精霊の愛し子
ロールデンバーム辺境伯の領地スターチス辺境領は、首都シュタッヘルから馬車で揺られること数刻。
田畑が多く見えるのどかな風景の中、質素ではあるが歴史を感じさせる立派な屋敷が見えた。馬車は門を通り抜けると、少し進んだ所で止まる。
「さあ、着いたぞ。ここが我が屋敷だ。古いが君の部屋も用意してある」
クレストは御者に何か指示すると、重厚そうな扉を開けカレンに中に入るよう促す。
中に入ると屋敷の中には物が少なく質素だが、1つ1つの調度品はこだわり抜かれたものだとカレンでも分かる。
『想像していた貴族サマのお屋敷とはちょっと違うわね』
フルールは興味深そうに辺りを見渡しながら言った。
「初めまして、カレンさん。クレストの妻、イベリスです。さあ、こちらへ」
螺旋階段を上がったところに立っていた貴婦人が優雅な動きで先導する。クレストの妻、ということはカレンの契約上の夫であるユズリハにとって叔母にあたる。
「優しそうな人だね」
肩に乗るフルールにそう話しかけると、勝気なサクラの精はつまらなさそうに眉をひそめる。
『どうかしらね? 人間にとって“優しさ”が何なのかあたしには分からないから』
「今日からこのお部屋がカレンさんのお部屋になりますわ。古くて申し訳ないけれど、調度品は全て新しい物と交換しているから大丈夫よ」
「お気遣い、ありがとうございます」
「早速で申し訳ないのだけれど、荷造りが終わったらユズリハの元へ行ってくれないかしら? あなたが来たこと、あの子にも知って欲しいの」
『到着早々のカレンに言うんじゃなくて自分で行けば良いのにね』
イベリスの言葉にすぐさま反論するフルールを視線で宥めながら、カレンは苦笑を浮かべつつ頷いた。
自分が役に立つのなら別に構わない。フルールは“そこまでする必要あるのかしら”なんて駄々をこねてはいるが、ロールデンバーム夫妻に必要とされるなら、困っている人がいるのなら放ってはおけないだろう。カレンは荷造りを終えると、すぐにユズリハの自室へ向かった。カレンは元々あまり物を持って行かなかったため、荷造りはすぐに終わったのだ。
「イベリスさんが言っていたお部屋ってここだよね……」
イベリスに教えてもらった部屋は、カレンの部屋から真っ直ぐ進んだところにあった。廊下の端に位置するその部屋はどことなく、暗い雰囲気を醸し出している。
『何か……じめじめするわね』
フルールの言葉に少しだけ心の中で賛同しながらも、カレンはそっとノックをする。
「ユズリハさん? いらっしゃいますか?」
「…………」
扉の向こうからは何の反応も無い。扉に耳を当ててみるが物音1つしない。
「……いないのかな?」
静寂しか返ってこない部屋の前でカレンは引き返そうとするが、フルールが止めた。
『待って、中から物音がするわよ』
フルールに言われて、もう1度扉に耳を当てる。“イテッ”とか“ゴツン”という何かにぶつかって呻いているような、そんな音が聞こえてきた。中にユズリハがいる。
そう確信した時、ゆっくりと少しだけ扉が開いた。
中から出てきたのは、くすんだ灰色の髪で右目を覆い隠すようにして伸ばし、生気のないダークブラウンの瞳をした、人形めいた青年だった。
彫刻のように整った顔立ちには、一切の感情を乗せずただじっとカレンを見下ろすだけだった。
何か言わなければ、とカレンは慌てて自己紹介をする。
「今日からユズリハさん……ユズリハ様の妻となる、カレンと申します! ふ、不束者ですがどうぞよろしくお願いいたします!」
緊張で噛み噛みだったが、ユズリハはどうでも良さそうにカレンを見やるだけだった。
「僕はあなたを妻に欲しい、なんて一言も言っていない。あなたも僕の平穏を奪うつもりですか、放っておいてください」
そう言い放つとユズリハはぴしゃりと扉を閉めてしまった。
一方的な拒絶。こちらを知ろうともせず、彼は自身の世界に閉じこもることを選んだ。
『何よ、あいつ。むかつくわ、カレンもあんな奴放っておいてもう帰りましょうよ』
その事実はカレンの心に衝撃を与えていた。
傷付いたわけでもなく、ただただ――。
「彼を救ってあげたいの」
深い孤独を知る瞳。虚ろな表情。全てを絶望しきった声。
過去の自分に似ているからこそだろうか、それともこのお節介な性格のせいなのか。どちらなのかは分からないが、カレンはその瞬間心に誓う。
何があっても彼の引きこもりを治す、と。
◆ ◇
小さい頃から人ではない“彼ら”の姿が見えていた。
自然の魂の欠片とも呼ばれる精霊達が見える人間はそういない。ましてや、彼らと意思疎通が出来る人間などもっといないのだ。
カレンは、緑を司る精霊達と話すことが出来た。
物心がついた頃から精霊の姿が見え、話すことが出来ていたカレンにとって彼らはよき隣人であり、よき友になっていた。
しかし、学習棟に上がった頃、棟内の花壇に話しかけているカレンを子ども達は近づこうとしなかったのだ。精霊と意思疎通が出来るという人間は稀少で、“巫女”として人々の支持を受けるが、幼い子ども達にとって“精霊”とは何か、そして彼らと会話が出来る人間とはどういう存在なのか理解できるわけもなく。
カレンは子ども達の間で孤立していった。
「ねぇ、フルール。どうしてわたしには人間の友達がいないのかな?」
『カレンはあたし達が見えるからよ。人間って自分達と違う存在を排除したがる性質を持っているものよ』
「よく分からない」
カレンと年の近い子ども達が学習棟の庭でボールを蹴って遊んでいる。その光景を傍目に眺めながらカレンは花壇に咲く花弁の上で座るフルールや、その花々の精霊達に聞いていた。
『この国の大人は私達が見える人間を“巫女”として扱うけれど、それって大昔、そういった人間を怖がって自分達の生活から遠ざける為に始まったお祭りなんだって!』
フルールの隣で踊っていた紫と白色のパンジーの精霊が、さぞおかしそうに、楽しげに話す。カレンはパンジーの精霊が告げた意味を考え、身震いする。
「それってわたしのような人を仲間外れにするってこと?」
『そうよ、そうよ! だって自分達とは違う人間を傍に置くのは、人間の嫌うことよ! 得体が知れないからだ、って女王サマが言っていたわ!』
と、今度は黄色のパンジーの精が楽しそうに言う。
精霊と話せるだけで他は何も変わらないのに……。
そう肩を落とすカレンにフルールは鼻の先に飛んでいき、小さな手でつつく。
『それが人間の本性なのよ、カレン。同時に“精霊の愛し子”であるあなたの宿命だわ』
人間であるのに人間から遠ざけられる存在。決して人々の輪の中に入ることは出来ない。
それが“精霊の愛し子”なのだと、フルールは言った。