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軋む音

「いやぁ、最近表情が明るくなったなぁ!」

 稽古終わり、アサギリは肩を抱きながらそう言った。顔が近いし、こんな昼間からお酒の匂いをぷんぷんと漂わせている。

「……」

「やっぱりあの子のおかげかぁ?」

 顔を綻ばせながらアサギリは小指を立てる。鬱陶しいが、彼の言っている事は図星なので何も反論出来なかった。それにしても自分はいつの間にか、彼女と婚姻関係を結んでいたんだなぁとしみじみ思う。引きこもりで他人と接しようとしない自分の身を心配して、叔父はお節介を焼いたのだろうが、初めは本当にその気持ちが腹立たしかった。


 幼かったユズリハを引き取り、ここまで育ててくれた事には勿論感謝している。しかし、もう彼とて大人なのだ。深い干渉はして欲しくなかったが、ここ最近カレンを知るにつれ、そんな叔父のお節介にも感謝しつつある。彼が行動しなければ、ユズリハは彼女と出会わなかったからだ。


「僕は……ずっと彼女にここに居て欲しいと思っています。彼女といると、楽しいし何より笑顔が僕を温かい気持ちにしてくれる」

「お前達は夫婦だろぉ? 離れようにも離れずにすむだろ」

「そうですけど……」

「あ、ちゃんと親御さんに挨拶はしたか?」

 アサギリに言われふと気付く。そういえば……していない。

 黙るユズリハにアサギリはため息と共に額に手を当て、小さな子どもに言い聞かせるように言う。


「世間では婚約したら花嫁の親に挨拶するのが基本だぞ。お前、引きこもり過ぎて一般常識に疎くなったか?」

「…………うるさいですね。常識より良識があれば十分です。良識のない師匠よりマシだ」

「んだとぉ!」


 反撃されて大人げなく剣を振ってくるアサギリを避けながら、挨拶について叔父に聞いてみなければと考えるユズリハだった。



 叔父の部屋は屋敷の最上階、廊下の突き当たりの大部屋である。書斎兼重鎮を招く客室として使われている。重厚な扉を数回ノックし、中の物音を聞く。

「クレスト叔父さん? いますか?」

 返答はない。いつもなら引き返して勝手に書斎に入ることなど無いが、今日は何かの気まぐれでゆっくりとドアノブを回した。


 久しぶりに入った叔父の書斎は、埃っぽく少しの間使われていないようだった。使用人達が掃除をしているので、棚や机上には埃は無いものの、こもったような空気が部屋を漂う。


 その日は本当に気まぐれだった。いつもならしない事を何故か今日はしてみたくなる。

 机上に見つけた手紙も、それを読む事も何かの気まぐれだったのだろうか。


『親愛なる我が友人 クレスト・ロールデンバーム


 娘は元気にやっているだろうか? 病気はしていないか? そちらの暮らしに馴染んでいるだろうか? ちゃんと食事はしているか? お父さんに会いたいと言っているか? スターチス辺境領はシュタッヘルよりも寒いと聞く。カレンが不自由ないように便宜を図ってくれないか? カレンは本当に良い子で可愛いだろう?


 クレスト、君がカレンを甥の妻にしたいと言い出してから数か月経つな。私は最愛の娘を君に取られて本当に悲しいよ。毎晩君に呪術をかけたいくらいだ。でも、それも後数か月我慢すればカレンは戻ってくる。契約結婚の期間は1年だからな。いいか、クレスト。1年だぞ。それを忘れるな。


 落ち着いたらまた釣りにでも行こう。

                                  ヌルデ』



 気付けば手紙を握りしめ、机に叩きつけていた。拳が赤くなり、衝撃で痛みを伴ったがそんな事はどうでも良い。心臓に生える月桂樹の花がうごめくような気がした。


 右腕にかけて生える枝葉はまるでユズリハの内心を映し出すかのように、急激に伸び蠢いていた。


「……契約結婚だと? 騙していたのか? 僕を?」


 呆然と立ち尽くすユズリハ。瞼を閉じればカレンの天真爛漫な笑顔が浮かぶ。

 あの笑顔も、自分に向ける声も目も……全ては仮初だったのだろうか?



