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優しい送り火

今のオレに、出来ることを探す。

胸の奥が脈を打つように痛む。

何も出来ないまま立っているのが――もう、耐えられなかった。


マスターの元に歩み寄る。


「マスター……すみません、今気付きました。」


言葉にした途端、後悔が押し寄せる。

見ていなかった。 聞いていなかった。 分かったふりをして、何も掬えていなかった。

そんな不甲斐なさが、頭の中を埋め尽くして、消えてくれない。


「オレ、バカでした。なんも見ちゃいなかった。悔しいです。何かしてあげたいです。」


自然と、拳に力が入る。爪が食い込み、掌を白く染める。

その痛みが喉を震わせ、次の言葉を押し出す。


「一杯目……オレ、振っても良いですか。オレから、出したいです。」


マスターの目がオレを見る。責める目じゃない。 試す目でもない。

ただ、静かに見つめていた。

 

「良く、自分で気付いたな。やはり、お前はちゃんと見ている。」


その声は静かで、だからこそ重い。瞳の奥に、かすかな光が灯る。


「お前の、やりたいようにやってみなさい。」


許可が出た。

それだけで、胸に張り付いていた鉛が、少しだけ剥がれる。


一杯目にしては強い。でもどうしても届けたい。


そこまで考えて、カクテルグラスを選ぼうとした手を止め、リキュールグラスを三脚、冷凍庫に入れて冷やす。


シェイカーに氷を組む。

ボンベイ・サファイア 45mlをシェーカーに計り入れる。硬い氷が常温のジンに触れ、ピキ、と小さな音を響かせる。その音が、お前に出来るのか、と咎めているように感じた。

それでも、この手を止めたくはなかった。


フレッシュライムをスクイーザーに押し当て搾り、15ml、そしてシュガーシロップ1tsp。

そこに、爽やかな柑橘系のリキュール、シトロンジュネヴァ。

シェイクには向かないボンベイのコシの弱さを補い、そしてフレッシュなライムの香りに奥行きを出すために、このリキュールをほんのわずかに加える――1tsp。


ストレーナーを被せ、キャップを嵌め、空気を抜いて。

シェーカーを肩の高さに構え、心を落ち着ける。


祈りを込めてハードに、しかし振りすぎてはダメだ。

氷の音を耳にしながら、必死でシェーカーの中の四種の液体が冷やされ、混じり合い融合し、一つになるのをイメージする。


もう少し、もうワンシェイク――ここだ!

 

急いでキャップを外して、冷凍庫から出した三脚のグラスに、同じ分量になるよう、慎重に……けれども素早く、静かに注ぐ。

最後の一滴がグラスに落ち、カシャン、という高い音を立て、シェーカーを持ち上げる。


ハードシェイクが生んだ、気持ち大きめのフレークが、グラスの中の淡いジンクホワイトに小さな光の反射を生む。

このフレークが溶ける前にトレイへ乗せ、お客様のテーブルに運ぶ。

 

「いつもありがとうございます。本日もお仕事、お疲れ様でした。本日の一杯目、こちらは私から。ギムレットでございます。」


「口開けには少しとはいえちょっと強い気もするけど……あぁ、それで小さなグラスにしたのか。でも、どうしたんだい?」


喉が鳴る。

言葉にすれば、ただの独りよがりにすぎない。だとしても、見なかったことにして黙っていられるほど、軽くもなかった。


「はい。ギムレットには……少し早過ぎますが。」


ギムレットには早過ぎる。

レイモンド・チャンドラーの小説、『長い別れ』に出てくる、あのセリフ。

 

医師にとっての長い別れ。それが小児科医であれば――なおさら。


それは、余りにも……早い。

早過ぎる別れを前にしても、彼らは悲しむことを許されない。患者は、一人ではない。

患者との別れを、胸の内に押し殺して、背負って立つしかない。

それでも、悼む想いが消えることはない――悲しみも、そして自分を責める気持ちも。


だから彼等は、煙草の煙に乗せていた。


手向ける花の代わりに。

誰にも気付かせないための、優しく……悲しい送り火。


この店だけは――彼等の傷付いた心を、魂を癒す、特別な場所であってほしい。

そんな願いをこの一杯に乗せた。


「『長いお別れ』、か……。」


肺の中の空気を全て吐き出すような……長い溜め息。


一瞬だけ唇が歪んで、それから――ギムレットを片手に持ち上げ、無理矢理片頬を上げてみせる。


「気を遣わせてしまってすまないね、ありがとう。いただくよ。」


小さく息を吸う。

辛いのは皆さんの方だと言うのに。


考えるより先に、頭を下げていた。


「若輩ゆえ、これまで気付けず申し訳ございません。本日もゆっくりとお過ごしくださいませ。」


「ありがとう。良かったら、君も一杯飲みなよ。」


「ありがとうございます。それでは、ありがたく頂戴致します。」


カウンターに戻り、マスターに視線を送る。もう一度シェーカーを振る許可が要る。


「何を振るつもりだ?」


「この間、教えてもらった――あのカクテルをいただこうと思います。」


「……。」


マスターは椅子に座ったまま、腕を組む。カウンターの中に、沈黙が落ち――


「分かった。やってみなさい。」

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