Bar Y
横山マスターの車に乗せられて、駐車場に着いたのは深夜一時を過ぎていた。
「すみません、ありがとうございます。」
「いいから行くぞ、顔見せもしてぇしな。」
短くそう言って、車のロックを掛けてYに向かう。
ドアベルを鳴らして、その中へ入る横山マスター。その後ろに続くようにして、オレも店に入っていく。
「お疲れ様です!」
いくつもの声が唱和する。
店は既に終わった後なのだろう、お客様の姿は見えず、締め作業をしているバーテンダーの姿が見える。
全部で八人、か……。さすがだ。
Bar Yは修行が厳しいことでも有名だ。
大箱でバーテンダーの数も多く、カウンターに立つまでに年単位の時間がかかることもあると聞いている。その分、技術もしっかり叩き込まれるので、近隣では間違いのない店、として知られていた。
横山マスターも、詳しいことは話していないと言っていた。昔からのよしみで、いつものヘルプ依頼――ただし、いつものマスターはいない。
そこまでしか話していないという。
品定めをするような、遠慮のない視線が降り注ぐ。
仕方がない、か。
バーの世界では、オレは若造の一人に過ぎない。ましてやこんなのがチーフ、と言われて、すぐさまはいそうですか、と納得できるわけでもないだろう。
「おい、みんな。昨日話した通りだ。ヘルプに行きたい、というヤツは手を挙げろ。」
横山マスターが声を掛ける。
手は――挙がらない。
思わず下を向く。
やっぱり、認められていないのか――そんな不安が、胸の中に広がる。
でも、せっかく横山マスターが場を整えてくれたんだ。待っているだけじゃ、意味がない。
顔を上げ、居並ぶ皆さんの目を見て、オレからもお願いする。
「この度は勝手なお願いをして、大変申し訳ありません! どうか、お力をお貸しください! よろしくお願いします!」
頭を下げる。オレにできることはこのくらいだ。
お客様のご希望に添えたい。そのためになら、土下座だってなんだってしてやる。
その時だった。
「あの……私、行かせてもらえますか?」
その声のした方に顔を向けると、見たことのある人がカウンターの中で手を挙げていた。
お名前は確か、木下さん。このYで、もうすぐ十四年になるという、チーフクラスのベテランの方だ。
「お、木下! 行ってくれるか!」
横山マスターが笑いながら声を掛ける。
「はい。チーフの作る酒にも、興味がありまして。良い機会かな、と。」
オレの、酒?
「この間、勉強会の時にね。相崎さんが、キミの酒を面白い、と言っていたんだ。その時から興味があってね。」
小さなどよめきが広がる。
相崎様。
あの、フィディックの水割り――バーテンダー潰し、の噂を聞いて、オレの店に来てくれた他店のバーテンダーだ。ウイスキーに力を入れた、少し離れた街のバーを経営していて、協会の支部でも発言力のある方だった。
「ありがとうございます! よろしくお願い致します!」
まさか、こんなところで相崎様に助けられるとは……これも、縁だろうか。
「おう、じゃあ木下、お前は決まりだな。あとはどうだ? 他にはいないか? いないなら、オレが指名するがそれで良いか?」
目を見合わせ、おい、どうする?という囁きが漏れる。その中で――
「いや、そんな若くて店回せんのかよ。」
そんな声が、聞こえてきた。
横山マスターの耳にも届いたのだろう、声のした方を向いて、声を荒げる。
「おい、今言ったのは誰だッ!」
ざわめきが一瞬で静まり返る。洗い物の水道の音が、どこか遠くに聞こえる。
「お……オレ、です……。」
震える声で、ゆっくりと手が挙がっていく。その手の持ち主は――初めて見る顔だった。
「百瀬か。なんだ、何が不満だ? 言ってみろ。」
小さく縮こまりながら、百瀬と呼ばれたバーテンダーが掃除機を片手に声を振り絞る。
「いや……だって、ソイツオレとそんな歳変わんないですよね? それなのに、チーフだなんて……納得いかないっすよ! どうせ小さい店だからって、人もいないからカウンターに立ってるだけで、大したことないんじゃないんですか!」
横山マスターの顔が表情を失い、目を細めて百瀬さんを見つめる。
気持ちは――分かる気がした。
バーテンダーを夢見てYに来たというのに、来る日も来る日も雑用だけ。そんな時に、さして歳の変わらなそうな人間が、他店でチーフです、なんて言っても信用できないんだろう。
「なるほど、な。チーフの、腕が不安だ、と。そういうことか?」
百瀬さんが頷く。
口にしないだけで、他のバーテンダーも同じような考えだったのだろう。まあ確かにな、店も回せないようなヤツの下についてもな、そんな声があちこちから聞こえてきた。
仕方ないことだ、とは思う。
でも、オレがこの一年半近く一人で店を回してきたことは事実だし、そのために色んなものを諦めてきた。そのことまで否定されたような気がして――正直に言って、ムカついていた。
「そうか。お前ら、そこまで――馬鹿だったか。」
感情を乗せない、平坦な声が横山マスターから漏れる。目を向けると、悲しそうな目をして首を横に振っていた。
ふぅ、と息を吐き出し、一瞬だけ唇を噛んで。
「分かった。もういい。おいチーフ、ヘルプは木下と、私が入る。」
いきなり、そんなことを言い出す。
「いやっ、横山マスター、さすがにそれは!」
「なんだ、私じゃ不満か?」
もちろん、そんなことは絶対にない。
百人力どころではない、最強の援軍だ。
だけど、このYはどうなる? このまま、横山マスターの感情に任せた決断を受け入れたとして。
Yに不協和音を残したままにすることが、最善だとは思えなかった。
だけど、どうすれば――そうだ!
「皆さん、私の力不足をご心配されているようですし。実際に腕を見ていただくのはどうでしょうか。業務に支障がないとご判断いただければ、皆さんの考えも変わるのでは。」
オレのその言葉に、横山マスターがニヤリ、と笑う。
「良いな、それ。おう、お前ら! それなら文句ないだろ!」
顔を見合わせながら、それなら、まぁ……と声が漏れる。百瀬さんは、睨むような視線を向けていた。
とはいえ、腕を見せるったってなぁ……勢いだけで口走ったは良いけど、何かアイデアがあったわけじゃない。
どうしたものか、と考えていた時だった。
「それでしたら、パーティーのオーダーを想定して、三種類のカクテルを作ってもらうのはどうでしょうか。」
木下さんだ。それ、良い考えじゃないか?
横山マスターも同じ気持ちだったのかも知れない。おお、と声を上げながら目を輝かせていた。
「それなら予行演習にもなるし良いな! せっかくだ、誰かと比べさせてみようか。」
なんで!? 同じ考えじゃなかったの!?
ニヤニヤと意地の悪そうな笑顔を浮かべる横山マスターの顔に、マスターのニヤけ顔が重なる。
そんなとこまで似なくて良いのに!
「そうだなぁ……よし、山村、坂上! お前ら準備しろ!負けんなよぉお前ら、負けたら……分かってんだろうな?」
……ダメだこの人、すっかりノリノリだ。
坂上さんは入店五年目と聞いている。オレがもうすぐ三年だから、全然オレなんかより先輩だ。山村さんに至っては、去年のカクテルコンペティションに出場して、入賞を果たした方のはずだ。
「「はいっ!」」
はいっ、じゃないんだよはいっじゃ……。
どうしてこうなった。




