6~7話 神隠し未満
小学校に上がるまで山にある養豚所の手伝いをしていた。
車で山道を2、30分の場所だ。
親戚の気分で夕方の終りに車に乗せてもらえず置いていかれたりした。
大人の足では1時間くらいか。
小学校に上がる前の子供には長い距離だ。
しかも夜の山道なので、辿り着けずに野宿することもあった。
夜の山の中では不思議なことが時折あった。
6話
その夜も一人で山道を歩いていた
歩きながら寝てしまっていたのかも知れない。
ふと気付くと、誰かが手を引いてくれている。
暗い山道
空の木々が抜けた
月の光が入る
着物を着た大柄な男と手を繋いでいた。
子供心に「優しい人だ」と分かった。
歩く速度や手の繋ぎ方が、子供の負担にならないようにしていたからだ。
大きな男だったのを覚えている。
親戚の男達よりも頭ひとつ高い。
はだしの足は、音のさせない静かな歩き方。
警戒心も男を詮索しようとする気持ちもなく、夢うつつに手を引かれるままに歩いていた。
男は気付いた我に気付いた。
立ち止まり振り向かず前を向いたまま、大きく息を吸って吐いた。
少しこちらに顔を向けた
我を見ている。
我からは、月の逆光で顔が見えない。
「くるか」
言った。
「来るか」
か。
家には犬父がいる猫母もいる。猫母は生きていけるだろう。
犬父は潰されるだろうな。
行けない。
と思った。
何も言わなかったと思う。
「ふむ」
男が理解したように頷いた。
しばらくそのまま一緒に歩いた。
少し寒いな と感じた。
男は居なくなっていた。
その場所は見慣れた場所だった。
家のある村の近くである。
しかし、養豚所のある山とは違う山から降りていた。
大人になってから何度かその夜のことを思い出した。
ひとつ変な事に気付いた。
男は非常に大柄で190cm以上はあっただろう。
4、5歳の子供が負担なく手を繋いでいた。
ずいぶん、手の長い人だったようだ
中国の山海記という妖怪や神や精霊を記した本がある。
その中で山の妖怪の中で獣性の抜けた歳経た神猿は、片腕を縮めてもう片方の腕を伸ばすとが書かれてあった。
山の妖怪だったのかもしれない。
7話
その夜も一人で歩いていた。
疲れたのだろう。道の脇の道祖神の洞に、座り込んで寝てしまった。
どれくらい寝たのだろう。
「ほおおおうい」
「ほおおおおぉ~い」
誰かが声をかけている。
目を覚ますと、洞を覆うように誰かがしゃがんで覗き込んでいる。
手を伸ばして我をつかもうとしている。
道祖神を盾にして、逆光でどこもかしこも真っ黒の男から隠れようとした。
妙に細い男が長い手を伸ばしてかく。
長い爪の先が、つうと腕に触れて怖かった。
ますます小さくなり奥に逃げ込んだ。
男が言った。
「しゃろのはーもーらーいうけるー」
「しゃろのはーおれのーだーー」
「しゃろ」とは分からないが、我の居る場所のようである。
首を振って男を拒んで、石碑の道祖神の裏側にしがみ付いた。
知らない。
お前にやる約束はしていない。
お前の物じゃない。
怖くて言葉には出してないが、そう念じ続けていた。
「おれのーものなのにーーーー」
ふと気付いたら朝になっていた。
怖かった。
怖かった。
早朝の少しだけ明るい山道を帰った。
小走りに走りながら、お漏らししてしまった不快感に、泣きながら帰ったのを覚えている。
おねしょも、お漏らしの記憶もその時だけである。
後日、その場所を通った。
小さな道祖神で洞などなかった。
三叉路の崖側の小さなくぼみに石の道祖神があり、その裏に子供が入れるような隙間はなかった。
しかし、その夜は、道祖神の後ろに隠れて、男が引っ張り出そうとするのを拒む場所があった。
道祖神越しに小さな洞穴の入り口を見ていた。
男が手を伸ばしても、掴めないギリギリの逃げ場があった。
この話を何年か前のブログの100話に書こうとした。
その前にも、誰かに話そうとしたことがある。
しかし、そのたびに頭の中で
「ごうん」
と大きな音が響くのだ。
大きなお釜を叩いたような音。
お風呂場で犬父が、大きな咳をするような音。
井戸に岩を投げ込んだような音。
知らない音が
「ゴウン!」
と大きく響くのだ。
その音が大音量で響くと、なんだか危険を感じて言えなくなった。
今夜、試しに書いてみたら鳴らなかった。
安心もしたが少し怖くも感じる。
勝手に想像するのだ。
あの平坦な声を。
「おーれーのーーものなのにーーー」
夜の山では不思議なことが時折あった。
その山は名も知られてないような小さな山だったが、闇の密度が濃く感じた。
まあ子供が一人で月明かりか、それもないような夜の山道を歩いているので、必要以上に山の気配に慄いていたのだろう。