腕を見せる
Yのカウンターは広い。
三人が横に並んでも、まだ余裕がある。
審査方法は、三杯のカクテルを同時に作ることになった。パーティーではそのくらいなら実際にある。
審査員は百瀬さん、木下さん、そして――横山マスターだ。
「よし。じゃあ、オーダーはNBAオフィシャルカクテルブックに掲載されたカクテルのみとする。実際にオーダーを受けたら、三人が同時にスタートして作り始めろ。三杯出来上がるまでの時間で勝負だ。もちろん、カクテルの味も審査対象とする。」
……なんかどんどん本格的になってるような気がするんだけど。
腕を見せる、って言い出したのはオレだけどさぁ……こんなつもりじゃなかったんだけどなぁ。
「ああ、プース・カフェ・スタイルはなしだ。あくまでもパーティーでのオーダーだからな、あんなものはパーティーでは出せない。」
まあ、そりゃそうだよね。
「よし、オーダーは決まったか? それじゃあ……始めるぞ!」
流されるこの性格、何とかしたい。
取り敢えず、始まってしまったものは仕方ない。全力を尽くそう。
気持ちを切り替え、マスターの教え通りバーテンダーとしていつも通りにやるだけだ。
オーダーは百瀬さんからだ。
「じゃあ……ジン・フィズで。」
「ジン・フィズですね。ジンのご指定などはございますか?」
「え……ええ、お任せします。」
「かしこまりました。」
百瀬さんは普通のジン・フィズか。シンプルに腕を見るオーダーだな。
次の木下さんは何だろうか。
「どうしよっかな……アレキサンダーでお願い致します。」
「アレキサンダーですね。ブランデーベースの方でよろしいでしょうか?」
「あ、ああ! それでお願い致します。」
「かしこまりました。薔薇はございませんが、ご了承くださいませ。」
片目でウインクしながらオーダーを受ける。薔薇の意味がわかったのだろう、木下さんの顔が綻ぶ。
とはいえアレキサンダーか……また難しいカクテルだ。
「私は、マティーニだ。今日はレシープは任せる。」
横山マスター、そういや車じゃ……。
「お帰りは代行業者お呼びしますか?」
「おう、もちろんだ!」
「かしこまりました。」
三人のオーダーを受け、酒の用意をしようと振り向いた時には、二人は既にスピリッツもリキュールも選んだ後だった。
出遅れた! そういや、オレはこの店のどこに何があるかは知らないんだった。
今さら気づくなんて……。
まぁいいか、もう見つけたし。
ゴードン・ドライ・ジンのボトルを手にする。
ブランデーは……お、ヘネシーV.Sがあるな。これにしよう。
エギュベルのカカオ・ブラウン、これもいいリキュールだ。さすがだな。
それとマティーニか……。どうしようか。
横山マスターの好みは分からないし……そう思っていた時、ふとカウンターの上。バーテンダーの位置からしか見えない場所。見上げなければ見えない、その場所。
そこに貼られた文字が目に入った。
『十年、研鑽を積めばおいしいカクテルは作れる。
しかしその先は自分自身を磨くことが重要だ』――
その言葉を目にした瞬間に閃く。
冷蔵庫を開ける――やっぱり。ゴードン・ドライ・ジンを取り出す。
ドライ・ベルモットは……スタンダードにノイリー・プラットにしておこう。
レモン、それとシュガーシロップ。
あとはオレンジ・ビターズ。オリーブも忘れない。
生クリームも、冷蔵庫から封が開いていないものを選ばせてもらった。
カクテルグラスをホルダーから二脚、冷凍庫に入れる。
大きめのオリーブを一つ取り出し、カクテルピンに刺して小皿に除ける。
タンブラーグラスを手に取り、氷を組んでいく。氷だけでステアして、溶けた水を捨てる。
いつもと同じだ。
シェーカーを二つ、ボディに氷を組んでいく。
まずはジンフィズ。
