ゲーム化した世界描写について:小説表現についての雑談
なろう発の異世界系によく「レベル」とか「経験知」とか「パラメーター」とかありますけど、あれのことをゲーム化した世界描写と読んで話を進めたいと思います。
もっと具体的に言うと『灰と幻想のグリムガル』とか『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っている』とか『この素晴らしい世界に祝福を』とかに出てくるあれですね。
そんなに強い批判意識があるわけじゃないんですけど、自分はこういった設定あんまり好きではないです。なんか急にその世界の作り物っぽさがが増しちゃうような気がするんですよね。誤解のないように言っておくと先に挙げた作品、いずれも総合的には好きです。
『このすば』に関して言えば作品自体にRPGパロディ的な性格もあるので、この設定はむしろあったほうがいいと思います。カズマの運が低いとかアクアの知力が低いとかギャグにもなってるし。
あと『ログ・ホライズン』みたいに実際にゲームの世界に入り込んでしまった話だったり、のちのちゲームの世界であることがわかるようであれば納得は生きます。
あとたとえばとあるシリーズとかにも超能力のレベル概念がありますが、ああいう風に現象なりが先にあって研究者なり客観的判断を下せるとされる人物が数値化するのはこの議論の範疇には入りません。
この設定に対してよく作者や支持する読者のゲーム脳が過ぎるという批判はありますが、私はそれが理由だとは考えていません。
実際にゲームや漫画と現実をごっちゃにした人というのはこれまでほとんどいなくて、ゲーム脳ではないかと言われた代表的な裁判も無罪を勝ち取る戦術だったことが指摘されていますから。ゲーム脳といったものをそもそも信じていません。
ですから何か演出上の狙いがあると思うのです。ここからが本題ですがどのような演出上の効果が期待できると思いますか? 私が今思いつくのは以下の2つです。
①意図的に世界に人工物感を出せる。⇒どういうときにこういう効果を期待するのでしょうか。たとえば実は夢の世界だったとか、実はゲームの世界だったみたいな大技を仕込んでいる場合とかが考えられますね。
②わかりやすく登場人物たちの力の差や拮抗具合を描写できる。⇒あんまり好きではないと言っておいてなんですが、やっぱり「前人未到のレベル○○」とか言われると中二心をくすぐられますね。
あまり結論を出すような話はできませんでしたが、読んでくださった皆さんからも意見を伺えれば幸いに存じます。あとこうした描写の走りがなんだったのかというのも気になっているのですが、もしご存知の方がいればご教授ください。