第12話 幼馴染の肌の弾力性
…状況を整理しよう。どうして俺は今ここにいるのか。
それは体を洗うためだ。飯を食う前に時間が空いたから風呂に入る。それだけのことだ。何ら問題は無い。
そして今俺は体…といっても部分的に見れば髪を洗っているがこの場では体という括りにしよう。それもまた当然だ。体を洗うために風呂に入っているのだ。リラックスするとか気を休めるためとか精神的な理由はあるにしろ、風呂というか水を浴びる習慣は世界中で古来より風習として根付いている。
湯船があるとかないとかの話は別にしても、多少の違いはあって当然。要するに湯浴みという文化はどの場所でもあったのだから、この『体を洗う』という行為自体は何の問題も無い。
そう、自分の体であったのなら。
「きゃっ…アヤくんくすぐったっ…ひゃぅ!」
「おいやめてくれ変な声を出すな…っ!?」
「だってだって…!耳触られると私弱、いの…っ!」
目の前にはシャンプーの泡と真っ赤に紅潮した肌、透き通るような白髪があった。紅くなっているのはのぼせそうになっているからか、はたまた異性に一糸まとわぬ姿を見られているからか、自らの弱い部分を刺激されたことによる羞恥からか…。
しかしこの状況が、明らかに健全なものではないということは誰の目にも明らかである。打開しようにもエレナは動くつもりがないようだし、余計な事を言われても困る。個人的に嫌ではないだけに強硬手段を取れずにいるのだ。
「耳元もしっかり洗わないと。昔からなんかこのあたり触ると恥ずかしがってたよなお前。…俺も恥ずかしいんだからじっとしてくれ」
「う、うん…優しくしてね?」
「言葉選びが一々いやらしいんだよ」
わざとかそうでないかはわからないがともかく発言の節々に卑猥なニュアンスが含まれてしまっている辺りがもうやばい。音声だけ聞くと本当に問題かもだ。
指通りの良い髪の毛の間に指を通しながら丁寧に洗っていく。繊細なガラス細工のようにすら思えてくる美術品めいた美しさ。傷つけないように手先も慎重になるというものだ。
このような行為は初めてではないとはいえ、俺だって男子だ。性欲だって人並みにはある。こんな状況にもなれば然るべき部位には然るべき反応が起こり得る。
これは人間として正常な反応であって俺は悪くない。
「アヤくん、そろそろ流してもいいよ。というかいっつもこんなに時間かけて洗ってないからちょっと落ち着かない…」
「髪は女の命っていうくらいだし大切にしなきゃだめだぞ」
「ふふ…いまのお姉さまの受け売りでしょ」
「よく分かったな…流石長年の付き合いは伊達じゃないってことかな」
「それもあるけど…アヤくんのことは何でもわかるので、そのおかげだと思うな」
「今の気持ちを当ててみろ。そしたらなんかしてやる」
我ながらあまりにも対価が適当過ぎたが、髪の泡を丁寧に洗い流しながら質問を投げかけておく。にしても目に毒である。
蜃気楼を思わせる純白の肌には染み一つなく、鏡ごしに見える前面には女性を象徴するには十分すぎるほどの双丘の膨らみとその頂点にある紅が確かにその存在を主張していた。よく漫画やアニメとかで謎の光や湯気さんが出てくるが現実にはそんなご都合主義、あり得ない。包み隠されることなどほとんどないのだ。
ありのままが今目の前にあるという事実だけで俺の思考回路はショートしていく。
一言で言おう。えっちだ。
「んー…『おっぱいがえっちだなぁ』とかかな?あっ、別に怒ってるわけじゃないよ?見られて困るならこんなことになってないし!」
「概ね当たってるから反論はできないってのがほんとにつらい」
「アヤくんほんとおっぱいすきだから…ベッドの下の書物もおっぱい率たかめ」
なんだよそのパワーワード。というか何処から情報が漏れた…って明らかに姉さんからだ。少し管理も気を付けるべきか、いやいっそのことすべて電子化してしまうのはどうだろうか。
これ以上情報を握られてはたまらない。もはや手遅れのような気がするのだがそれはそれ。
その後リンスを経て、エレナ氏の無茶ぶりがやってきた。
「じゃあ次体お願い」
「それ以上はR18なのでアウトです」
「…はい」
流石に俺のマジトーンに「確かにまずいな」と思ったのかはわからないが、一応引いてくれたことに安堵。実際に体でも洗おうものなら理性など一瞬にて蒸発してしまうに違いない。魅力的すぎる提案だっただけに自らの選択が少し――いやすごく――悔やまれるが過去ばかり振り返っていても仕方がない。
