茅葺き屋根の家2
祖父の葬儀は、自宅で行われた。
1907年に建てられた祖父の家は、歴史の教科書に載っている「江戸時代の豪農」の家のように立派で大きかった。象徴ともいえる茅葺き屋根は往年の威光を示し、わたしはそれを見る度、不思議な安堵感に包まれるのを感じていた。
けれど、ある日突然、その「象徴」は消えてなくなった。
「ある日突然」ではなかったのかもしれない。
毎年、冬が近付くたびに「今年の雪下ろしはどうする」と大人たちが相談していたのを、わたしはこっそり聞いていた。手入れの大変さも、葺き替えには莫大な費用がかかることも、大人たちの会話から、まるで知ったつもりになっていた。
けれど、わたしは本当に、何も分かっていなかったのだ。
母家の一部を壊して屋根面積を小さくし、ガルバリウム鋼板の屋根が乗った祖父の家は
かつての姿が想像できないほど自信と光を失い、立派なのになぜか、みすぼらしく見えた。
ひんやりと冷たい金属鋼板が、何百年も前からずっとそこに存在していたかのように我が者顔で君臨している姿に、わたしは軽い吐き気さえ覚えた。
融雪パイプが内蔵されているという最新式の設備は、謳い文句通りなら、屋根に積もった雪を自動で溶かしてくれるという立派なもので、じんわりとあたたかく、時折家がささやくように誰かの声が聞こえるような気がした祖父の家は、スタイル抜群で聡明な「美人屋根」に生まれ変わった。
そして二度と、不思議な声が聞こえることはなかった。
冬の雪下ろしが難しくなってきたこと、祖母の認知症が進み、自宅での介護が難しくなったこと、跡継ぎの伯父が癌で亡くなったこと。難題が押し寄せるたびに、祖父の家は「手入れが大変だから」という理由で小さくされた。その姿はまるで、祖父の寿命とともにその役割を終えようとしているかのようだった。
「おじいちゃん、百歳まで生きると思った」
斎場でわたしがつぶやくと「そうだねぇ」と母がうなずいた。「でも、表彰される直前でふいっといなくなるなんて、あの人らしいわ」
来週には、市から長寿の表彰状と金一封を持った職員が、祖父のもとを訪れることになっていた。
そんな百歳の誕生日月に、祖父は亡くなった。目立つことが嫌いな祖父らしい死に方だ、と母は言った。
わたしたちは、みんな、祖父が大好きだった。