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精霊の祝福

 気分は最悪だ。これ以上ないくらい最悪だ。この世全てが滅んでしまえば良い、とさえ思う。何もする気が起きない。昨日から何も食べていない。腹は空かせているはずだが、そんなことさえ麻痺してしまうくらい気持ちは疲弊している。


 ユズリハは寝台に寝そべったまま、無気力に窓の外を眺めていた。明るい日差しが彼の部屋に注ぐ。部屋の中や自身の植物は嬉しそうに太陽へと手を伸ばす。


 忌々しい、この植物も自身に巣食うこの月桂樹も。焼いてしまいたい。

 そんな時だった。聞きたくない声が能天気に扉から飛んで来た。


「おはようございます、ユズリハ様!」

 カレンだった。


 今すぐ追い出してやりたい。自分との結婚が契約結婚だと彼女は分かっていて近付いて来たのだ。叔父に報酬をちらつかせられたのだろう、そうでないと化け物である自分に優しくするわけがない。

 そう考えれば、彼女の優しさを真っ直ぐ信じる事が出来なくて恐ろしくなる。あの笑顔は、あの声はあの目は――全て嘘なのか?


「ユズリハ様……? どうかされましたか? ご気分でも優れませんか?」

 うるさい、どうせ心配している振りをしているのだろう。

 どいつもこいつも誰も見ない。


「黙れ……君も本当は僕の事が嫌いなんだろ!」

 声を枯らしながらそう叫んだ。部屋の中の植物も月桂樹もざわめく。

 力が溢れてくる。植物は禍々しく、歪に伸び部屋の壁をつたう。


「そんな事あるわけないじゃないですか! どうしていきなり……」

「本当は妻じゃないだろ! 1年経てば君はここから居なくなる。そういう“契約”なんだろう!! そんなに辺境伯の地位が欲しいか? 財が欲しいか? こんな化け物を相手にしてまで……全部演技だったんだろう! 消えろ、二度と僕の前に現れるな!」

 どうしてか涙が溢れてくる。彼女に裏切られたのが悲しいか? そんなの始めからだ。

 孤独が怖いか? 初めから1人じゃないか。お前には誰もいないだろう。


 闇を見る度に植物は異様に成長し、扉の隙間をぬぐって向こう側まで侵食していた。何かの植物のトゲでも当たったのか、カレンの悲鳴が聞こえる。

『ちょっとこの引きこもり野郎! 血が出ちゃっているじゃない!』

 カレンじゃない声。たまに聞こえてくる誰かの声。だが、そんなのどうでも良い。

 彼女が傷付こうが何だろうが自分には関係ない。




 ユズリハの部屋から伸びた植物で手を切った。白い肌から真っ赤な血が滴り落ちる。隣でフルールが喚く。まずい、彼の心がどんどんと傷付いていく。ユズリハはこの傷よりも辛い痛みに耐えているのだ。


