一章 かくれんぼしましょ
「みんな、かくれんぼしましょ」
桃木-(ももき)ありあの明るい声が、放課後の教室に響き渡る。
さすがは幼少のころから声楽教室に通っているだけあって、実によく通る声だ。しかしいま、彼女の美声を耳にしているのは、教室に居残っている三人の悪友のみ。
悪友三人はありあの誘いをきれいに無視すると、
「なあ、いまからどこ行く?」
「わたし、ゲーセンに行きたいな」
「だったら、駅前に新しくできたゲーセンに行こうよ。あそこ、プリクラの種類がけっこう豊富なんだよね」
「お前、男のくせにプリクラとか言ってんなよ」
「君はそんなんだから女の子にモテないんだよ」
「いや、わたしも、プリクラチェックしている男の子はちょっと……」
「みんな、なんであたしの誘いを無視するのよ!?」
ありあの怒りの声が、十人クラスのせまい教室いっぱいに反響する。
窓ガラスが震えるほどの声量に、悪友三人はそろってしかたないなという表情を浮かべながらありあのほうを向いた。
「あのな、ありあ。心やさしい善友である俺たちは、あえて、お前の妄言を聞かなかったふりをしてやったんだぞ」
そう、呆れたように言ったのは、濃いめに淹れた紅茶色の髪と、ややつりあがりぎみの紅玉の瞳と、きゅっと引きしまった口もとが特徴の少年、赤星流火-(あかほしるか)。
流火の暴言に、ありあはリスのように両の頬をふくらませた。
「あたしがいつ妄言なんて吐いたのよ。あたしはただ、かくれんぼしましょ、って遊びを提案しただけじゃない」
「それを妄言と言うんだ!」
ばちばちばちっと空中で、真紅の火花と桃色の火花がぶつかり合う。
「そういえば、ありあ」
流火とありあ、火花を散らし合う二人のあいだに割って入ったのは、すっきりとしたペパーミントグリーンのぱっつんボブと、涼やかな切れ長のエメラルドグリーンの瞳と、大学生と偽っても通用しそうなほど大人びた表情と物腰が特徴の少女、緑山-(みどりやま)のばら。
「あなた、かくれんぼが好きだったわよね」
「うん、大好き」
ありあは笑った。ピンクの花が咲いたような笑顔。だが、この愛らしい笑みに負けて彼女のわがままをきいてしまったら最後、ロクなことにはならないことは、生まれたときからのつきあいである流火は身をもって知っている。
「ありあ。俺もお前がかくれんぼを好きだったのはよーく知っている。だがな、それは子供のころの話だろ? すくなくとも小等部の高学年のころまでのはずだ。それなのになぜいまになってかくれんぼなんて言い出すんだ? 暑いからか? 七月に入ったとたんいっきに暑くなったから、お前の脳みそも沸騰しちまったのか?」
「失礼ね。あたしの脳は正常に起動しているわよ」
「高校生にもなってかくれんぼなんて言い出す奴のどこが正常なんだ!」
ばちばちばちっと空中で、真紅の火花と桃色の火花がぶつかり合う。
「まあまあ流火」
流火とありあ、火花を散らし合う二人のあいだに割って入ったのは、絹糸みたいにさらさらとした明るい空色の髪と、形のよいアーモンド型のサファイアブルーの瞳と、美少年と形容してもいいだろう中性的な顔立ちが特徴の少年、青衣風之-(あおいかぜの)。
「いいじゃないか。たまには童心に帰ってかくれんぼ遊びに興じてみるのも。けっこう楽しいかもよ」
「そうね。子供に帰ったみたいでたまにはいいかもしれないわね」
「やったね。だからあたし、風之とのばらのことが好きなんだ」
「おまえらありあを甘やかしすぎだぞ!」
流火の言うとおり、風之とのばらはありあに甘い。それはなぜかというと、身も蓋もなく言ってしまえば、ありあがかわいいからである。ふわふわ波うつ甘やかなローズピンクの髪。丸みを帯びた愛らしいローズクォーツの瞳。ふっくらとあどけない、夢みる薔薇色の頬と唇。女子にしても華奢で小柄な体躯。だが、この愛らしい容姿に負けて彼女のわがままをきいてしまったら最後、ロクなことにはならないことは、小等部からのつきあいである風之とのばらも身をもって知っているはずなのだが……。
「……それでもきいちまうんだな、お前ら」
がっくりと肩を落とした流火に、
