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契約結婚

 カレンは寝ぼけ眼を擦りながら、恒例となった父とお客さんのやり取りを寝台の中で聞いていた。

 カレンが芽吹の巫女を務めた豊穣祭以来からずっと、そのお客さんは花屋にやって来ては花を買わずに何かをずっと欲しがっている。


 二度寝をしていると、父が部屋をノックした。朝食に呼びに来たらしい。

 これ幸い、とカレンは先ほどの事を聞く。

「最近、同じお客様とお話しているけどそんなに手に入りにくいお花を欲しがっていらっしゃるの?」

「ああ、そうだ。まぁ、父さんが何とかするから心配しなくて良いよ。さ、早く降りておいで」


 それからというもの、春から秋、冬まで彼が来ない日など無かった。いつの間にか、あれから3年もの月日が経ち、幼かったカレンも大人の女性へと成長していった。





 今ではすっかりクレストとカレンは顔見知りになり、言葉を交わすことも多くなった。

 そのたびにヌルデに“娘はやらん”と鋭い眼光で止められるのだが、今日は違った。

「頼む、ヌルデ!」

「……クレストの性格ならすぐ諦めるだろう、と思っていたが……でも、3年間お前はずっと通い続けて来た。仕方がない、役所に書類提出は許さないが形だけの夫婦、いわゆる契約結婚という形式でなら許そう」

「ほ、本当か!」

 頑固おやじがようやく折れたと思えば、彼は即座に条件を提示してきた。


 女性の社会進出がだんだんと認められ始めている世の中にはなってきているが、1度離縁を経験した事のある婦人に対する世間の目というのは少しばかり厳しいものもある。離婚経験のある女性が人気女流作家になったり、社会運動家になったりしているが、ヌルデはそうならないように、“口約束だけの契約結婚”を提示したのだろう。


「娘が嫌がったら即座に帰せ、そして1年の期間を設けてもらう」

「分かった、恩に着る……ヌルデ!」

「はぁ……本当はやりたくなんてないんだが」




 ◆ ◇


『ねぇ、カレン。このお花、少し水が少ないんじゃないかしら?』

「うん、分かった」

 サクラの精フルールと共に、趣味のガーデニングに勤しむカレンに何やら神妙な表情を浮かべた父が静かにこちらを眺めているのにふと気付く。

「お父さん?」

「カレン……実はお前に言わなきゃいけない事が……」

『あなたのお父さん、言う前に涙ぐんでいるわよ』


 いつも朗らかに笑う父の目には涙が浮かび、眉を顰めながらそれを拭う。唇をしっかりと噛んで何かを耐えているように見えるのは、気のせいだろうか。


「どうしたの? どこか具合でも悪いの?」

「い、いや。父さんは至って健康だ……強いて言うならハートが……」

「ハート?」

「お前を……甥の嫁に……うぅ、欲しいって……クレストが……」

 顔なじみだったクレストの名前が急に出てきてカレンは戸惑う。

 3年も彼は花を探していたはずだ。それが何故急に結婚の話に繋がるのだろう。


「3年前からお前を嫁に、と……父さんに言ってきて……うぅっ!」

 子どものように泣きじゃくりながら話す父の言葉を要約すると、

『つまり、カレンを自分の甥の嫁に欲しいと3年前からあなたのお父さんに直談判し続けていたってわけね。それで折れて、数日後に輿入れ……と』

 腰に手を当て、呆れたようにカレンの父を見るフルールの姿は父に見えていない。

 父は両手で顔を覆い、声を上げながら泣いていた。


「大丈夫、お父さん。わたし、結婚します」

「えっ!?」

『カレン、正気!?』

 驚く2人を前にカレンは胸を張って告げる。

「人助けだと思ってわたしに出来ることをするわ」

『ほんっと、お節介にも程があるわ、あんた。だって知らない人と結婚するんでしょう?』

「昔の女性は基本的にそうだったらしいし、大丈夫よ」

『昔は昔、今は今じゃないの』

 フルールはそう呆れ、父はますます泣き始め、カレンはそんな2人を見て困ったような笑みを浮かべた。

 彼らの言いたいことは分かる。それでもカレンには、クレストが何か困っているように見えたのだ。そして、目の前で困っている人間を放っておける性分ではないことも、カレンは重々承知していた。


「カレンが嫌がったら断れる理由が出来たのになぁ……我が娘ながら優しすぎるというか……なんというか……」

 拗ねる父を宥めながらカレンは輿入れの準備を始めた。


 クレストが迎えに来たのは数日後だった。


 ◆ ◇


「これは、カレン嬢。私の願いを聞いてくれて本当に感謝するよ」

「クレストおじさん……」

 ロールデンバーム家の紋章を扉に刻み込んだ馬車から降りたクレストは、大きな荷物を持ったカレンとその後ろで涙を流すヌルデを交互に見やりながらそう言った。

 クレストは優雅な手つきで、優しくカレンから荷物を預かると御者に手渡す。


「さあ、カレン嬢。これからこの馬車で我が屋敷へ行きましょう」

 普段はヌルデと和気藹々に釣りの話などで盛り上がるクレストは、その人柄のせいかあまり貴族らしく見えない。だがこうした時にふと見せる“品”にカレンはクレストが辺境伯という地位のある貴族だということを感じる。


 彼の手を取り、馬車の中に入ると中は思っていた以上に広く乗り心地は良さそうだった。

 窓際に寄ると、涙やら鼻水やら穴という穴から液体を垂れ流すヌルデに手を振る。

『カレンのお父さん、泣いたらどうして涎まで出るわけ……?』

 フルールが呆れたように、でも寂しそうに言う。

「さあ……。でも、昔からそうだったよ」


 カレンの事になるとすぐに涙もろくなる父。その父ともお別れだ。

 心にぽっかりと穴が空いてしまいそうになる感覚にカレンは蓋をする。

 でないと、わたしまで泣いてしまいそうだから――。


 やがて馬車は動き、途中まで走ってついてきていたヌルデも窓から見えなくなった。


「カレン嬢、君には本当に感謝しているよ」

「私がお役に立てるなら精一杯頑張ります」

 でも、とカレンは言葉を続ける。


「クレストおじさんの甥はどんな方なんですか?」


 ずっと腑に落ちなかったこと、疑問に思っていたことを投げかけると、少しだけ沈痛そうな表情になるクレスト。ぽつりと零す言葉は、カレンに聞かせるのに選んでいるようだった。


「人付き合いが非常に苦手な子でね、心根は優しい子なんだが……。外に出ようとせず、ほとんど屋敷の中か或いは部屋の中で過ごしているんだ」

「そうなんですか……」

「もう私も年だ。辺境伯を継いでもらいたいんだが、このままじゃ難しそうだ。妻を娶ったら何か変わるんじゃないか、私はそう思って君に協力をお願いした」

 そういえば、名前を教えていなかったな、とクレストはカレンの目を見て呟いた。


「名前は、ユズリハ。ユズリハ・ロールデンバームという」

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