9色
「ただいま…」
返事はなかった。なぜなら、この家には俺以外誰もいないからだ。
「…翠、茜、桃…みんなどうしてるかな…」
生き残った兄弟たちも、もうここへは戻ってこない。
あのあと、中国から帰国し事務所へ戻った。そして、洸雅の気遣いによって休暇がもらえた。
「ここに来るべきじゃなかったかな…?」
俺は何となく、5年前に家族全員で住んでいた家に来た。草が伸び放題で、建物のなかにも埃が溜まってきた…家の焼け跡に。
「…相変わらず誰も手入れしてないんだな…」
伸びきった草を掴み、引き抜く。以外と根を張っているようで抜きにくい。
「…」
不意に掌に違和感を感じた。掌を見てみると、鋭い草で切ったのか薄く血が滲んでいた。
「…ここんとこ運が悪いな…」
仕方なく、軍手をはめて草むしりを続ける。こんなことしたって、誰も感謝なんかしてくれないのにな…ただ、俺が忘れそうなだけだ。俺のせいで、青兄さんはここで死んだんだから。
「…大方きれいになったな」
雑草をあらかた抜き終え、先程と比べると大分綺麗になったのが分かる。
「…これは…確か…」
よく目を凝らすと、雑草の山の中に小さい木の十字架があった。俺が5年前、死んだ兄の青のために作ったものだ。
「…未だに恨んでんのかな…兄のあんたを殺して生き残った俺を…」
風が異様に冷たく感じた。
《死ぬってどういうこと?》
「…誰だよ、あんた」
頭に直接響いてくる声。金龍と対峙したときにも、頭で響いていた声だ。
「っ…!」
《お前は死ぬんだろ?死ぬってどういうことだよ》
うるさ い、お前は誰だ。頭がズキズキと痛む。
《俺死ねないからさ。教えてくれよ》
「ふざけんな…不死?そんな存在いるはずない」
…心の奥では、不死身の存在を肯定してるくせに。見たことはなくても、存在を信じてみたいと思ってるくせに。
《…この世には死なれたら困る存在がいるんだよ。たとえば…神とか》
意外な単語が出てきた。神を生かす存在がいるのか?
「で、お前は神だとでも?」
世界の頂点が神でないなら、一体何だ。
《俺の質問に答えてくれたら教えるよ》
…死なんか知るかよ。死んでみねえと分かんないし。しばらく黙っていると、頭に木霊していた声はそれを最後に聞こえなくなった。
仕事が終わってからずっと倦怠感が続く。ふと隣を見ると、目に写ったのは見慣れた顔ではなかった。七色に輝く羽… 朱雀の羽だ。
…そういえば依頼主の鈴木は暗殺されたそうだ。依頼の品だった朱雀の羽は、今は俺が保管している。…熱線を放つから迷惑だが。
「…まだこの世には謎がある…か」
不意に頭をよぎった一文。
今の世代で知らないものはいないと言われるほど有名な作家、鴻章の本の一冊に書かれていたものだ。
「偉大に成り得る冒険者たちへ。世界を旅するにあたって一番大切なことは何だと思う?」
…相変わらず道化じみた言い方だ。
「それは視野をとことん広げることだ。まだこの世には謎がある。それをどこまでも追いかけるうちに、また他の謎を知ることができる。そうやって世界を広げていくのさ…」
開いていた本を閉じ、事務椅子に腰かける。くだらない。
「…謎と思えなければ意味なんかないんだよ…」 パリンッ…
「…?」
隣の部屋から突然ガラスの割れる音。 ただの事故か?
