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『西を向く犬亭』は、コーケンの町の中でも、見た目からして良い宿屋である。
それは平たく言えば、値段も普通の宿屋よりも3割り増しというわけで、普段の雄也達なら泊まろうとは思わない類の宿であった。
「しかし、こんな良いとこに泊まれるなんて、シマショー商会も太っ腹じゃない」
「まあ、あの御者さんは実際に太っていましたけどね」
はしゃぐ様子のリセラに、そんな返しをしながら、アイリスが先頭に立って宿屋に入る。
入り口のカウンターには中年の女性が立っており、アイリスはその女性に声をかけた。
「すいません、シマショー商会の案内でこちらに来たのですが」
「いらっしゃいませ。お話は聞いておりますよ。まずは、この宿帳に記帳をどうぞ」
「分かりました。雄也さん、お願いします」
はいよ。と返事をして、雄也はアイリスと入れ替わりにカウンターに寄り、出された宿帳に全員分の名前と、パーティ名を記入した。
そうして、カウンターの女性に渡すと、代わりに2つの鍵を差し出された。
「はい、それでは5名様ですので、2つのお部屋でお願いします。本来は5人で一部屋でもよいのですが、せっかくの商会からのお客様ですし、お部屋もありますので」
割高設定の宿屋ということもあり、利用者が少ないんだろうな。などと考えながら、雄也は鍵を受け取ると、アイリスに1本を手渡した。
男性と女性で一部屋ずつ使えばいいや、と考えていた雄也だが、アイリスは少し考えると、鍵を左手で持って、右手を雄也に差し出してきた。
「雄也さん、鍵」
「ん?」
「鍵です、ほら」
いや、鍵なら左手に持っているだろ、と考えたが、重ねて手を差し出してくるアイリスに、雄也は深く考えずに鍵を手渡す。と、アイリスは受け取ったその鍵の1本を――――スピカの手に強引に握らせたのであった。
「はい、これはスピカちゃんと、ロッシュさんの部屋の鍵です。もう一つの部屋は、雄也さんとリセラちゃんと、わ・た・しで」
「って、おい!」
「いまの意見に賛成の人、挙手!」
慌てた雄也だが、時既に遅し――――女性陣全員の手が躊躇無く上がり、数の暴力で部屋割りが決定してしまったのだった。
「いやぁ、これは見事だな。ここは嬢ちゃんたちに従うしかないな。な、雄也?」
「な、じゃなくて……ロッシュもなんで嬉しそうなんだよ」
「そりゃあ、野郎二人より、スピカと一緒の部屋の方が嬉しいに決まってるからだ!」
臆面も無くそういわれ、雄也はこの場に味方はないと察し、肩を落とした。
「ちなみに、当宿屋は防音設備もしっかりしておりますので、夜中にハッスルしても問題はありませんよ?」
「だそうですよ、雄也さん?」
嬉しそうなアイリスの言葉に、雄也は深く溜め息をついたのである。
半ば、押し切られる感じで決まった部屋に荷物を置いた後、雄也たちは宿屋内にある食堂に移動していた。
夕食の時間帯ということもあり、食堂には先客がいた。
一つは、ドワーフをリーダーとした男達4人のグループ『鉄酒』。もう一つのグループは、
「お、雄也じゃないか、あんた達もこの宿を紹介されたのかい」
『紅』の面々である。
食堂は、いくつかのテーブルのまわりに複数の椅子がおいてある形式で、雄也たちも手ごろなテーブルを囲んで席に着く。全員が席に着くのを見計らって、奥から初老の老人が出てくると、全員に水を注いだカップを配りながら、メニュー表をいくつか、テーブルの上に置いた。
「こちらの料理の料金は、シマショー商会が受け持つことになっております。ただし、酒類のみ、別料金となるのであしからず。お決めになりましたら、このベルを鳴らしてお呼びください」
そういって一礼すると、老人は食堂の奥へと戻っていった。
渡されたメニューをさっそく覗きながら、リセラとアイリスは何を注文するか悩んでいるようである。
「うーん……アオバイ(うなぎ)はありませんか。さすがに山中だと、精のつく魚は手に入れづらいんでしょうね」
「普通に元気が出そうなのは、チーズとかお肉かしら……あ、山芋ってそうなんじゃない?」
と、二人はどうやら雄也に食べさせる食事を考えているようである。
そのことに雄也が気づくのは、料理が出てきてからのことであった。




