった。
笑いながら泣きながら、物語に入り込んで、鉛筆で書くのももどかしいほど、話が進んで追いつくのがやっとだった。
あの、脳みそが興奮して大笑いしていた時間を覚えている。
祖父母が他界し、守ってくれる獣もいなくなり、いくつかの家の居候になり、自分の持ち物は少ない中でも、親戚の使い切らなかったノートなどを拾い小説を書いていた。
ますます小説の中に逃げるように物語を書いた。
中学生の頃、久しぶりに会った父親の話で、弟が居ると知った。
弟の名前は、父親が名付けたかったその名である。
心がしんと静まったのを感じた。
我の名ではなかったのだ。
それ以来、自分の書く文章が文字でしかなく、物語を紡ぐことが出来ない。
頭で物語を考えて、手で文字を書いている。
心で叫ぶように飛ぶように書いていた。
文字を書く意識もなく、物語の世界に入り込んでいた。
脳みそが歓喜していた。
神の庭で遊ぶ。そんな快感だろうか。
その世界が遠くなった。
しかし、書いていたのは自分なので、どこかスイッチが入れば、またアノ感覚で物を書けるのではないか?と幾度も書こうとはするのだが、遊ぶ部屋はあるのに、入るドアが見つからない。
そんな気分なのである。
いつかまた、物語を書きたいな。
また、そう願いだしてきたこの頃なのである。
ここ一年ほどだろうか、登場人物が自分の操りから抜け出した。
書きながら主人公と一緒に泣いたりしたのは久しぶりだった。
「百話」以外で投稿している「なんどでも君に」で登場人物は勝手に設定が変わり、主人公に寄り添い我は主人公になっていた。
自分の心の扉が開いた。
今は物語を書けることが嬉しい。




