異名の誕生
オレの、何かを悟ったような表情にいたたまれなくなったKからのお客様がお帰りになった後。
常連さんは、根が生えたようにまだカウンターに座ったままだ。
「いやー、大学生は知ってたけど、今まだ二年生だったのか……。それも十九とは……。」
蒸し返さないでくれる?
「蒸し返さないでいただけます?」
心の声はダダ漏れである。
「まあ良いじゃないか! でもチーフ、さっきのお客さんにもらった名刺は絶対取っとけよ!」
「いや、ですが独立とか、今は全然そんなこと考えていませんし。まだまだ勉強中ですし、それに大学も、まだ卒業すら……。」
「バッカ、お前、あの人はこの辺りじゃ相当に名の知れた実業家だぞ? あの人が後ろ盾になる、だなんて成功間違いなしだぜ。あの人の会社と付き合いがある、ってだけで、この辺じゃステータスになるくらいなんだからな。チーフ、お前は今日、価値のあるものを手に入れたんだ。」
そんなにすごい方なんだ……。
「価値のあるもの、ですか?」
「ああ。信用だよ。あのお客さんは、自分の行きつけを失ったのは痛いだろうがさ。それ以上に、命の危機に瀕した常連客を救ったここのマスターの教え、それを実直に守ったお前の姿勢。そして、何よりお前の実力に心から感銘を受けた。」
「……。」
「あの申し出は、社交辞令なんかじゃない。お前のバーテンダーとしての哲学に、自分の持つ「力」で応えたいという、真剣な敬意の証だ。そういう、信用を形にしてくれる人は、そうはいない。そういう人との繋がり、その人からの信用こそが、お前が今日、この場で得られた最大の報酬なんだよ。」
「最大の、報酬……。」
「そうだ。だから、人の好意は素直に受け取っておきなさい。断ることが失礼に当たるってこともあるんだぜ?」
その言葉は、マスターの教えとはまた違う、世間を知る人間の優しさと重みがあった。
胸に未だ刺さっていた罪悪感は、少しだけ和らいだ気がした。
「まあ……また来てくれると良いね?」
「そうですね……きっと、またいらしていただけるとは思いますよ? バーがお好きなようですし。」
「まあ、行きつけがなくなったみたいだしね? しかしなぁ、まさかKの閉店にチーフが関わっていたとは……。」
Kの閉店自体は耳にしてはいたけれど、まさかオレが理由だなんて思わないじゃないか。
「いや、まさかこんなことになるとは私も思わなかったので驚きなんですが……でも、きっとバーテンダーは続けられるはずです。」
「そうだろうな、修行のやり直し、って話みたいだしね。うーん、しかし……。」
奥歯に物が挟まったかのように、何かを考え込むような素振りを見せる。
「どうかなされましたか?」
「いや、チーフの異名が出来たなって。」
「異名?」
なんのことだ?全く心当たりがない。
「バーテンダー潰し。ピッタリじゃん?」
…………。
「そんなにバージン・メアリが飲みたいなら、一生トマトジュースだけお出ししますよ?」
「やめてくれ! オレ、トマトだけは大嫌いなんだよ!」
――不本意ながら。
この異名があっという間に定着してしまうことを、この時のオレはまだ知る由もなかった。