「中には防弾ガラスも仕込んであるんだが…」
それとも…
隣の部屋を覗く。窓ガラスが数枚割れているようだ。
「…」
防弾ガラスも割れている。
「事故じゃ…なさそうだな」
立て掛けてあった刀を抜刀。ゆっくりと窓ガラスに近づ く。
「っ…!上かっ!」
上から無数の刃の猛襲。すかさず頭を腕で守る。
「勿体無い…せっかくいいもの持ってるのに」
本棚の陰から知った声がする。
「…ジーク、なんの真似だ」
「無傷なところを見ると、彼らはまだ来てないのかな」
ジークは洸雅の言うことなどはなから聞いていないようだ。
「彼ら…?お前また厄介事を持ち込んだのか?」
ジー クは答えない。
「…まだ答えないか」
本棚の陰からジークが出てくる。
「…いかにも宝の持ち腐れだ…」
ジークは依然洸雅の発言など聞いていない。
「…何が言いたい」
洸雅の顔には明らかに不快の色が滲んでいる。すると、ジークは持っていた日本刀を抜刀した。
「ただの知らせさ…いい知らせと悪い知らせ、どっちから聞きたい?」
視線は洸雅ではなく、割れた窓の外へと向けられている。
「頼んだ覚えはないが」
「僕の気まぐれだよ」
ジークは日本刀の切っ先で、指に軽く切りつける。ゆっくりと赤い液体が滴る。
「今は機嫌がいいからね」
ジークの言葉で、洸雅は苦々しい表情を浮かべる。
「…俺が一番嫌いなのは、お前のような道化師だ」
持っていた刀の切っ先をジークに突き付ける。
「道化師で結構。僕の本職は情報屋なもんで」
だが、ジークは余裕の表情を浮かべたままだ。
「チッ…」
…見ているだけで腹が立つ。できることなら今ここでこいつの喉を切り裂きたいくらいだ。
「それで、いい知らせと悪い知らせ、どっちから聞くの?」
奴は日本刀を鞘から出し入れし、わざと音をたてている。…聞きたくないという選択肢はないようだ。
「…好きな方から話せ」
「…」
ジークは薄笑いを浮かべたまま、黙っている。 「何か報告でもあるんじゃなかったのか?」
少し嘲ってみせた刹那、俺の背後の壁が音をたてて崩れる。
「気に入ったよ、それでこそ戦闘民族だ」
ジークはいつの間にか刀を抜いていた。
「じゃ、まずはいい知らせから」
…この道化師のいい知らせは、大抵悪い知らせの時が多い。
「君の姉が滅ぼした一族の生き残りが、君を狙ってるらしい」
…やはり、嫌な知らせだった。
「姉貴のことは…もう思い出したくなかったんだがな」
俺がそういうと、道化師は待ち望んでいたかのように薄笑いを浮かべる。
「僕が言わなくとも、そのうち思い出さざるを得ないことでしょ?」
…こいつの合理的すぎる思考は、ある意味俺のもっとも嫌いな考え方だ。
「…そうだとも言えるな」
「…あくまでも肯定はしない…か」
ジークは期待が外れたようにつまらなさそうな顔になる。
「お前の問いには意地でもハイと答えたくはない」
鈍い音。音の発生源を見ると、本棚の一部が潰れていた。
「…」
奴はただすました顔で沈黙を保っている。…間違 いない。
「…それで、もうひとつの知らせとはなんだ」
とりあえず、聞ける情報は聞くに越したことはない。
「…『妖刀』…動き出したよ、彼が」
ジークの顔に薄笑いが浮かぶ。
「また再開し始めたらしい」
ジークは腰に携えていたもう一本の刀を抜刀する。
「…そいつは…?」
「極東の鳥」
…一瞬こいつの頭を疑った。
「…ヒントが少なすぎる」
正直に告げた。するとジークは口角をあげ、毒々しい笑みを浮かべる。…こいつがこんな顔をするときは、大抵対価を求めるときだ。
「スペシャルヒント、出してほしかったら対価を払いなよ」
…ほらな。
「血なら後でいくらでもくれてやる」
渋々そういうと、奴は眩しいくらいの笑顔になる。…この道化師が。
「いいよ、交渉成立」
刹那、頬に風が当たる。速い。
「…これ…は…?」
後ろを向くと、壁に刀が根本まで突き刺さっていた。
「スペシャルヒント」
…壁に余計な傷がない…まるで包丁を食材で切ったような感じだ。
「それじゃ、対価を頂こうか?」
ジークの顔に妖しい笑みが浮かぶ。そして、初めに抜いた日本刀を構える。
「…」
「顔、首、肩、腕、背、胸、腹、腰、脚…」
…日本刀で俺の体の部位をなぞってやがる。
「…どこにしようかな…?」 …ゆっくりと肌に刃が食い込んでくる。
「っ…」
血の滴る音。
「ふぁぁ…もっと痛がればいいのに」
ジークは心底退屈そうな顔だ。日本刀が、更に腹へ食い込んでくる。微かだった出血も、徐々におびただしく増えてくる。
「…そろそろか」