 ◆ ◇


 屋敷の花瓶に水を与えていると、久しい声が聞こえてきた。

「ああ、そういうのは使用人にさせておけばいいさ」

「お久しぶりです、クレストおじさん」

「元気だったかい?」

 彼と会うのは数週間、下手をすれば1ヶ月は見ていないだろう。辺境伯の仕事は忙しいのか、しょっちゅうどこかへ出掛け屋敷を留守にしているのだ。


「ユズリハはどうしているかな? 打ち解けたかい?」

「はい……でも」

「ん?」

 ずっと彼に聞きたかった事がある。屋敷に初めて来た時から覚えた違和感は、心にずっと残りまるで出来物のように膨らんで邪魔をする。


「お屋敷でクレストおじさんとユズリハ様が一緒に居るのを見た事が無いなって。2人は家族ですし、それが不思議で……」

 言いづらそうにクレストの顔色を窺いながらカレンは訊く。

 すると、彼もまた言いにくそうに答える。


「あの子はね、私の弟の子どもなんだ。彼を引き取ったのは3歳だったかな……彼の両親が亡くなってからユズリハの体に植物が生えるようになったんだ」

 脳裏に彼の姿が思い浮かぶ。胸にあるのは薄黄色の小さな花々、そして濃い緑色の枝葉が伸びる右腕。自身の事を“化け物”だと言った彼の悲しげな顔が頭から離れない。


「私や妻も本当はあの子を人間として接してやりたかった、そうしようと努力した。でも、心からあの子の側に居てやる事は出来なかったんだ……。あの子もそれを知っている。だから私に近付こうとしないし、私も近付かない。全ては我々が悪いんだ、あの子をあんな風に追い詰めてしまった事、傍に居てやらなかった事。私が臆病者だから……あの子に会う権利が無い」

 苦しげに吐露するクレストはずっと悩んでいたのだろう。カレンはフルール達と違って感情の波は見えないが、それでも痛いほど分かった。長い間ユズリハの事、ユズリハとの関係を悩み、変えようともがいたのだろう。

 しかし、彼の容姿を心から受け入れる事が出来なかった。そんな自分を激しく後悔し、嫌悪している。


 ユズリハにもそれが伝わっているからこそ、クレストは会わないようにしているのだろう。これ以上、彼を傷付けまいとするクレストなりの愛情なのかもしれない。

 だが、カレンにはそれがユズリハの為にはならないと思った。


「クレストおじさん……会う権利が無いなんてご自身で決めつけないで下さい。おじさんにその権利があると決めるのはユズリハ様です。失礼を承知で言います。おじさんは理由を付けて逃げているだけなんです。どうかユズリハ様に寄り添ってあげてください。あの方は孤独の中、必死に誰かを求めている……人は1人じゃ生きていけないのですから」

 はっきりとクレストの目を見てカレンは言った。

 この言葉で温厚なクレストを怒らせるかもしれない。それでも伝えたかったのだ、彼の孤独を、彼の苦しみを。分かってあげて欲しかったのだ、クレストはユズリハの家族だから。


 カレンも孤独だった。精霊の愛し子だという事で同年代から避けられる日々。それでもカレンにはフルールもいたし、何より父がいた。自分を真っ直ぐ愛してくれる父がいたからこそ、カレンはここに居るのだ。

 ユズリハにはそうした真っ直ぐに愛して欲しい存在がいるのだろう。彼の過去はまだ詳しく知らない。彼の事もまだ知らない事だらけだ。でも、これだけは言える。彼は愛されたいのだ、と。孤独から救って欲しいのだ、と。愛情を向けて欲しい人間がいる、と。


