2人の歩み寄り
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『カレン、カレンってば!』
小鳥の囀りと温かい陽光、そして聞き慣れた声に気がつくとカレンはゆっくりと瞼を開けた。目の前にはほのかに桜の香りを漂わせるフルールがいた。
フルールは蝶の羽のような耳をぴくぴくと動かすと、腰に手を当てカレンを睨む。
『カレン、今日からあいつの引きこもりを治すって言ってたじゃない。随分とお寝坊さんね?』
閉じられていたカーテンを開け、窓の外を見ると陽は高く上がっていた。
「フルール? 今、何時なの?」
『お昼前よ』
「……いけない!」
昔の夢にうつつを抜かしている場合じゃない。ユズリハの引きこもりを改善するために、昨日誓ったばかりだ。カレンは急いで身支度をすると、屋敷の厨房へと向かった。
屋敷は大きいものの、どの部屋が何の部屋かどうか印が付けられているため迷うことは少ない。
ナイフとフォークの模様が扉に刻まれた部屋へと入ると、数人のコックが既に動いていた。
ロールデンバーム辺境伯の屋敷では、ほとんど使用人はいない。掃除、洗濯、料理など家事をやるのが趣味な辺境伯夫人が大抵のことを済ませてしまうからだ。
たまに夫であるクレストの仕事についていく時だけ、こうして使用人を働かせているのである。フルール曰く、甥であるユズリハも変わり者だが夫人達も変わり者らしい。それにはカレンも賛同していた。
「おはようございます、お嬢様。このような場所にどういったご用件でしょうか? お嬢様の朝食は既に出来上がっておりますので、お部屋か食堂のどちらに運びましょう?」
お嬢様と呼びなれない呼び方をされ、一瞬戸惑うもコック長らしき男性にカレンは問う。
「わたしの朝食は部屋に持って頂ければ。それと、もうユズリハ様の昼食は準備し終わったのですか?」
「今から作るところです」
「それなら、わたしに作らせて頂けませんか?」
幼い頃に母を亡くしたカレンは、ずっと父と2人暮らしだった為、一通りの家事は出来る。それに料理は得意分野だ。
料理長がライ麦のパンを焼き始めていた所だったので、カレンはそれに合わせるようなレシピを頭の中で思い浮かべる。厨房にいる料理人達にどんな材料があるのかを聞き出すと、調理器具も貸してもらうよう頼んだ。頭の中にはもう完成した料理が浮かんでいる。
『カレン、何を作るの?』
「まぁ、見ていて」
興味深そうにカレンが用意した鍋と幾つかの材料を見比べながら、フルールは厨房内を羽ばたく。彼女が羽ばたく度にほんのり桜の香りがするので、匂いに敏感な料理人達は鼻を鳴らし始めた。
精霊がいるとは思いもしないだろうが、怪しまれるのも嫌なのでカレンは早速料理に取りかかる。
まずは牛肉の塊を小さく切り分けておく。既に臭みを取る為に香草の束と一緒に漬けこんでいるので独特な臭みもなく、柔らかいものだった。先にそれを炒めるとブイヨン、白ワイン、塩、胡椒を加えてローリエとナツメグと一緒に煮込む。
暫く煮込んでいると少しの香草と、カレンのお腹の虫を刺激するような魅惑的な肉の香り、そして白ワインのほんのり上品な香りが漂い始めた。
『うわあ、良い香りね』
「お父さんも好きだったのよ。うちでは牛肉なんて高価なもの、祭事でしか食べられないけど」
器に盛り付けると最後に薄切りにしたレモンを加える。爽やかなレモンの香りで重くなく、しっかりと食べられそうな牛肉の煮込みスープが完成した。
料理長が焼いたライ麦のパンと共にメイドが持って行こうとするのを止め、カレン自らユズリハの部屋へと赴いた。
『カレン、そこまでしなくても良かったんじゃない?』
「こういうのは作るだけじゃなくて、気持ちが大事なのよ」
不服そうなフルールをよそにカレンはユズリハの自室の戸をノックする。
「ユズリハ様、おはようございます。昼食が出来上がったので部屋にお持ちしました」
しかし、返答はない。
カレンはユズリハが出てくるのを待ったが、中から気配は感じられず、近くにあった小さな机の上にトレーを置いた。
「お部屋の前に置いてあるので召し上がってくださいね」
そう静かな扉に向かって告げると引き返した。
◇ ◆