ゴードン・ドライ・ジンを45ml、レモンを搾り15mlをそれぞれメジャーカップで量り、シェーカーに注ぐ。
シュガーシロップは2tsp。
ストレーナーを被せ、キャップを嵌める。
作業台に打ち付ける、二回。左肩の前に構え、意識を集中する。
誰かの唾を飲み込む音が聞こえ――世界が途絶する。
氷が動く振動が腕に伝わり、音が澄んで聞こえる。
軽やかなリズムが耳に心地いい。
指先で温度を測り、シェーカーが白く染まる前にストロークのテンポを落とす。
キャップを外し、タンブラーグラスに中の液体を注ぐ。
最後の一滴が落ちると同時にシェーカーを持ち上げ、残響が響く中で冷蔵庫を開けてソーダの瓶を手にする。
栓抜きで開け、そのまま注ぎ、泡立ちをコントロールしながら九割手前程度で止める。
バースプーンを氷の隙間から挿し込み、氷を持ち上げるように、二回。
最後にカットレモンに切れ込みを入れ、グラスの縁に挿し――
「お待たせしました、ジン・フィズでございます。」
百瀬さんの前にコースターを差し出し、グラスを置く。
「ありがとう、ございます……。」
返す手でシェーカーからストレーナーを外し、シンクに置く。
そのまま、次はアレキサンダーだ。
ボディの中の氷をバースプーンで押さえ、ほんのわずか――1mlにも満たない溶け水を捨てる。
バースプーンを水の入ったミキシンググラスに挿し、先ほどのヘネシーV.Sを手に取る。30ml。
エギュベル・カカオ・ブラウンを15ml。
そして、生クリームの封を開け、15ml。
すべてをシェーカーに注いだら、ストレーナーを被せ、キャップを嵌める。
作業台に打ち付ける、二回。
左肩の前に構え、目を閉じてもう一度精神を集中させる。
フッ、と音が消え、指先に身体中の神経が集まったような――
腕を大きく振り、生クリームを撹拌する。
シェーカーの中で、珠玉のコニャックとカカオ、そして生クリームが混ざり合い、一つの液体に変わっていく。
ジン・フィズの時よりも冷たい感覚が指先に伝わったことを確認し、スピードを落とす。
カクテルグラスを冷凍庫から取り出して、注ぐ。冷えたグラスが、淡いブラウンに染まっていく。
最後の一滴を泡立った液面に落とし、少しだけ鈍く響く氷の残響を耳にしながら、ストレーナーを外す。
「お待たせしました、アレキサンダーです。」
木下さんの前にコースターを置き、グラスを重ねる。
「あ……ああ、ありがとう。」
シェーカーを分解しながらシンクにどかして、空のミキシンググラスを手にする。
冷凍庫からトングで氷を組んでいく。
左手の小指にグラスを乗せ、押さえる。
ノイリー・プラットを目分量で注ぎ、ステア。
今集中するのは指先と、鼻だ。このベルモットの香りを氷に纏わせる。フワリ、と香りが漂ったところでステアを止め、ストレーナーを被せてベルモットを捨てる。
冷蔵庫から取り出したゴードンを60ml、そこにオレンジ・ビターズを2dash。
バースプーンを挿し込み、ジンにベルモットの香りを移していく。
ジンが空気に触れ、花開いていく。
そこに、柔らかなベルモットの香りが溶けていく。
冷えた指先が完成を告げ、冷凍庫から最後のグラスを取り出す。
ストレーナーをもう一度被せ、ミキシンググラスを傾ける。
冷えて白く霜が降りたグラスが、液面と共に透明になっていく。
最後の一滴が、静かに着水し氷が控えめに鳴る。
カクテルピンを摘み、グラスの縁を滑らせる。
レモンの皮を薄く切り落とし、液面に向けて折り曲げる。
そして、もう一枚切り落とし、グラスを跨ぐように果皮の汁を飛ばす。
目を閉じて、香りを嗅ぎ――よし、イメージ通りだ。
「お待たせしました。マティーニでございます。」
横山マスターの前にコースターを滑らせ、グラスを摘む指を離す。
「おう、ありがとよ。さて、二人はどうした?」