ジー クは回転しながら後ろに跳んだ。同時に、頭に激痛が走る。と同時に視界が暗転。
《…漸く出られるな》
流れ出た血に火が点る。…思わず笑みが溢れる。
「まるでガソリンみたいな血だね…不味いのはお断りだよ」
洸雅がゆっくりと立ち上がる。翠だった眼は…銀色に変色している。
「…滅す」
途端、周囲が炎に包まれる。朱雀に憑かれたというのは本当だったようだ。
「嫌だね、まだ死ぬつもりはないんで」
跳躍して天井に貼り付く。
「我に浄化されよ」
僕に向けて突き立てた指の先から、眩いほどの光が放たれる。
「…流石、世界を創造した四神の一角か」
脇腹が燃えるように熱い。先程の光で出血しているようだ。
「…ちょこまかと煩い蝿だ。とっとと我の前から消えよ」
…楽しい。こんなに楽しいと思ったのは、実に5年ぶりだ。
「…蝿とは…愚弄するにもほどがある」
あんな不潔な上に醜い下級生物と同一視されるとは。あまりにも不愉快だ。
「焔羽」
洸雅の背から七色の炎が吹き出す。仕方ない、あれを使うか。
まずは日本刀と妖刀を鞘に納める。洸雅の背から吹き出た七色の炎が、徐々に大きな翼を象っていく。
「四神の中で、最も破壊力に特化している…面倒だね…」
「散れ」
朱雀がそう言った途端、周囲に羽が舞い始める。
「…範囲が広い…」
咄嗟に窓を割って室外へと逃げる。出た瞬間、窓から七色の猛火が吹き出る。
…左腕に痛み。どうやらさっきの炎を少し食らってしまったようだ。
「まだ朱雀をコントロールしきれてないんだね」
「我をコントロールだと?」
朱雀が反応する。
「笑えぬ冗談だな」
「…」
朱雀の中から溢れ出る『何か』が倍増する。
「『緋連雀』『無花果』抜刀」
…あまりこの2本を同時に使いたくはなかったが…仕方ない。
「翼火」
「…!」
瞬く間に地が炎に包まれる。顔面に熱風が押し寄せると同時に、足先の感覚がなくなる。
「くっ…『橘』抜刀っ!」
炎と対になる力を持つ妖刀で、なんとか炎から逃れる。
「それは…」
…時間は稼げたか…?
「…楽しいねぇ…ここまで血を流させられた相手はあんたが初めてだよ…」
…僕の目的はあくまであの『炎』の採取。長期戦は避けたいが、炎のせいで近づけない。
「そうか、だがこれからお前がそんな目に遭うことはない。我が消してやるからな」
再び炎が吹き出す。ご丁寧にどこからでも迎え撃てるように、全方向攻撃だ。
「一か八かやってみようか…『緋連雀』切り刻め」
鈍い青の光を放つ妖刀で、炎が細切れに斬られる。
「…もらった」
もう片方の妖刀『無花果』で、洸雅を切りつける。刹那、洸雅の体が痙攣したように震える。
「…炎採取完了」
さて、僕の仕事はこれで終わりだ。割れていた窓から外へと脱出。
「…後で兄さんに文句言ってやる」
いくら兄さんでも、厄介事を僕に押し付けるなんて最悪だ。
「…ジーク…?」
洸雅の瞳が緑に戻っている。どうやら朱雀を押さえ込んだようだ。
「僕の役目は終わったし、これで失礼するよ」
チャットルーム
奏)【…ごめんなさい、全然分かりません】
日洋)【だーかーらー!ピタゴラスの定理!斜辺と直角を作る2辺にはちゃんと関係があんの!】
奏)【だって、直角さえあればなんでも直角三角形じゃないですか…】
日洋)【斜辺をA、その他の2辺をB、Cとすると、Aの二乗=Bの二乗+Cの二乗!Do you understand!?】
奏)【私イギリス語分かりません】
日洋)【イギリス語じゃなくて!英語だから!】
―姫さんが入室しました―
姫)【初めまして】
日洋)【あ、新入りさん?よろしく】
姫)【なんかお忙しいところごめんなさい】
奏)【大丈夫です】
日洋)【あ、別に奏さんに勉強教えてただけだから】
姫)【ごめんなさい、僕も分かりません】
日洋)【姫さん年いくつ?】
姫)【10才です】
奏)【ピチピチですね】
日洋)【気持ち悪いです】
姫)【ピタゴラスの定理って言うんですか…】
奏)【…はぁ】
日洋)【まだ覚えなくて大丈夫だよ】
姫)【…いえ、何となく最近見つかったあれのこと思い出して…】
奏)【あぁ、確かそのくらいに一旦中止になったんだよね】
日洋)【知り合いが持ってます。確か凍らないやつ】
奏)【…すみません】
姫)【どうしたんですか?】
奏)【見たことないので…】
日洋)【あ、そろそろ仕事に行かなきゃならないんで、落ちます】
奏)【ノシ】
―日洋さんが退室しました―
姫)【お腹空いたので僕も帰ります】
奏)【また来てね】
姫)【はい】
―姫さんが退室しました―
―奏さんが退室しました―