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マギアマグス~東雲邸~  作者: ネルミ
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三章 妖花アルラウネ

 扉を開けた途端、高貴さを含んだ甘やかな香りにふうわりと包まれた。

 香りを放っているのは温室一帯を埋めつくす、色とりどりの大輪の薔薇たち。

 温室に植えられているのはすべてが薔薇なのではないかと思うほどいっさいが薔薇で埋めつくされており、赤い薔薇、白い薔薇、黒い薔薇、ピンクの薔薇やオレンジの薔薇もあれば、青や紫がかっている薔薇もある。

 さまざまな品種の薔薇たちが、いまがさかりと競い合うように咲き誇り、甘やかな香気を鮮やかな色彩とともに温室全体にまき散らしていた。

 それはもう、目にも鼻にも息苦しいまでの光景である。

「す……げえ」

 息をつめていた流火が、ようやっと、言葉を吐き出した。

 そのうしろではのばらが、硬い表情で温室の奥を見つめている。

「花って手入れする人間がいなくても、こんなにもきれいに咲いていられるものなんだな……」

「それはたぶん『あれ』が、薔薇たちに養分を与えているからよ」

 硬い表情のまま、のばらは温室の奥を指さした。

 のばらの細くて長い指がしめす先には、一輪の大きな赤い花が咲いていた。

 その花を目にした瞬間、流火は察したのだった。

 温室いっぱいに咲き誇っている薔薇たちはすべて、この一輪の花のためだけに存在しているのだということを。

 その花は薔薇ではなかった。

 花々の中でもっとも華美であり耽美だと言われている薔薇さえも引き立て役にして咲いているその花は、まさに絢爛豪華と呼ぶにふさわしいものであった。

 波うつフリルのような花びらは幾重にも折り重なり、色は黒も青も紫もまじっていない生粋なる真紅で、天窓から降り注ぐあわい月の光を浴び、花びらのひとひらひとひらが王室に眠る宝冠に埋めこまれたルビーのごとく輝き、花弁に抱かれている夜露さえもがきらめく真珠のように見える。香りもすばらしく、熟れた果実のような、あるいは熟成させた葡萄酒のような、豊満で魅惑的な香りをあたり一帯にふりまいていた。

 数えきれないほどの薔薇の取り巻きたちに囲まれながらその赤い花は、夜を統べる女王のごとく気高く咲き誇っていた。

 美酒のような香気と宝石のような色彩に誘われ、ふらふらとした足どりで一歩を踏み出そうとした流火の背に向かって、

「だめよ流火! その花に近づいてはだめ!」

 のばらのするどい制止の声が投げつけられる。

 その声にハッとわれに返り、流火はあわてて足を止めた。

 のばらのするどい声はつづく。

「図鑑で見たことあるわ。その花はアルラウネといって、魔界の花園にのみ咲く妖花よ」

 流火はアルラウネと同じくらい紅い目を丸くさせながら、

「ふえ〜。魔界にも花園ってあるのか。はじめて知ったぜ」

 などと無知丸だしのセリフを口にした。

 その直後。

 薔薇園が、ゆれた。

 扉は閉まっているので風が吹くはずもないのに。

 それなのに、

 泳ぐように、

 踊るように、

 ざわざわと、

 温室に咲くすべての薔薇たちが左右にゆれはじめたのだ。

「なん……だ?」

 流火は紅玉の双眸を見ひらくと、ゆらめく薔薇園を凝視した。

 そのとき。

 薔薇園から、なにかが出現した。

 薔薇が盛りあがり、花びらが舞い散る。

 薔薇の中から花びらを舞い散らしながらあらわれたのは、一本のトゲのある蔓だった。

 蔓といっても細いものではない。もしもこれが蛇だったなら、流火をもひと飲みにできたであろうほど太く、緑色と黒色をまぜあわせたようなどくどくしい色で、もしも全身をおおう無数の林立したトゲがなければ、大蛇と見まちがえたかもしれない。

 その、予期せぬトゲトゲガードつきの巨大な蔓を目にした瞬間、流火は目を見ひらいたまま、震える声で背後ののばらに問いかけた。

「あの……のばらさん……あれはいったいなんでありますか?」

「あれはアルラウネの触手よ。アルラウネはあの触手を自在に操って獲物を捕らえ、刃のごときするどいトゲでつらぬき殺し、獲物が流した血を養分にしてあれほどまでに美しい赤い花を咲かせるのよ」

 のばらの説明が終わるのとほぼ同時に、触手は鞭のように大きくしなると、二人めがけてしなやかに飛んだ。

「きゃっ」

「危ねっ」

 触手の襲来を、二人は後方に跳んで逃れると、急いで扉へと駆け寄った。

 のばらは扉を押した。だが、開かない。鍵はかかっていない。それなのに、扉はまるでガラスの壁の一部と化したかのようにビクともしないのだ。

 のばらはあきらめて扉から手を離すと、薔薇園のほうへと向き直り、大蛇のごとくうごめく触手を見すえた。

 彼女は両手を胸の前へと移動させた。

 そしてひとこと、

『エデン』

 と、つぶやいた。

 直後、彼女の胸の前に箱が生まれた。

 箱。

 手の中に浮かぶ、正六面体の、箱。

 のばらの瞳と同色の、エメラルドグリーンに輝く、箱。

 箱の名は『エデン』

 すなわち――楽園。

 手のひらサイズだった箱はいっきに拡大すると、すっぽりと、閉じこめるように二人を飲みこんだ。

 触手が踊る。

 ふたたび二人めがけて、来る!

