マスターの兄弟子
翌日、営業開始前。
開店の準備を終えた後、オレは携帯電話を握り締めながら、迷っていた。
三井様と梶山様のご依頼を受け、オレの頭に思い浮かんだのは、隣町の大きな店、Yのマスターだった。
マスターとオレの二人で店を回していた当時も、二人で間に合わない貸切営業の際には、Yにお願いして人を回してもらうこともあった。
Yの横山マスターは、この店のマスターの兄弟子に当たる。横山マスターの方が随分と年下になるが、バーテンダーになったのは横山マスターの方が先だったらしい。
横山マスターはぶっきらぼうで厳しいと有名な方だが、その実、人情に厚いことでも知られていた。
それに――今、この店がどういう状態なのかも知っていた。
マスターのことを知る、五人目。
マスターが直接話したらしい。
マスターから、何かあれば横山さんを頼れ、と言われて、一度ご挨拶に伺ったことがあった。菓子折りを差し出したら、「馬鹿野郎、若いのが気ぃ使うんじゃねえ!」、と怒られてしまった。
その時は、店のスタッフにも聞かせたくないからと、ファミレスに連れて行かれて、そこで話をすることになった。
話だけだから、とコーヒーだけで済ませようとしたら、「若いのはちゃんと食え!」とまた怒られた。
その、不器用で、ぶっきらぼうな愛情が……すごく嬉しかった。
とにかく口を開くたびに心配の言葉ばかりで、なんだか親戚の叔父さんのようだった。
それ以来、折につけては連絡をくれて、無理をするな、人なんていくらでも出してやるから頼れ、と言われていた。
ただ、実際に頼るのはこれが初めてになる。
都合のいい時だけ頼りやがって、なんて思われたりはしないだろうか。
そんな不安が、通話ボタンを押す指を迷わせる。
とはいえ、こうしていても始まらない。
ふぅ、と息を吐き出して、横山マスターと表示されたメモリを呼び出して通話ボタンを押す。
心臓の鼓動が、やけに大きく聴こえる。
耳に押し当てたスピーカーが、呼び出し音を鳴らしている。
四回、鳴らしたところで電話が繋がった。
『おう、チーフ。どうした?』
「横山マスター、すみませんお仕事前に。ちょっとご相談したいことがありまして。」
『なんだ、言ってみろ。』
唾を飲み込み、用件を切り出す。
「実は、貸切営業の依頼がありまして。」
『……なるほどな。何人だ?』
「三十名前後、とのことでして。お二人ほどお貸しいただけないかと……。」
『分かった。一度、私の店に来なさい。仕事が早く終わった日があれば言え、迎えに行く。』
「あ、いや、そこまでしていただくわけには!」
『何言ってんだ! 早いに越したことはないだろう、お客様をお待たせするつもりか!』
その言葉が、胸に刺さる。
お客様への回答が遅れれば、それだけお客様を悩ませることになる。横山マスターの言う通りだ。
「……分かりました。早く終わる日があれば、すぐにお電話します。お手数お掛けいたしますが、よろしくお願い致します。」
『それでいいんだよ、イチイチ若いのが遠慮するんじゃねぇ。アイツの弟子なら、私にとっても弟子なんだ。私を、同門を見捨てた不義理な人間にさせるんじゃないぞ。』
連絡、待ってるからな。
最後にそんな言葉を残して、横山マスターは電話を切った。
いつもこんなふうに、ぶっきらぼうな言い方なのに――その言葉には、優しさがあふれていた。
その優しさが、マスターに重なって懐かしく感じる。
そして、次に横山マスターへの電話を取ったのは、翌日のことだった。




