捻くれながらも、横川輝明は満足している。
異世界転移。
それが現状、俺たちに起きているものだ。
今まで、その言葉に何度胸を揺さぶられただろうか。そんなものげ現実にはないと諦めながらも、何度そうなることを願っただろうか。
俺の現実世界での生活は前途のような、激しく、そして人の心を揺さぶるようなものではなかった。土気色をした暗い、モノクロのような世界だった。いつも家と学校を往復し、休日には図書館に通い、放課後は勉強に明け暮れる。そんな、青春とは程遠い人生だった。
だから、きっと俺は、異世界というものに憧れていたのだ。そこに行けば、きっと何かが変われる。そんな気がしたから。
長編ファンタジーを読んだ時には、主人公の立ち位置に憧れた。魔法を想像した時には激しい感動を覚えた。
そして、それが自分の身に起きた時は戸惑いながらもきっと、感動を覚えていたのだろう。
しかしながら、現実は甘くないということを痛感した。
異世界転移してから、もう二週間と五日が経つ。
初日に自分の能力が弱いものだと知った。一週間目には弱い者が迫害され、追い出されかけた。二週間目にはこの世界がどれだけ危険かを知った。
そのときは毎日が苦痛だった。それでも、そんな状況でも投げ出さなかったのは、俺の周りにいてくれたあいつらのおかげだと思う。
一つのグループに入り、純粋に笑い合うのは、本心で接することができたのは何年ぶりだろうか。
捻くれていて、人に関わることを避けていた俺でも異世界に来てから、信頼できる者ができたのだ。今までの俺ならありえない、と驚愕するしれない。
大きな出来事は人を変える。それなら、この異世界で俺が見ている世界も輝かしいものになるのだろうか。捻くれている俺でも、そんな期待を抱く程度には彼らに何かを感じていると自覚する。
それならばーー
と、そこまで書いて筆が止まる。
現実世界での日にちを忘れないように毎日日記をつけることを決意した俺だが、いかんせん内容が重くなってしまった。
やっぱ『きょうはとまとをたべられたよ! きらいだけどがんばった!』みたいな内容でよかったのかな? いや、園児かよ。
ちなみにシャーペンと日記帳は学生鞄に入っていた。整地の犠牲者となっていたことをさっき思い出したのだ。
家が狭いので、男女で別れはするが、相部屋なのにこの部屋には俺しかいない。
別にいじめにあっているとかそんなものではなく、速水は風呂、神崎は食器の準備の手伝いをしているだけだ。ほんとだぞ。断じていじめではないからな。
「ん? 何をしているのですか、横川くん」
いじめではないことを密かに願っていると、神崎が帰ってきた。ほらな、いじめじゃなかっただろう?
「……ちょっと日記をつけようと思ってな」
途中までは調子良く進んでいたのだが、最後の方がどうもしっくりこない。
友情とはまた違うような気もするし、リア充になることもしっくりこない。
続きは後でいいか。
「それよりもう夕食ですよ」
「分かった」
筆記用具やノートを布団に放り込み、神崎とともに部屋を出る。
廊下にも誰もおらず、神崎と俺も黙っているため、辺りは静寂に包まれていた。それが、少しだけ心地良い。
こんな日がいつまでも続いて欲しい。柄にもなくそう感じてしまった。
◇ ◆ ◇
夕食を終え、俺は部屋で転がっていた。こんなに楽しいと思えた夕食は久しぶりだったと思う。親父、元気にしてるかなぁ。俺が帰る前に禿げるなよ。
ゴウイさんは俺たちを気遣ってくれた。そして意外なことにゴウイさんの奥さんは美人だった。爆発しろ。
そんなことを考えていると、とが軋む音が聞こえた。
「横川くん、ちょっとは食器の片付け手伝ってくれないですかね」
部屋に入ってきた神崎は不満を顔に出しながらそう言い放つ。最近、神崎が少しだけ表情豊かになったような気がする。
「俺はもう働きたくねえよ」
「あなたは働いてないでしょう……」
神崎が愚痴を言うが、そんなことは関係ない。働くのは最低限という俺の信条はこんなことでは崩れない。絶対防御なのだ。
やがて、神崎も諦めたのか指をこめかみに当て、ため息を吐く。
「まあ働く気はないんでよろしく」
「ニートですかあなたは……」
ニート。十五歳から三十歳までの間家事通学就業をせず、職業訓練を受けていないものを指す。俺まだ十四だからニートじゃないね。家事はするつもりだし。
「ヒモ……」
「なんか言ったか?」
「いえなにも」
なにか尊厳を踏みにじられたような気がしたので、少し殺気を込めて神崎に問い詰める。どうやら俺の気のせいだったみたいだ。
「きゃぁぁぁああ!」
こんなやり取りをしていると、家の中に女性の悲鳴が響き渡る。
「……悲鳴?」
「ちょっと見てくるわ」
戸惑っている神崎と別れ、悲鳴のした方へと駆ける。廊下の奥から今度は速水の悲鳴が聞こえた。
「何だってんだよ……」
突き当たりを曲がり、三つ目のドア。悲鳴がした部屋に着く。嫌な予感がする。今までの比じゃないぞ、これ。
「大丈夫か?」
扉を引くと、軋んでいるのかギギギと音がなる。そこには異様な光景が待っていた。
「あ……ああああ」
ここは脱衣室。そんな中で速水が藤井の着替えを見ていた。。速水はポカンと佇み、藤井は下着姿。彼女は羞恥心で顔を赤くしながら小刻みに震えていた。
つまるところ、主人公特典その一、ーーラッキースケベというやつである。グッジョブ。
このままでは俺が速水の主人公体質に巻き込まれることは目に見えている。なにか……何か言い訳は……
「あー、その、なんだ」
いち早く現状を察した俺は、この異様な雰囲気の中で言葉を発する。藤井が睨んできた。あの、怖いんすけど、俺は巻き添えくらっただけなんですが。
「…………」
藤井が親の仇を見るような目でこちらを睨んできている。あ、これ間違えたら死ぬやつだ。
「藤井、お前以外と胸あったんーーぶへっ」
答えは不正解だったみたいで、言い切る前に風見が持っていた石鹸が顔面へと突き刺さる。そして俺は床へと崩れ落ちる。
この混沌とした状況の中、俺は思った
決して、俺の望んだ平穏ではないけれど、はっきり言ってめんどくさい奴らばかりだし、相手をするのも疲れるけれど。それでもーー
ーー悪くない。
今までは人と関係を持とうとしなかった。面倒だったのかもしれないし、もっと違う理由かもしれない。理由がなんであれ、俺は今の環境を、こいつらといる時間が悪くないと思っている。むしろ好ましい。
心の中に、今まで俺が持っていなかった理解不能な……それでもどこか心地の良いものが入ったような気がした。
日記に書くことが決まったな。
こんな、ぼっちで捻くれた俺でも資格があるのなら、あいつらが俺を受け入れてくれるというのならばーー
ーー『俺はこの関係を崩したくはない。』
「現実逃避してないで謝ってくれないかな」
「「はいすいませんでした」」
やっぱ藤井にはバレてた。それでは最後に一言だけ言わせてもらおう。
速水……ナイス! ぐふっ。
今回は調子にってしまったというか、なんというか、その……すいませんでした。