4話 よりそう獣
この頃は、普通に周りの獣と意志の疎通が出来ていた。
子供の思い込みだったのかも知れないが。
優しい獣の最後の話である。
モツは好きだ。
しかし、子供の頃は仕方なく食べていた。
その頃の不思議な話をしよう。
祖父が他界し、暫くして祖母も体を悪くし入院した。
それを良い事に長男夫婦が家に入り込み、家財を物色しては連日運び出していた。
家と我の食事や風呂の世話をしていた女性も暇を出された。
その女性は関西のイントネーションが少しあり、(その頃は思わなかったが)綺麗で所作の美しい人だったので花柳界の出で親族の妾だったのだろう。
我の舌は薄味の関西なのだが(祖父母の家は北関東)、おそらく食べ物は全て、この女性が作ってくれたのだと思われる。
ある日の夕方、夕餉を持ってきた女性は普段ならば、すぐ居なくなるのに戻ってきて我の食事をしている離れの縁側に座り、三味線を弾きだした。
夕暮れの中、飯を食む我に、背を向けたまま静かに弾いていた。
細い首を覚えている。
この女性と言葉を交わしたことはなかった。
(我が人と話すことを家人は酷く嫌がっていたので、いつの間にか話せなくなっていた)
翌日、居なくなっていた。
それからの食事事情が厳しかった。
朝にお台所の勝手口に、我のお膳が地べたに置かれて、そこに一合くらいの大きなオニギリ(具なし海苔なし塩なし)が一つあるだけなのだ。
昼はもとより夜も出ないので、夜まで半分残そうとするも夏場は冷蔵庫もないので痛んでしまう。
本で調べて水で洗った後、乾かして「糒」(ほしいい)を作って備蓄したが、乾燥が甘くて黴が生えたりで腹を下すことも多かった。
犬父の飯は飯に味噌汁をかけたのが朝に出されていたし、近所からは鶏の内臓や養豚場から、使わないハラワタがあったので、拾ってきて煮て出していた。
食事がめっきり悪くなったので、我も犬父にやるハラワタを食べるようにしたのだが、臭み消しも調味料もなく、ただ作業小屋の七輪で鍋に湯を沸かし茹でるだけ。
内臓を湯がいたものに、糒を入れて雑炊のようにして食べるのだが、臭く、不味く、惨めで泣きながら食っていたのだが犬父が
「人は面倒だな。食べる物にまで貴賎があるとは」
的な思いを我に流したので、存える栄養だと割り切って食べることにした。
そんな暫くだったが、いきなり母屋が慌しくなり祖母の他界を知った。
沢山の人が出入りする中で親族が犬父を見て
「どうする?」
「明日にでも鉈でつぶす」
と言っていたので、
その日のうちに獣医に連れて行き薬殺してもらう。
獣医は何も言わずに我の願いを聞いてくれた。
犬父も何も言わずに我の腕の中で逝った。
獣医は一輪車(ネコ車)を貸してくれたので、山に埋めに行った。
穴が掘れ埋めようとしたときに犬父の体が弛緩して口が開いていた。
舌が外に出ていた。
犬は舌を出して体温調節をする。しかし、犬父は人がいる前では舌を出さなかった。
暑い日は、犬小屋に顔を隠して口を開けハアハアしていた。
ダラリと口から出る舌を見て犬父が死んだのを実感した。
犬父の舌は、蛇の舌のように真ん中で縦に切られている。
吼えられた長兄が、怒って切ったのだそうだ。
以来、犬父は吼えることはなかった。
そして、大人のいる前では口を開けることもなかった。
それでも、我の涙や傷を舐めてくれていた。
犬父の埋めた場所は、何故だか全く覚えていない。
深夜までかかり、獣医の家の裏口にネコ車を返した時には、どこの山に埋めたのか、どこの道から自分は来たのか、全く分からなくなっていた。
振り返ると、ただ真っ暗な道がいくつかあり、
それは本当に真っ黒な世界だった。
夜が明け、式の準備でざわざわとしだした。
誰もが忙しくしていたので勝手口から入り、お台所の食べ物など手に入れやすく、久しぶりに腹を満たした。
夜になると大人に酒が入り、そうなると離れの我の住まいに一人で居るのは危なくなる。
酒の入った男から逃げるには、人目から離れて且、出入り口が限られた場所は避けたい。
毛布と食べ物を持ち出し、母屋の縁の下にもぐりこむ。
祖母の安置されているであろう場所の下に、浅く土を掘りそこで数日を過ごした。
何か祖母の気配?は験は?痕跡は?と思ったが何もなかった。
それから1ヶ月ほど前の生活に戻った。
母屋では、相変わらず親族が集まり、財産やらでゴタついている。
朝に大きな握り飯をもらい、夜に自分のためだけにハラワタを煮て、たまに近付く親族に嘲られる。
そんな日の夜だったか、夢だったか。
母屋の上から津波のように大きな黒いものが覆いかぶさろうとしていた。
黒いものは空を真っ暗にしていて、空気は緊張でガラスの割れる直前のように危険だと振動していた。
我は妙に冷静なのか麻痺しているのか
(ああ~コレに家も全部飲み込まれてしまうのか・・・)
とぼんやりと考えていた。
その時、背中から脇を温かいものが通り、我の前にきた。
何も見えない。光もない。でも、額に温かいのを感じる。
「ワタを喰う子供は、許してやっては、くれまいか」
「見逃してやっては、くれまいか」
温かい何かは、巨きな黒いものに向かって誰かの命乞いをしている。
額と鼻と頬に温もりを感じる。
何かは我の頭の高さで黒い津波と対峙している。
世界は真っ暗に覆われ、空気はビリビリと振るえ
ヴーーーンだかウーーーンだかの激しい振動をして終わった。
そんな夜の出来事だったか
夢だったか。
何も分からないが
家にかぶさろうとする黒いものも、
温かい何かも、
それが言った意味も。
犬父は生前、心を閉めることなく我に流してくれていた。
なので、犬父の言葉を聴いたことはない。
それでも、なんとなく犬父が、
我を何かから守ろうとしてくれたのではないかと思っている。
猫母が居なくなったのは9歳。
祖母が他界し、我が犬父を殺したのは10歳の時だった。
祖父母の家は大きく、神事などを取り仕切ることも多く、人も金も集まる家だった。
しかし、親族は酷い性格を持ったものばかりで、使用人や妾など弱者は惨い扱いを
受けている者も少なくなかった。
神の加護と人の呪いを同時に受けて、それが蓄積されているような家だった。
唯一の人格者だった祖母が他界したことにより、神の加護が外れ、人の呪いの
集合体の様なものが家に覆い被さったと感じている。
犬父は我が殺すことを知りながら、黙って一緒に歩いた。
未だに思い出すと悔しくて苦しくて、声が出そうになる。