「……そうだな、君の言う通りだ。大切な事に気付かせてもらったよ、ありがとう」

「いえ、ご無礼をお許しください」

「気にしないでくれ。カレン嬢、ユズリハの母親が残した手記が私の書斎にある。良かったら読んでくれ。ユズリハの事を……頼んだよ」

『カレンに頼んであんたはまた逃げないでしょうね』

 晴れやかな表情で語るクレストにフルールはちくりと釘を刺す。


「はい、クレストおじさん」

 カレンはそんなフルールの様子に苦笑を浮かべながら、クレストに応えた。


 クレストに教えてもらった書斎はとても広く、たくさんの書物が書架に並べられていた。

『ちょっとここ……埃っぽいわねぇ』

 彼女の言う通り、手入れはされているものの普段からそう使われるような場所ではないらしい。最も、この部屋の主が屋敷自体を留守にしがちなのだからそうなるのだろう。

「これ、かな?」

 言われた書架に該当の物はあった。ユズリハの母ダフネの手記だ。


 古びた羊皮紙の表紙を開くと、中の頁もところどころ千切れかけている。おそらく、10年20年くらいのものだが、損傷は激しかった。

 中を開くとかなり達筆な字が書いてある。


 X年 収穫月


 夏に向かっていくこの季節。私達、草木の精霊も活発になる時期に彼と出会った。

 彼の名はオリーヴェ。どうやら私達が見える“精霊の愛し子”。しかも男性の。


 草木の泉に迷い込んだのね、残念、男子禁制なの。女王様にバレたら彼の能力は奪われちゃうから私が隠れて逃がしてあげた。もうここに来ちゃいけないわよ、って最後に言ったの。でも、去って行く彼の姿を見ていたら何だか寂しくて、胸が苦しい。



「ど、どういうこと……? ダフネさんって精霊……なの?」

 そこに書かれていたのは、ユズリハの母ダフネが草木の精霊だということ、おそらくこのオリーヴェという人間が父親なのだろう。その人物がカレンと同じ精霊の愛し子だということだった。

 信じられないままページをめくる。その手が止まらない。



 Y年 雨月


 今思えば、あの出会いで私はオリーヴェに一目惚れしたのかも。そして彼も私に一目惚れをした。彼と一緒になる、と決めて私は女王様に願った。私を人間にしてください、と。


 女王様は神じゃないから私を完璧な人間には出来ないけれど、半分だけ人間になれれば十分。だって、子どもを産めるもの。感情の波は見えない、でもオリーヴェと気持ちは繋がっている。早く生まれて来て欲しい、私達の赤ちゃん。



 Z年 霜月


 生まれた、待望の赤ちゃん! とっても可愛い。

 髪も目もオリーヴェに似て、灰色とダークブラウンの目。私と顔が似ている。

 私達は“ユズリハ”と名付けた。元気に育ちますように。


 精霊達もお祝いしに来てくれているけど、どうやらこの子には見えていないみたい。

 精霊が見えない“精霊の愛し子”も珍しいわね。



 XO年 雪月


 女王様直属騎士がやって来た。予知夢の能力がある女王様が私の未来を見たらしい。

 もうすぐ私は雪崩に巻き込まれて死ぬ。そして女王様は言った。


 私を助ける事は出来る、と。それって残酷よねぇ……私はオリーヴェもユズリハも愛しているのに。予知夢の事は私以外、口外してはならない。オリーヴェに言っても記憶から消されてしまう。それが女王様の魔法。


 でも、オリーヴェは言っても聞かないんじゃないかしら。このプロキオンの土地が大好きだし、プロキオンの人々も大好き。私はオリーヴェを愛しているから一時も離れたくない。でもユズリハを巻き込むわけにはいかない。


 どうしたら……良いのか……。女王様は何て残酷なのだろう。



 XO年 雪月


 今日は雪崩が来る日。私達が死ぬ日。

 3歳になったユズリハをクレストの所へ預けた。ごめんね、ユズリハ。嘘をついた私を赦して、自分勝手な私を赦して……そう思う事自体、自分勝手よね。


 少しの間だけど貴方とオリーヴェ、家族3人で暮らした日々は宝物。

 でも、母親失格ね。貴方を置いて行くなんて。本当にごめんなさい。


 ここまで来たらとことん自分勝手になろうと思う。

 この月桂樹の精霊ダフネから、最愛の息子ユズリハへ贈り物。

 “精霊の祝福”を。



 手記はそこで途切れていた。手記通りならば、きっとこのページを書き終わった後、ダフネとオリーヴェは雪崩に巻き込まれたのだろう。

 胸が痛かった。どうしようも出来なくて、どうすれば良いのかも分からずカレンは立ち尽くす。そんな彼女を心配そうに見つめるフルールは、ふとある事に気がついた。


『ねえ、カレン。精霊の祝福ってもしかして……』

お時間を割いてお読み頂き、ありがとうございました!

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