茅葺き屋根の家
祖父の家は明治時代の建物で、築百十年近く経っているらしい。
今は合併して「市」になったが、かつて町役場だった時代のお偉いさんから
「あまりにも立派な建物なので、町の文化遺産にしてはどうか」と何度も打診があったという。
「維持費と管理の手間を子や孫に押しつけるわけにはいかない」
と、祖父が頑なに登録を拒んだそうだが、
「いつも静かに笑っている人だったよね。そんな頑固に反対するのとか、想像できない」
と、わたしが言うと
「昔はそりゃあ怖かったのよ」
と教えてくれた母の笑顔が、どこか寂しそうに見えたのを、まるで昨日のことのように思い出す。
祖父は3年前、百歳の誕生日を目前に九十九歳で亡くなった。
祖父が好きだったサトイモが、珍しく大量に花を咲かせた年だった。
祖父の家があるのは、新幹線の越後湯沢駅から車で一時間以上かかる山の中である。
「星峠」と呼ばれる棚田が、アマチュアカメラマンの撮影秘蔵スポットとして、一時期有名になった。
今にも降ってきそうな満天の星空と、そこから見下ろせる美しい棚田が絶景の景色をつくりだしていたのだが、最近は耕作放棄地が増えたせいで、水田に張った水が鏡のように見える「水鏡」が減ってしまった。そのせいだろう、写真を撮りに訪れる人の数も一時期に比べてずいぶん減ったと聞く。
農作業には好都合だが、観光的にはさぞダメージが大きいだろうな、などと考えてしまうのは、何も分かっていないヨソモノの見解か。
祖父の家のある地域は、11月から5月のゴールデンウィーク終わり頃まで、一年のおよそ半分が雪に閉ざされる豪雪地帯だ。限界集落の過疎地で、コンビニもファーストフードもない。昔は子どもがたくさんいたそうだが、今ではお年寄りがまばらに残っているだけで空き家ばかりが目立つ。
学校も役所も、統廃合でなくなってしまった。
市町村合併で町が市になった時に「町のままでよかった。このままじゃいずれ、役場も学校もなくなる」と祖父が心配していたが、「合併」というガン細胞がじわじわと町中に広がっていくように、かつての「町」は色を失い、しおれていくように見えた。
まだ祖母も生きていた頃は、両親と何度も泊まりに行った。
真夏だというのに、花火をしに出た外は、すこしひんやりしていて、本当に落ちてくるのではないかと思えるほどたくさんの星が、競い合うように頭上にまたたいていた。
ネオンや街灯がない夜空は怖いくらいに真っ暗で、永遠に思えるほど彼方まで広がる星空は、プラネタリウムで見るよりずっと美しかった。
霞んだ雲のようなものが「天の川」だと教えてくれたのは祖父だ。野生のカブトムシやクワガタ、ホタルを初めて見たのも、祖父の家の裏山だった。
「デパートで売っているものだと思ってた」とわたしが話したら、「ほっか、ほっか」と笑っていた祖父が、この世にもういないということを、わたしは時々、忘れそうになる。