48話 山行での脳内麻薬大放出
何度か自殺未遂をし、自傷行為の癖がついた時、心を守るものが欲しかった。
なので、いくつかの宗教に入信したり(入信の際は、名前を変えて、住所も少し変えて追えないようにしたりもした)入信しなくても参加できる、山行や滝行に写経などに積極的に参加した。
これもそのうちの一つである。
十代の終わりに近い夏に何を思ったか禊をした。
心を守るものがほしいと、宗教を探していた時期だったのもある。
山岳信仰にお邪魔してみた。
10日間の山行である。
初日から食事を減らされ、3日目薄っい粥になったあと、4日目からは水と塩だけで6日まで。
それからまた徐々に食べ物が固形に近づく。
その間、山を走り回り、滝にうたれる。
最初の3日目までは空腹がきつく、考える事は食べ物のことばかり。
それが過ぎると空腹感は消えてなくなり、山を走るときは自分さえもなくなる。
山との一体に興奮して、脳ミソに直に風が当たるような、快感や興奮に包まれた。
食べない寝るのも少しだと、脳内麻薬が垂れ流しである。
苦行と言うのは実は、ちっとも苦しくないのだと知る。
そんな中で、大きな大木が枝を震わせ吠えていたり、
滝つぼに老人が見えたり、
全身青い裸の女がMじ開脚で岩の上にいたり、
夜の宿舎の前庭では蛾の羽をもつ3mはある着物を着た女が舞を舞っていたり。
と妄想か幻覚か不明な、アニメのような世界に包まれる。
九字を切るのは、仏教から密教へと変化しつつあった山岳宗教が、聖地とされる山に人間としての身を山に慣らすために唱えた言葉と聞く。
そうでなければ、山に取り殺されてしまうと。
雑念に囚われ修行に挫折してしまうと言われたらしい。
九字を唱えながら山を登ったそうだ。
それが歳時て、修行中の無防備な精神を護るための結界に変わっていた。
空海からは攻撃のような使われ方をしたようだが?
アニメや本で読む九字の使われ方は、それに偏っている。
まあ、確かに10日ほどの絶食だけでアレだけの幻覚が見れるなら、確かに身を守るものは必要だ。
因みに一緒に行をしていた人間とは、20以上年が離れていたため、無駄口は一切なく、そんなコトは聞けなかった。
皆の幻覚はどうだったのか今も興味がある。
宗教にいくつか入ったが、新興宗教というのか、ここ100年くらいで、立ち上げたものに入信することが多かった。
勧誘していたし、外出先ならば自宅を知られる心配がなかったからな。
しかし、それで我が出した結論は、彼らがしているのは、信仰ではなく、組織の維持である。
金を持っているものには、金を。金がない者には労働力を集めることで、自分が、その組織の上の位に行ける。
うん。ネズミ講だな。
自分の求めている宗教とは、何が違うかと考えたら、神との対話であり、組織の中での人間関係ではなかった。
また、宗教施設にある経典を読んでも、個人礼賛と幾つかの宗教本をチョイスしたような似たような中身。
まあ、その中にはその宗教の軸となる、自然療養とか個人礼賛、化学物質、現代医学激悪論などがあったが、その他はよく見る内容だった。
複数に見られたのは、現在の苦しみは、前世の業であるので、頑張ってお金出しなさいね。だった。
人によって宗教の在り様は様々だと思うが、組織を維持するためのお財布になってないか、現実逃避して奇跡など求めてないか、今一度考えればいいのになぁと、他人事で考えている。




