8話 深淵がそうだというのなら、空もまた、見上げる我を見つめているのだろうか
子供の成長は早いものだ。
そばで見てないなら、なおさら。
たった10年離れていただけで、子供が若者になっていた。
そんな事を考えたこともなかった。
ある年のお盆に、死んでた知り合いが来た。
8月17日の夜明け前。
部屋で寝ていたら、いきなりドアが(引き戸)開き男が入り口に立っていた。
キッチンの電気が点いているのか、光を背に立っているので逆光で顔が分からない。
我は入り口側を足にして寝ていた。
男は我の顔を見て(気配で)名を呼んだ。
「○○○~ぃ」
苗字を呼び捨てで語尾を伸ばす。
誰?何?と飛び起きると、ソコは真っ暗な自分の部屋で誰も居ない。
気配もスッキリ消えている。
アレは誰だったのかと考えるが、思い浮かばない。
整理してみた。
若い男。我の知り合い(顔を見てから名前を呼んだので)。
死人。
悪い状態ではなさそう(後ろに光を背負っていた)。
欲求でなく単に挨拶っぽい?
一日考えるも出て来ない。
亡くなった奴や生きている男も思い返すが出て来ない。
夢から始まったのは夢で分かるだろ、と寝てみて明け方1人浮かんだ。
翌日電話する。
弟が出る。
兄さんは元気かと尋ねる。なんでと答える。
死んでいると思ったのは言わずに話した。
弟は言った
「会いに行ったんだ?」
やはりそうだった。
彼は去年の冬に他界していた。
交通事故である。
思い出せなかったのも無理はない。
我の中で彼は10歳だったのだから。
その頃から酷い不眠症で深夜の散歩が日課だった。
多分10月くらいの深夜1時かその辺。
マンション前の遊歩道に子供が二人ベンチに座っていた。
子供だけで、しかもパジャマのようなので話を聞いてみる。
両親がケンカをしていて弟が泣くので出てきたと。
同じマンションの住人だった。
我の部屋に連れてきて温かいココアをやり、飲んでいる間に親に預かっていると伝える。
免許証を見せての説明のため、今晩は泊めるのに同意した。
翌朝7時に起こして出す。その際、兄に約束させた。
居場所がなかったら、何時でもいいから我の部屋に来いと。
その後、夜にケンカで来るのは4、5回しかなかったが、時折テレビのアニメを見に来るようになった。
「○○○~ぃ(苗字呼び捨て)ポケモン見ようぜ~!」と来る。
本読みたいからヤダと言ったら、一度下がり5分後にクッキーチョコの箱などを手に「ハイ!ショバ代!」などと言ってチョコを持ってくるようになった。
子供は好きじゃないし、知らないので何をしてやることもなく、無愛想なオバサンでしかなかったはずだが何故か懐いた。
兄は聡い子供でムカツクほど口が達者でよくゲンコで殴った。
口癖が「俺はお兄ちゃんだから」で、それが切なくて、やっぱりよくゲンコを落としていた。
そんな一年弱。
映画館でアニメを観たり、千葉鼠園に行ったり、夕飯はウチで食べたり。(食費は二人で1000円貰ったので我的にも助かってた)
じきに母親は居なくなり、父親の実家に引越しが決まった。
兄は連絡すると言っていたが、するなと断る。
面倒だし大体我を過去にしなきゃいけないし。
そんな関係。
細い子供だった。
あのドアを開けたのは、顔は見えなかったが大人の体だった。
分からないよ。
分かるかよ。
イロイロ思い出したりしていたら、妙に泣けてきた。
悲しむほど親しくもないが、悔しいとか切ないとか、なんだろうね。
大学でハンドボールの選手だったと。
建築家になりたかったのだと。
考えて考えて、どんな行動も自己満足でしかないと思った。
奴は我に何か訴えているのではない。我は家族でも、親しかったわけでもない。
ならばと、
日曜日、早く起きて水浴びして、パンツは白。
部屋で祝詞を挙げ清めてから写経を一枚。
写経は納得できない死に方をした友人達がいて、思い出すとムカつくから命日に写経をして、それ以外の日は思い出してもやらない事にしているので、写経セットがあるのだ。
写経は40分程で終わった。
御焚き上げ代を添え、寺に奉納する。
それで、自分の中でのけじめとした。
妙なものを見た事もあったが、今回ほどハッキリ見たのは初めてだ。
170センチ半ばの身長。
我を認めた瞬間、顔が笑ったのか影の頬の輪郭が上がった。
両の手は入り口の枠の上のほうを掴み、少し上半身を部屋に入れている。
リラックスした感じで「チョット寄ってみた」くらいなのだろう。
死んでいるクセに余裕かましている。
やっぱり我の苗字を語尾を伸ばして呼ぶのは変わらない。
その週は、空ばかり見ていた。
その夜は、甚平で足を開いて寝ていたが、スパーンと扉が開いた瞬間に足を閉じた。
自分がそれなりに、だらしない寝姿だと無意識で認識していたようだ。
そんな、瞬発力を誇っていいのか分からない。