 そんな中、ふわりと何かの花の香りが漂った。フルールではないその香りに、主を探すとすぐ隣に立っていた。


 前に見た濃紺の美女。そして――

「あなたがユズリハ様のお母様……ダフネ様」

 声を持たぬ精霊の魂は頷く。その切なげな表情に彼を救って欲しいという明確な意思が見えた。


「ずっとユズリハ様の傍にいたんですね。ユズリハ様の能力は呪いでもなく、あなたがかけた精霊の祝福……」

 ダフネは強く頷いた。カレンは血が出る手を握りしめる。


 彼を助けたい。孤独から救いたい。自分がそうであったように、彼も誰かに助けを求めている。

 変わりたい、彼の為に。受け入れてあげられるほどの強さが欲しい。


「わたしは行かなくちゃ……ユズリハ様の所へ! フルール、お願い。力を貸して!」

『分かったわ』

 フルールはそう言うと、扉の向こうに自生する桜の木を操る。

『ちょっと、月桂樹のおばさん! あんたも手伝いなさいよ!』

 心配そうに見つめるだけだったダフネに喝を入れる。フルールにそうどやされたダフネは、おばさんと言われた事に少々ムッとしながらもフルールと同じように植物を操る。

 向こう側から施錠されていた扉が、精霊達によってこじ開けられた。


 露わになった部屋は、ユズリハの心の奥を映しているようだった。

 部屋中を覆い尽くし、扉さえ塞ごうとする植物たち。ダフネが贈り物としてかけた精霊の祝福が、彼の心によって暴走していた。


 入ってこようとするカレンを拒むように植物たちが、腕や足に強く絡みついてくる。棘が刺さり、至る所から出血したがカレンは前へと歩むのを止めない。


「ユズリハ様……お願い、わたしの話を聞いて下さい!」

 しかし、彼は強くカレンを拒む。絡みついてくる植物の力が一層強まる。

「来るな、来ないでくれ、嫌だ、信じた相手に裏切られるのは嫌だ、1人は嫌だ、頼むから、僕に近付くな!」

 植物が、彼の体に自生する月桂樹がカレンを捕える。身動きがとれない状況で、カレンはユズリハを見据えた。


「わたしも傷付くのが怖かったんです。色々な事をユズリハ様に隠していました。精霊の愛し子だったわたしは、同年代の子達から距離を取られ、いつも孤独でした。大人達はみんなわたしを巫女様だの何だの言ってはいるけれど、誰も本当のわたしなんて見てくれない……。その事をユズリハ様に告げたら嫌われちゃうかも、って思ったら怖くて言えなくて。本当にごめんなさい」

「僕達の結婚は契約だ、仮初の物に臆病になる必要なんて無い」

「……初めは仮初でした。わたしも誰かの役に立つなら、そう思ってここに来ました。でも、あなたを知っていくうちにあなたに嫌われるのが怖くなって、あなたを考える時間も増えて……あなたと話が出来るのが幸せで……」

 初めは全く相手にされなかった。手料理を作って持って行っても、部屋の前に置いておくだけの日々。酷い時など食べてさえくれなかった事もある。でも、次第に彼との距離が縮まり少しずつ知っていく程どれだけ優しくて、どれだけ孤独なのか分かってしまった。

 自分と似ている部分を見つけてしまえば、カレンにはもう他人事でいられなくなる。


 心の底から彼を助けてあげたい、と願うようになった。


「わたし……あなたに恋をしているんだと、思います」

 真っ直ぐ見つめたユズリハの表情は驚きでいっぱいだった。いつも興味なさそうな瞳が、今は見開かれダークブラウンの水晶いっぱいにカレンを映す。


「それと、ユズリハ様。あなたは1人じゃない、アサギリ様もクレストおじさんも、奥さんも……。あなたのお母様も傍にいる。胸に生えるその月桂樹がその証です」

「嘘だろ……母さん、僕一人だけ生き残ったのがそんなに憎かったのか! こんな呪いをかけるほどに!」

 頭を抱えるユズリハに共鳴するように、植物が不気味にざわめく。


「違う! 呪いなんかじゃない、祝福です!」

「祝福だと!? これの一体どこが! 気味悪がられるだけでなく、傷つけたくないのに誰かを傷つけてしまうこれが、呪いじゃないならなんだっていうんだ! 僕を化け物にしたこれが祝福だと馬鹿げた事を言うな!!」

「守りたかった! あなたを! お母様はあなたを大事に思っていたんです!」


 その時、カレンを拘束していた植物が緩まった。体に巻き付く植物から逃れ、カレンはユズリハに近付く。


「嘘だ……呪いなんだ、これは」

 彼の瞳から大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちる。まるで小さな子どもがぐずるように、感情を吐き出していく。

 カレンはそっと手を伸ばすと、彼の頬に触れた。柔らかくてとても温かい。


「嘘なんかじゃない、目に見えていなくても彼女は魂になってもあなたを愛しています」

 カレンは煙管を取り出し、息を吹く。豊穣祭で鏡写しを行う為の煙管だ。

 泡にはダフネの思い出や感情が映し出される。幸せそうに微笑むダフネとオリーヴェだろう男性。ダフネの腕には幼きユズリハが穏やかに眠っていた。幸せの記憶。

 それを見たユズリハは声をあげて泣いた。

 子どもをあやす様にユズリハを抱きしめる。ユズリハはカレンに身を任せて、泣き続けた。


「お母様はあなたを呪うような人じゃないでしょう。思い出して下さい、優しかった事、温かかった事を」

 しばらく泣き続けるユズリハをカレンはあやし続けた。

 孤独だった彼は不安から闇を見ていた。半分、足を踏み入れていたようなものだったと思う。でも、今、腕の中で泣く彼の目を見てカレンは安心した。


 顔をあげると目の前にダフネがいる。まるでお別れを言おうとしているかのような、そんな表情でカレン達を見つめている。

「ユズリハ様、目の前にお母様がいらっしゃいますよ」

 カレンの指差す方を見やるユズリハ。精霊を見ることは出来なくとも、十分愛された精霊の愛し子だ。

「母さん……」


 ユズリハを見てふわりと笑うダフネ。美しいその笑みには、一筋の光が流れていたような気がした。ちゃんと見る前にダフネは光の粒となって、昇っていったのだ。


「愛されていたんだ……僕は生きていて良いんだ……」

 彼がそう呟いた瞬間、胸に生えていた月桂樹も部屋を覆い尽くしていた植物も光の粒となってダフネと共に消えていった。

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