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あやし百話  作者: くろたえ


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49話 鏡に映ったってさ

「幽霊」「前世」「妖精」見えるという人が居る。


我も、時折奇妙なものを見る。


でも、それは特別な事じゃない。


学生時代、鏡に映った我が男性の姿をしていると言われた。


「なにそれ?」


と訊ねるも


「多分、前世か守護霊」


という。


なんで我に被さっているか分からない。

その存在が何かわからない。

だったら、言うなよ。


友人に不思議なものを感じ取れる人がいる。


それらの言葉には、真実か否かは置いといて、その人にとっての事実であるが我にとっては、確証のない情報に過ぎない。


それらを、どう受け止めるかは状況と気分しだいだ。


友人の不思議発言には、ある程度の余裕を持って受け入れられるが、親しくない人間からの不思議発言には、


「お前に何も出来ないなら、何も言うな」


と腹がたつ。


不思議を感じることは目が、3つあるようなものだと思う。


多少は良く見えるかもしれない。

広く、高く見えるかもしれない。


それでも転ぶだろうしぶつかるだろうし、失せ物で焦るだろうし。


目が二つ在って見ていても、見逃す事は多い。


見ても見誤る。

見ても勘違いするとか。


結局は、人を見てその言葉を、どう受け止めるかなのだよな~と感じる。


我だって、何かが合えば見えることがある。



そんなに大層なことでもないし、重要な事じゃあないんだと思う。


会話を、無理にその場に居る幽霊の話に、持っていく人が居る。


そんなんでは、怖がった子が帰り道に転んだりしたならば、それが「霊障」になってしまうではないか。


「不思議」な話を書きつつ、「不思議」を否定するのは変なことではあるが、多分、こういった話にはTPOが必要なのだと思う。


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