表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/43

仲間

心臓をギュッ、と鷲掴みにされる。

今度は、オレの顔から表情が消える。


「バイトが、忙しくて。ホラ、画材も、高いですし……。」


「……馬鹿。無理、し過ぎなんだよ。」


やっぱり……この人は、苦手だ。


「お前、授業にもほとんど顔出してないだろ。絵はどうするんだよ。せっかく才能あるのに、もったいねぇだろ。」


「絵は……でも、今は、まだ。」


大学一年の夏に縁があってこの店のマスターと出会って、そこからバイトとして雇ってもらって。

見習いを卒業し、カウンターに立つようになり、チーフに任命されたのは去年の春だ。


チーフに任命されてから一年もしないうちに、オレはほとんど一人でこの店を切り盛りすることになって。

今となっては、サークルはおろか、正直大学の単位も怪しい。

店を守る、というのはそのくらい重いってことを、身を持って実感させられているってのが本音だ。


一度持ち上げられたグラスが、しかし唇に触れることはなく、そのままトン、とコースターに置かれる。



「トシから、聞いたよ。」



心臓の鼓動が、


ひとつ飛ばして、聞こえてきた。



トシ先輩。

オレがこうなった時に、相談させてもらった、サッカーサークルの部長だ。


「なんで、お前がそこまで背負うんだ? そこまでの義理は、ないんじゃないのか。」


分かってる。きっと、四戸さんが正しい。


「お前の、昔話も聞いたよな?」


サークルの先輩たちは、オレに何があったのか、全部知ってる。


全部、話したんだ。その上で、全部知っても受け止めて――受け入れてくれた。


サッカーで繋がる、仲間。

かけがえのない、もう手にすることはできないと思っていた。

大切な場所だと思っていた。


もう、自らが手放して、戻ることはできないけれど。

 

「いっつもさ……笑ってても。絵を描いていても。寂しそうな、自分を殺しそうな、そんな眼をしてたお前がさ。話を聞いた時に、分かった気がしたよ。」


グラスに掛けられた手を外して、拳を握るのが映る。


「お前は、自分が――許せないんだろ。」


何も言葉を返すことができない。

 

なんで、この人は……全部、見透かすんだろう。


だから、苦手だ。


「それでも、サッカーしてる時だけは、心の底から本気で楽しそうにしてさ。昔のこととか、全部忘れてさ。夢中になって、ボールを追って。本当にサッカー、好きなんだなって思ったよ。十五分……リミットを超えたら、名残惜しそうに、しやがってさ。」


サッカーは今でも、好きだよ。

もっと走りたい。ボールを追いたい。

何も考えず、脚を振り抜きたい。


その気持ちには、嘘はない。


「マッチアップした時とか、トシが手ェ抜いてるっつってキレてたよな? お前、トシはアンダー代表だったんだから、敵うはずないだろってのにさ。」


あれは後から冷静になって恥ずかしかったのを覚えてる。


「オレたちはさ。お前の話も聞いた上でさ――その上で、ちっとはお前の居場所になれたのかって思ってたんだぜ?怪我をして、物足りなくて。全部は埋めらんないんだろうな、ってことも。」


一気に喋った後、ふぅ、と息を吐く。


「そんなお前がさ。このバイト始めて、少しずつ表情が柔らかくなってきたのを見てさ。この仕事に、救われてんだなって、思ったよ。」


ああ。

そうだ。そうだよ。


全部、四戸さんの言う通りだ。


オレは、この仕事を始めてから。

"あのこと"があった日から、ようやく。


生きていても良いんだな、って、思えるようになったんだ。


「オレはさ……お前みたいな、キツい体験とか、そういうのしたことないからさ。なんてぇか、うまく伝えられないけどさ。」


やめてくれ。


バーテンダーは、カウンターの中では――


笑ってなきゃいけないんだ。


「もっと、オレたちを頼れよ。仲間だろ、オレたち。」


喉の奥が熱くなり、視界が滲む。


ダメだ。

泣くな。


笑え。


プロだろ、オレ。


必死に自分に言い聞かせる。


「すみ……ませ、ん。でも、オレは――マスターに助けてもらった、その百分の一も、返せてないんす……今は、オレがこの店を守らないと、マスターの、帰る場所が……なくなっちまう。」


声が、小さく震えて響くのは止められなかった。


上手く喋ることができない。

言葉が、途切れ途切れになる。


クソっ、BGM、大きくしておけば良かった!


「お前の、判断はさ……きっと、間違ってなんかは、いないよ。」


グラスから手を離すのが見えた。

滲みそうになる視界を、必死で唾を飲み込んで堪える。


「でもさ。お前の人生まで、犠牲にしても、マスターは喜ばないんじゃないか?」

 

胸が苦しくなる。

薄々、そうなのかも知れないと思ってはいた。

それでも、言葉にして突き付けられると……やっぱり、キツい。

  

「この店は……。マスターの全て、なんです。マスターがもう一度、立つ場所を……せめて、守りたくて。」


「それで……いい、さ。大学、せめて授業は顔出せよ。あと、これ。返しとくからな。」


退部届だ。

こうなってすぐ、トシ先輩に渡していたものだ。


「この仕事を辞めろ、だとか。お前の決めたことを、どうこう言いたくて来たんじゃないんだ。

たださ。」


四戸さんの細い目が、オレをまっすぐに射抜く。

少しだけ、目尻に光るものが見えた気がした。


「お前が、マスターの帰る場所を守るんなら。


お前が帰る場所は、オレ達が守ってやるから。


たまにはサークル、顔出せよ。」


息の仕方を、忘れる。


「――ありがとう……ござい、ます……ッ。」


ダメだ、泣くな。

そうやって、自分に言い聞かせてるのに。


一度溢れ出した涙が、頬を濡らすのを止めることが出来そうにない。


「馬鹿、泣くなよ。お前の作った酒、旨いよ。頑張ってんだな、悪かったよ。もっと早くに、来るべきだったな。

ごめんな。」


立ち上がった四戸さんが、オレの肩を優しく叩く。


謝らないでください、四戸先輩。

全部オレが、オレの考えで、決めたことなんだ。


すみません、マスター。

今日は、今日だけは。


マスターの教えを、破ってしまいました。


口元を押さえて、その場で俯く。

小さな雫が一つ、二つと床を濡らして――


カウンターの中に、BGMでは消せない嗚咽が響く。




カウンターに置かれたコースターの上に残されたグラスには、希望という言葉を持つカクテルが、半分取り残されたまま。


グラスに付いた水滴が、スッ……と音もなく落ちていった。




 

同じカウンターの隅。

ダウンライトに照らされた請求書の封筒が、置き去りにされている。


国立がんセンター。


宛名は、今はここにいない、マスターの名前になっている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