25話 家の呪い
就職や引っ越した先で、意外に「禁忌」とされるものに触れることがあるかもしれない。
それらは、時間をかけて、人間の欲や悪意で育てられたものである。
私が育った場所でも、「それ」はあった。
祖父母の村は神道が強い場所だった。
最近の出雲大社の大遷宮で、聞いたことがある方も居るかもしれないが、神社の柱は、御山の東西南北から切られ、そのまま、神社にも東西南北の柱として使われる。
山や自然を信仰しているのが、そこに現れている。
家には一つの呪いがあった。
村の家も同じように山から東西南北と、山の中心部からの木を大黒柱として据えられる。
「末代も残すまじ」
「次代で人が消えうせる」
そんな言葉を、その呪いには使った。
方法は簡単である。
村には腕の良い大工がおり、その棟梁は親戚であった。
なので、一族に害成しえる家を建てる際は、
「次代で人が消えうせる」
東西南北と大黒柱を、すべて、天地逆に据えるのだ。
そして、「末代も残すまじ」=何代かは生き残る、急には発動しない呪い。
大黒柱以外の四方の柱を逆にする。
もしくは、大黒柱を逆にする。
そのようにして、敵対する家の力を削いでいった。
呪いを積極的に使っていた我が一族である。
もちろん、逆に呪いを受ける時もあった。
そのため、呪いを受けにくいよう庭や門の付近に、穴を掘られ何かを埋められないように、門から、母屋への道は白い玉石を使っていた。
塀はなく、生垣と竹垣ていどだったが、門は山門のように重厚なもので、その周辺の地面から、白い玉石が使われていた。
なぜ、白の玉石が使われていたのかは、掘り返されても跡が残るからである。
繭玉に焦げた稲穂と、干した?燻製状のネズミの腹子が入り、和紙で塞いで埋められたものを見つけた事がある。
調べたら、平安時代から続く呪いで、焦げた稲穂は芽を出さない。
飢えて死んだネズミの子は、食べ物を食べれない。
つまりは、子は成せず、食べ物に困るほどの困窮がある。富も無くなる(飢える)という呪いだった。
他にも、那智の黒石の玉石を使った場所や、三色石を使った場所。
家の裏手には、富士山を模した山があった。(山頂の石だけ富士山のもの)
犬小屋の場所が間違っていると、数メートル移動させたりと、神の加護だか、呪いの封じだかに心血を注いでいた家であった。
今、その家は長兄の家族も死に絶えて、200余りいた親族も40弱まで減っている。
そして、自殺も、他殺も、異常な事故(工事現場の足場の鉄棒が刺さって死ぬ。豚に追突され内臓破裂で死亡。など)でも死者が出ている。
加えて狂いも多い。
今の祖父母の家は、庭も切り売りされ、裏の富士山も山門も、我が住んでいた離れも無くなった。
嫁が来ても気が狂い、「隠れ」(家に閉じ込めている状態を、そう呼んでいた)からの、階段やらベランダからだの転落事故での死亡なども数人居た。
まあ、家の人間が殺したのだろう。
14歳で我が堕胎したときに、膿盆から手に取った赤黒くぺたぺたしたものを、縁の下に潜り込んで、大黒柱のもとに、埋めたせいもあるのかも知れない。
そういえば、「さかしまの木」とうのは、キリスト教の異端とされたグノーシス派でも良く使われる。異端、異形、もしくは、異常、つまりは、通常の反対なのだろう。
それだけ陸の孤島だった、あの土地は呪いが大きく育つ場所だったのだと確信している。