「残念だったわね、流火。この国は民主主義だから多数決は絶対なのよ。さ、かくれんぼをするわよ」
ありあは勝ち誇ったように言い放つ。というかもはや遊びに誘っているというよりかは労働を強制する鬼監督のようである。
「かくれんぼをするのはいいけど、どこでするつもりなの?」
魔法円が描かれた教科書を鞄につめながらのばらが訊いた。
「学園内だよね、やっぱ」風之の提案に、
「校内はだめよ。黄龍教官に見つかったら雷を落とされてしまうわ」のばらはそっこうで反対した。
「だからいいんじゃないか。鬼役を決める必要がなくてさ」
風之の青い瞳にイタズラっぽい光が宿る。つまり彼は教官を鬼役にして自分たちを追いかけさせればいいと言っているのだ。
「却下よ」のばらが冷たく言い放つ。
「あたしも、教官の雷から逃げきる自信ないから」
「俺もかくれんぼごときに命を賭けるつもりはねえよ。ていうかそれ、かくれんぼじゃなくて鬼ごっこだろ」
親友三人にそっこうでことわられたが、しかし風之ははなからききいれてもらえるとは思っていなかったらしく、イタズラっぽい光を青き双眸に宿したまま、つぎの遊び場所を提案した。
「だったら、東雲邸に行ってみない?」
街の中心ともいえる学園を出て左に曲がり、しばらく進むと住宅街が広がっている。いまのこの時間、路地は学校帰りの学生たちでかなりのにぎわい。さらに進むと『桜公園』と呼ばれているすこし大きめの児童公園があり、遊具で遊んでいる子供や、井戸端会議に熱中している母親や、犬を散歩させている老人や、ブランコをこいでいるサラリーマンや、ベンチに座っていちゃついている大学生くらいのカップルなどでにぎわっている。公園の出入り口の前を通ってさらに進むと先ほどまでのざわめきが嘘のように静かになり、人の姿もまばらになり、家もじょじょにすくなくなってゆき……。
そしていま、街外れのこの一角にたたずんでいるのは、二人の少年と二人の少女のみ。
四人の前にそびえ立っているのは、古くて大きな西洋風の屋敷だった。チョコレート色した煉瓦と屋根で構成された洋館。それはまるで絵画に、あるいは絵本に描かれているような中世の城を思わせた。部屋がたくさんあるのだろう、広い煉瓦の壁には木製の窓枠がいくつもついている。夕暮れ時なので空にかかる雲はまるで内側から発光しているかのように赤く、屋敷全体を鮮やかな血の色に染めあげていた。
「大きなお屋敷! あたしん家と流火ん家を合わせても……遠くおよばないわ!」
屋敷を見あげながらありあは感嘆の声をあげた。
「ふえ〜。金持ちってのはいるところにはいるもんなんだな〜」
そのとなりで流火も、同じように屋敷を見あげながら感嘆のつぶやきをもらす。
「ていうかここ」のばらは風之のほうを向いた。「廃屋でしょ?」
「あったりー。さすがのばら。この東雲邸は、十三年前から誰も住んでいないのさ」
『えっ!?』流火とありあは同時に驚愕の声をあげた。
「誰も住んでないの? こんな大きなお屋敷なのに? なんで? どうして?」
丸い目をさらに丸くさせながら、ありあ。
「これだけの土地を遊ばせておくなんてもったいねえよっ。なんで早く取り壊して売り飛ばさねえんだよっ」
つりあがりぎみの目をさらにつりあげながら、流火。
「流火……」のばらは眉をひそめた。「自分のものになるわけでもない土地のためになにもそんな怒らなくても……。この屋敷が売りに出されても出されなくても、あなたがウサギ小屋の住人であることには変わりないのに……」
「誰の家がウサギ小屋だ! のばら、お前の家だってこの屋敷の半分もないだろうが」
「まあまあ。東雲邸にくらべたら、僕たちみんなウサギ小屋の住人さ」
風之は三人をなだめたあと、ふたたび屋敷を見あげた。
「十三年前、この屋敷に東雲明良-(しののめあきら)という名の高名な魔術師が住んでいたんだ。闇魔法の天才と呼ばれていた彼は、学園長の覚えもめでたく、教官たちからの信頼も厚く、生徒たちの憧れのまとでもあった。ところが、いつのころからだろうか、彼は黒魔術にふけるようになり、とうとう禁断のグリモワールの封印を解くと、魔界から悪魔を呼び出してしまったんだよ」