「じゃあちょっと湯船の中でお話しよ?ね?いいでしょ?」
「なっ、お前自分が何を…ってやめろその捨て犬みたいな表情で見るな」
「ちょっとだけでいいから!先っちょだけ!」
「そのセリフは何処で覚えてきたんだ。というか逆だろ立場が」
…潤んだ瞳。上目遣い。美少女。
――人とはある特定の条件がそろった時、断ることができなくなるということを今身をもって知ることになった。
先ほどの提案が過激だっただけに『まぁこれくらいならいいかな』という心理が働いてしまうことを知っているにも関わらず、俺にはそれを拒むことができない。
自らの意志の弱さを知ることになってしまった。
「ふぁぁ…」
「おー…」
二人して口から声が漏れる。お湯が肌を包み込み、自然と口から声を出させてくる。
おじいちゃんがよく温泉でいろいろつぶやく気持ちが分かった気がする。
高齢者にもなればこの現象は更に起こりやすくなるのだろう。
何かを持つ時に『よいしょぉ』とかいう具合に。
一般家庭の湯船であってもそれは共通の様だ。少なくとも俺たち二人にとっては。
「やっぱ風呂っていいな。ロシアじゃ湯船の中で体洗うんだっけか?」
「…よく知ってるねアヤくん、その通り…といってもうちはお父さんが日本大好きだから日本と同じようにシャワー浴びて湯船に入る感じ。他の子たちはさっきアヤくんが言ったように一人一人お風呂のお湯入れ替えるんだってさ」
風呂といっても国によって文化は違ったりする。ロシアは日本と比べ物にならんくらい寒いからそういう文化になってるのかなぁ、と思ったり。
「それよりアヤくん、いつになったら結婚してくれる?」
「急に何を言いだすんですかエレナさん」
「…?おかしなこといった?」
こくんと首を傾げる動作はいつ見てもかわいらしいのだが…会話に脈絡がなさすぎるのではないか?唐突にこんな話を切り出されても困る。
「もしかして…嫌?」
「そんなわけない…っていや、その…なんでまた急に?」
「アヤくんが他の女の子に取られちゃうんじゃないかと思って…きっと私のことは何があっても大切にしてくれると思う。多分これは自惚れじゃなくてホントの話。
でもそれじゃだめなの。私はアヤくんの『一番』じゃないとだめなの。わがままだって分かってる。傲慢だってことも理解してる。
それでも…私は…」
気が付けば俺はエレナを抱きしめていた。
互いに一糸まとわぬ状態で。端から見れば完全にアレかもしれないが、純粋に何書こうしなければならないという感情が俺の中からわいてきた。
『エレナを悲しませないためにはどうしたらいいのか』『こいつのためには何ができるか』そんな感情が胸中に渦巻く。
冗談で言っているのかと思ったがきっとそれは違う。冗談が完全にゼロとは言わない。けれどもこいつの真意はそれじゃない。
独占欲。卑しい感情ともよく形容されるが、俺は純粋にうれしかった。大切な幼馴染が自分に対してそのような感情を抱いてくれるのが。
「アヤくん…?」
「俺は、エレナだけしか見てないよ。昔っからずっと。むしろ怖かったのは俺の方なんだ」
自分でも何を言っているのかわからない。けれども感情が、言葉が溢れてとまらない。まるで今までの空白の数年間を埋めるように。募った思いを吐露するかのように。
「俺の知らないところでエレナが他の人のものになってたらどうしよう…ってずっと思ってた。俺のものだなんて驕るつもりは毛頭ないにしろ、きっとどこかで一緒にいるのが当たり前だと思ってたんだと思う。だからエレナが居なくなった時俺はすごく狼狽した。二度と帰ってこないのかと思ってみっともなく取り乱したもんだ」
一時期。ほんの一時期ではあるが俺は酷く荒れていた時期があった。明川くらいしか知らないが、周囲に当たり散らしていた時期があったのだ。
職員室に呼び出されたりすることも二度三度あったし、周囲からの評価は下がるというよりどう対応すればいいのかわからないという物だった。
「だからエレナ。俺は…多分、きっとエレナのことが…」
互いの心拍数が触れた肌越しに伝わっている。溶け合ってしまいそうなほど昂った感情は今にも暴走しそうで。きっとこのまま俺たちは――。
「二人とも大丈夫…?料理あらかた終わったけど…ッ!?」
「「いやそのこれはっ」」
「ごゆっくりぃ…おねぇちゃんはお赤飯の準備してくる…」
「「まって」」
本当に絶妙なタイミングで介入してくることに定評のある我が姉である。
閉じられたドアを二人で見つめ…。
「あがるか」
「そうだね…」
空気が重くなったのは言うまでもない