 しかしドリルのような切っ先は、エメラルドグリーンの壁にはばまれ、二人のもとには届かなかった。

 それもそのはず。この、楽園という名を冠した緑色の箱は、大地の精霊が守護する防御結界なのだから。

 のばらの身体を通して発動される、大地の精霊が守護する、何者にも犯されることのない、神聖なる領域。

 とはいえさすがにその魔力も無限ではない。

 触手は、何度も、何度も、ドリルのような切っ先を結界にぶつけてくる。

 そのたびに硬質な音が温室全体に響き渡る。

 このままでは結界が破られるのも時間の問題だ。触手を喰い止めているだけではラチがあかない。本体であるアルラウネをなんとかしなければ。

 のばらは荒い息の中、額にうっすらと汗を浮かばせながら、背後の流火に向かって、

「流火、結界が破られる前に、本体であるアルラウネを燃やして!」

 その懇願に応えるように、のばらの背後に隠れていた流火は彼女の前に歩み出ると、無数の薔薇と一本の触手に守られながら咲いている赤い花をにらみつけた。

「赤星流火の名において命ずる。炎の精霊よ、蛇の姿にて我が前にあらわれよ」

 力ある言葉が流火の口から放たれた直後、彼の足もとに一匹の炎の蛇が生まれた。

 蛇の姿をした炎はすさまじい速さで地面の上をすべるように走ると、アルラウネの周囲を円を描くように駆けぬけ、いきおいよく燃えあがり、灼熱の業火へとその姿を変えた。

 炎が、アルラウネを飲みこむ。

 火の粉とともに花びらが舞う。

 触手が、もだえ苦しむ大蛇のようにのたうちまわる。

 触手の動きが完全に止まり、もう大丈夫だと確信すると、のばらは結界を解いた。

 大きなガラスケースのような結界に無数の亀裂が走り、硬質な音を立てて砕け散ると、きらきらと――エメラルドグリーンの破片がきらめく。

 のばらと流火は扉に駆け寄ると、体当たりを食らわした。すると、さっきひらかなかったのが嘘のように、扉は簡単にその口を開けたのだった。

 二人は転がるように温室をとびだした。


 温室が燃えている。

 薄墨色の闇の中、燃えさかる炎は狂い咲く大輪の薔薇のようにも見える。

 その光景を、流火はすこし離れた場所から呆然と眺めていた。

「魔物なんてはじめて見たぜ……」

 夜闇に消え入りそうなほどかすかな流火のつぶやきを、となりにたたずむのばらが拾う。

「初体験おめでと。おつぎは幽霊を見られるわよ」

「は?」突然意味不明なことを言われ、流火はまぬけな声をあげたあと、彼女の顔を見た。

 のばらの視線は温室ではなく屋敷へと向けられていた。

 その視線を追って、流火も身体ごと屋敷へと視線を向ける。

 炎の照り返しを受けて赤く輝く月を背景に、そのチョコレート色した西洋屋敷は傲然とそびえ立っていた。

 その前に、子供がいた。

 ランドセルを背負った男の子だ。

 流火は一瞬、なんでこんなところに小学生がいるんだ? 迷いこんだのか? と思ったが、しかしすぐにそれが思い違いであることを悟った。

 なぜなら男の子の身体は半分透き通っていたからだ。

 まるで硝子細工のように。

 背後にそびえる屋敷が透かし見えるほどに。

 男の子は、流火とのばらに向かってにっこりほほ笑んだ。

「ありがと、お兄ちゃん、お姉ちゃん。あのお化け花を退治してくれて。僕ってドジだから、かくれんぼしている途中であれに捕まっちゃって、ぱっくり食べられちゃったんだ。それ以来、温室から出られなくなっちゃってさ、困ってたんだよ」

 男の子の笑みにかげりが宿る。が、しかしすぐに明るさを取り戻すと、

「でも、お兄ちゃんたちのおかげで、ほら、僕も温室から出られたよ」

 そう言うと、喜びを身体全体であらわすかのようにその場でくるりと回転した。

「これでパパとママのところに帰れるよ。本当にありがと」

 半透明だった男の子の身体はさらに透き通ってゆき……やがて闇の中へと溶けていった。

 あとにはただ、薄墨色の闇が広がるばかりだ。

 流火は呆然とした顔で、やはりとなりで唖然とした表情を浮かべているのばらに訊いた。

「なあ、いまのやっぱ、幽霊、とかいうやつかな?」

「そうね。ペッパーズ・ゴーストのような仕掛けがほどこされているわけでないのなら、あの子は幽霊なのでしょうね」

「魔物を見たり幽霊を見たり、あのトラブルメーカー二人のせいでとんだ夜になっちまったな」

 天に向かってそそり立つ巨人のような屋敷を見あげながら、流火はあきれとあきらめの入りまじった声音でそうつぶやいた。

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