「黒魔術にふけるなんて……。その人、厨二病だったのかしら?」
ありあは理解不能といった感じで小首をかしげた。
「グリモワールの封印を解くなんてかなりの力量がないとできないはず。東雲氏は本当に天才だったのでしょうね。その才能をそんな愚かなことに使うなんて……まさに、なんとかと天才は紙一重ね」
のばらも理解不能というふうに眉をひそめた。
「それで? その東雲氏はどうなったんだ?」
流火が先をうながした。
「東雲氏は呼び出した悪魔に生け贄を捧げ、かわりに悪魔の知恵や力、魔界の秘密などを聞き出していたらしい。もちろん、そんなことは長くはつづかず、彼の悪行はほかの魔術師たちの知るところとなり、教官たちは彼を学園の屋上に追いつめると、死闘の末、東雲氏を滅ぼすことに成功したんだ」
「おめでとー」ありあは歌うように高らかに祝福の言葉を口にすると、ぱちぱちと軽やかに手を叩いた。
「さすがはマギアマグスの教官がた。黒魔術師なんかに負けるわけがないわよね」
のばらも心から感心したというふうにうなずいた。
「それで? 主人が死んだのに、なんでこの屋敷はいまだに取り壊されていないんだ?」
流火は屋敷を指さした。
「それは……」一瞬、風之は言いよどみ、「実は東雲氏が生け贄の少女を殺害していた場所は、この屋敷の地下室なんだ」
それを聞いた途端、三人は小さく息を飲むと、なにかまがまがしいものでも見るような目で屋敷を見あげた。
風之も屋敷を見あげながら話をつづける。
「そんなことがあった場所だから、取り壊して売りに出しても買い手なんてつかないだろうということで、いまだ手つかずの状態で放置されてるんだ。おかげでこの屋敷、近所の住人からは『悪魔の住む屋敷』と恐れられ、立ち入り禁止になっているんだよ」
「……ちょっと待て」
低い声で、流火がちょっと待ったコールをかけた。
「なんで俺たちがそんないわくつきの屋敷でかくれんぼをしなきゃならないんだ? 風之、お前なにを考えて俺たちをここに連れてきたんだ?」
「だったら僕たちはどこでかくれんぼをすればいいんだよ!」
流火の抗議に、風之はアーモンド型の目を猫のようにつりあげた。
「さっきも言ったように、僕たちの家はウサギ小屋のようにせまいんだよ。高校生四人がかくれんぼなんかしたら、親に怒られるじゃないか」
「かといって学園内でかくれんぼなんかしたら、黄龍教官に雷を落とされるだろうし……」
ありあは眉をひそめた。
「子供のころは桜公園で遅くなるまで遊んでいたけど……」のばらも眉をひそめ、「でも、さすがにこの年で子供たちにまじってかくれんぼなんて……ちょっと恥ずかしいわよね」
流火は言葉につまった。
流火の家とありあの家はとなり同士なのだが、二人の家と家とのあいだは猫一匹がやっと通れるくらいにしか離れていなくて、庭もなく、玄関のドアを開けたとたんに道路、という典型的な建売住宅であり、ありあが言ったように、二人の家と家とを合わせても、広さでは東雲邸には遠くおよばないだろう。では、のばらの家はどうかというと、庭もあり、流火とありあの家にくらべたら豪奢だが、しかしそれでも流火が言ったように、東雲邸の半分もない。風之は一人暮らしなので怒る親はいないのだが、しかしマンション住まいなのでかくれんぼなどできるわけもなく。学園内で遊んだら教官に雷を落とされるだろうし、子供たちにまじって公園で遊ぶのも恥ずかしい。つまり、高校生四人が人の目を気にせず誰にも邪魔されずにのびのびとかくれんぼができる場所は……。
「……ここしかないんだな」
流火はがっくりと肩を落とした。
「でも、不法侵入にならないかしら?」
のばらの不安げな問いに、
「屋敷のものを壊したり盗んだりしなければ、すこしのあいだ遊ぶくらい大丈夫だよ。もちろん、誰にも内緒だけどね」
風之はウィンクとともに答えた。
「だったら、近所の住人に見つかる前に屋敷に侵入しないとな」
流火は黒光りする巨大な門を押した。
果たして門は、すんなりとひらいた。
『おじゃましまーす』
四人は声をそろえて挨拶すると、門をくぐり、屋敷の敷地内へと侵入した。
流火を先頭に、車が何台も停められそうなくらい広い庭を、伸び放題の下草をかきわけながらずんずん進む。