ロールデンバーム辺境伯の屋敷に来て数日。ここで過ごしていくうちに不思議なほどに静かだと言う事が分かって来た。もともと辺境伯や夫人、そしてユズリハという少ない家族構成だというのもあるが、屋敷の中でも辺境伯や夫人に会わない。最後に会ったのは、カレンがやって来たあの日だった。
2人とも何をしているのか、そもそも屋敷にいるのかどうかですら、分からなかったがカレンはずっとユズリハの朝食を作り届け、扉に向かって話しかける日々を送っていた。
初めは返事も無ければ部屋の中で気配を殺しているらしいユズリハだったが、最近になってようやく一言、二言くらいは返してくれるようになった。
『なぁにが返事が来た、よ。返事っていうより文句じゃない』
とフルールは言うかもしれないが、カレンにとってはどんな反応であれ返事なのだ。
すっかり仲が良くなった料理長から上質なアッサムの茶葉を貰ったカレンは、良いアイディアを思いついたとティーセットと焼きたての手作りスコーンを持ってユズリハの部屋に来ていた。
「ユズリハ様、カレンです。料理長から美味しい紅茶を頂いたので、良かったら一緒にどうです? 焼きたてのスコーンもありますよ」
しかし、物音は聞こえてくるが返答はない。
「ユズリハ様?」
鈍い足音が響いたと思えば扉が少し開いた。中から覗くユズリハの片目はさぞ鬱陶しそうにカレンを見ている。
「研究中なんです。僕に構わないで下さい」
そう言うなり強く扉を閉めるユズリハ。その振動でティーセットが、がちゃがちゃと音を立てた。
『何よ、あいつ。感じ悪いわね!』
「まだまだこれからよ、フルール。焦っちゃ駄目」
フルールに言ったつもりだったが、妙に自身が納得していた。
ユズリハが乗り気で無かったので、仕方なく庭にある東屋で咲き誇る薔薇達を見ながら1人お茶を楽しんでいると、どこからともなく貴族らしくない男がやって来た。
「よう、あんたがカレンさん?」
ぞんざいだがどうも憎めないというか、むしろ人当たりの良さも感じるような口調をしていた男性は、興味深そうにカレンを見つめる。淡い麻色の長髪を後ろで束ね、身につけている服は切り傷が目立つ。野性味あふれる顔立ちで、無精ひげがよく似合う。
「失礼ですがあなた様は……?」
ロールデンバームの屋敷では見たことのない人物だったので、警戒して立ち上がるとその人物は、くつくつと喉の奥で笑うと“降参”のポーズを取った。
「怪しい者じゃねぇ、一応ここの“使用人”の部類に入るかな」
「使用人? だったら尚更……」
カレンはこの屋敷の使用人の顔と名前、全て覚えている。そこまで多い人数でないし、それに何よりこんな悪い意味で目立つ使用人がいたらすぐに覚えるはずだ。
「安心しろぃ、カレンさんには何にもしねぇよ。ただ、スコーンと紅茶を頂けないかと思ってね」
「そ、そうですか……」
警戒しつつもカレンはその男に座るよう勧める。すると彼は会釈して、カレンの反応に気付いているのかいないのか堂々と隣に座った。
近くで見ると非常に大きい事が分かる。身長もそうなのだが、何しろ筋肉量が凄い。逞しい腕や肩を見る限り武人か何かなのだろうか。
「儂はアサギリ。たまーにこの屋敷にやって来ている。また会ったらその時はよろしく頼むぜぃ」
「アサギリさん。改めましてわたしはカレンです、よろしくお願いします」
アサギリはスコーンを大きな口で平らげると、流し込むようにして紅茶を飲む。その速さとがさつさに驚くがどうも下品な感じがしないのがまた不思議なのだ。
見た目は流浪者に見えるのに、どこか品を感じさせる雰囲気と知性が輝く瞳にカレンは気になって仕方が無かった。
「じゃあ、儂はそろそろ仕事しに行くわ。それじゃまた、カレンさん」
「え、ええ……また」
そう言って嵐のように過ぎ去って行くアサギリに、カレンとフルールは顔を見合わせる。
『不思議な人だったわね』
「そうね。でも嫌な感じがしないのがまた不思議ね。あら? 何か紙があるわ」
アサギリが食べていたスコーンのお皿に何かが書かれた紙が置かれていた。
くしゃくしゃになったその紙は丸められていたのだろう。
走り書きのような文字で綴られていた内容にカレンははっとする。
“相手は自分の鏡。相手を知りたくはまずは自分を知ってもらえ”
お時間を割いて読んで頂き、ありがとうございました!