目の前に、両びらきの木製の扉が姿をあらわした。
流火は扉を押した。
ぎぎぃ……と軋んだ音を立てながら、重厚な扉はゆっくりとひらいてゆく。
扉の向こうに広がっているのは、純粋なる闇。
ひとすじの光も射さぬ漆黒の闇の中へと流火は足を踏み入れると、手のひらを天井に向ける形で右手をあげた。
「赤星流火の名において命ずる。炎の精霊よ、蝶の姿にて我が前にあらわれよ」
流火の口から力ある言葉が発せられた瞬間、手のひらが赤く輝き、四匹の蝶がふんわりと舞いあがる。
蝶は赤い色をしていた。なぜなら四匹の蝶はみな、炎でできていたからだ。蝶の形をした炎が舞う。翅を上下させるたびに、鱗分のような火の粉が散る。一匹の蝶が流火の頭の上に止まると、ほかの蝶も、ありあ、のばら、風之の頭の上に止まった。
「懐中電灯のかわりくらいにはなると思うぜ」
「じゅうぶんじゅうぶん。ありがと、流火。さ、みんな、鬼役を決めましょ」
ありあが右手を前に出すと、ほかの三人も右手を前にさし出した。
四人仲良く声を合わせて、
『じゃんけん――ぽんっ』
四人が出した手は――グー・チョキ・パー――つまりあいこ。
『あいこで――しょっ』
今度は全員グー。またもやあいこ。
『あいこで――しょっ。あいこで――しょっ。あいこで――しょっ。あいこで――しょっ』
四十回連続であいこを出す四人。さすがは幼なじみ。お互いの手を読みつくしている。
四人の額にうっすらと汗が浮かび、目に緊張が走る。
そして四十一回目で、
『あいこで――しょっ』
ようやっと、決着がついた。
『勝ったー』
ありあ、のばら、風之の三人は、ひらいた手をあげて勝利の歓声をあげた。
「……負けた」
握りしめた拳を震わせながら、流火は敗北のつぶやきをもらす。
「それじゃ流火、あたしたち隠れるから、早く見つけてね」
「ありあ、あまりむり言わないであげなさいよ。これだけ広い屋敷なのよ。すぐに見つけられるわけないでしょ」
「すぐに見つけられてもおもしろくないしね」
風之の青い瞳にイタズラっ子とくゆうの光が宿る。
「あーもーうるせーっ。おめーら、俺が百かぞえているあいだにとっとと隠れやがれっ」
そう叫ぶと、流火はくるりと扉のほうを向いた。そして、数をかぞえはじめる。それを合図に、三人はいっせいに駆け出した。
廊下を走る音。
階段を上る音。
扉を閉める音。
その後おとずれる――無音。
百をかぞえ終えたあと、ふたたび階段のほうを向くと、玄関ホールには流火以外、もはや誰もいなかった。
流火は左右にこうべをめぐらすと、玄関ホールを見まわした。
吹き抜けの玄関ホールはとても広く、ここだけで流火の家がまるごとすっぽり入ってしまいそうだ。正面に設置された階段は、館の主人が何人もの従者をしたがえて降りてこられるほどの横幅がある。階段の両脇には長槍をかまえた鎧が番人のように立っていた。
流火は鎧に近づくと、中に誰か入っていないかたしかめようとしたが――しかし重たくて持ちあげられなかった。四人の中でいちばん力があるのは流火だ。その流火が持ちあげられないものを、ほかの三人が持ちあげられるわけがない。それに、誰かが背後で鎧を動かしていたらさすがに気づくはず。ということはつまり、この中には誰も隠れていないということになる。
流火は鎧から離れた。
「ほかに隠れられそうな場所は……と、あそこか」
奥へとつづく扉のとなりに、針がちょうど十二時の位置で止まっている大きな柱時計が鎮座している。
流火は柱時計に近づくと、中に誰か入っていないかたしかめようとしたが――しかしすぐにやめた。仔山羊じゃあるまいし、さすがにこの中に隠れるのは不可能だ。
流火は柱時計から離れた。
「ほかに隠れられそうな場所は……」
両びらきの木製の扉。二階へとつづく階段。その両となりに置かれた鎧。奥へとつづく扉。そのとなりに置かれた柱時計。あとは、顔の部分が黒く塗りつぶされた肖像画が飾られているだけである。
どうやら玄関ホールには隠れる場所はなさそうだ。
「一階から見てまわるか」
誰にともなくつぶやくと、流火は奥へとつづく扉の前まで歩いてゆき、ノブをまわし、扉を開けた。