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"本物"のギムレット

ジン・フィズをゆっくりと味わい、グラスに残る氷が少しだけ小さくなって来た時。


「次は、ギムレットにしよう。"本物"のギムレットをくれ。」


悪戯な笑顔を浮かべながらご注文なさる。

またマニアックな注文だな、と思いながら、かしこまりました、と頭を下げる。


カクテルグラス――いや、ロックグラスを取り出して丸氷を入れる。

お客様の驚く顔を敢えて無視して、プリマス・ジン・ネイヴィーストレングスを軽く注ぎ、リンスして捨てる。

 

シェーカーのストレーナーを開け、氷を組む。

プリマス・ジン・ネイヴィーストレングスを35ml。

ローズ社のコーディアル・ライムジュースを15ml。

そして、その場でカットライムを搾り、10ml。


ストレーナーを被せ、キャップを嵌め、空気を逃す。

左肩の前にシェーカーを構え、一呼吸。


再び、周囲の世界から切り離されるような感覚……その世界に身を委ねる。


カシャン、と音を立てて、シェーカーが踊り出す。

カシャ、カシャカシャカシャ――軽快な音を立てるシェーカーが、やがてゆっくりと止まる。


キャップを外し、ロックグラスの丸氷の上から、静かにオレの"本物"のギムレットを注ぐ。

最後に、バースプーンで丸氷を軽く回すようにして馴染ませて――

 

「お待たせいたしました。"本物の"ギムレットでございます。」


コースターの上に置かれた、ロックグラスに注がれたギムレットを眺めて、驚いたような表情を見せる。


「これが、キミにとっての"本物"のギムレット……いや、まずはひと口いただこう。」


グラスを手に持ち、氷を回すように動かしながら唇に寄せる。

一度目を見開いてから、グラスを傾けて口に含み――喉仏を小さく上下させた。


「おぉ……見事! いや、これはすごいな!」


グラスをコースターに置き、ふぅ、と息を吐き出した後。今度は、素直な感嘆の声が漏れた。


良かった。

安堵の溜息をグッと堪えて、来るであろう質問に備える。


「これは、どういうことだい?本物のギムレット、と言えばプリマス・ジンとローズのライム、それだけ、のはずだ。そのレシピを、キミが知っていたことも驚きだが……。」


表情には、小さな笑みが漏れていた。


「何より、このギムレットは――うまい!」


手放しに褒めてくださる。ちょっと恥ずかしいな。


「はい、レイモンド・チャンドラーの小説の中で、本物のギムレット、として確かにそのように言及されていますね。」


『長いお別れ』、その中でテリー・レノックスが主人公に告げたセリフで、ギムレットをそう評していた。

今でも、ギムレットはそれがいいんだ、と信じている人は一定数いる、が――

 

「ただ……今その"本物"のギムレット、は"お出しできません"。プロとして、美味しくない、お客様のお好みに合わないと分かっているものを、お出しすることはできないからです。」


お客様の目が、真っ直ぐにオレを見つめ返してくる。


「ああ、美味しくないんだ。確かに、前に他の店で飲んだ時には、甘ったるくて飲めなかったんだ!」


そう。

そのレシピは、今の時代には絶対に合わない。


そして、何よりも、勘違いされていることがある。


「その記載の出てくる『長いお別れ』は、1953年の出版のはずです。その時代は、家庭用冷蔵庫も今ほど普及しておらず、当然冷凍庫も、製氷機も十分には普及していませんでした。シェイクに使えるほどに硬い氷は、なおさら貴重だったはずです。」


日本においては、家庭用冷蔵庫の一般家庭への普及は高度経済成長期――つまり、『長いお別れ』の刊行より後の話だ。


「また、果実としてのライムも貴重品で、フレッシュなライムジュースを使うカクテルは今とは比べ物にならないほど贅沢品でした。」


お客様の表情が、先程よりも大きな驚愕に歪む。


「コーディアルにはコーディアルの良さがあります。ですが、その始まりは保存性の問題から、代用品としてのスタートです。フレッシュ・フルーツが潤沢に手に入る今の時代においては、代用品としての役割は終わりを告げた、と思います。」


フレッシュなフルーツの方が、香りも立つし味わいの輪郭もハッキリする。


「現在ドライ嗜好が高まっている、と言われて久しいとされています。それは流通の発達や製氷技術の進歩が、より美味しいと感じる味わいの変化に寄与している、ということではないでしょうか。」


「時代が、進歩した、ということなのか……いや、確かに君の言うとおりだ。だが、何故、私にはこの本物のギムレットが合わない、と?キミが私に出したのは、たった一杯――先程の至ってスタンダードなジン・フィズだけだろう?」


確かに、このお客様に出すカクテルはこのギムレットで二杯目だ。

それは間違いない。だけど。


「そうです。その、先程の一杯でいくつか気付いたことがありまして。そこからお客様のお好みを推察して少しアレンジをさせていただきました。」


「たった……あれだけで!?だが、私はジン・フィズについての感想は述べたが、好みに繋がるようなヒントは何も話さなかったはずだ!それで何がわかると言うんだ!」


「はい、ですから、あくまでも推察に過ぎないことは確かなのですが。」


一つ前置きをしてから続ける。


「ジン・フィズの味わいを表現されるご様子からも、かなり飲み慣れた方かと。また、ひと口目、ふた口目のペースから見て、今の時代の、比較的ドライ嗜好のカクテルの方がお好みなのではないか、と判断いたしました。」


お客様のグラスの丸氷が、カラン、と小さく回る。


「そうすると、チャンドラーのギムレットは甘過ぎる、と。また、お客様程の飲み慣れた方であれば、そのギムレットもお口にされたことがあったのではないか、とも思いました。ですので、"本物"のギムレット、をベースにアレンジをさせていただいた次第でございます。」


「飲む、ペース……たった、それだけで?だが……それだけでは、この重厚な味わいは!」


驚きを隠せないお客様のまえに、プリマス・ジン・ネイヴィーストレングスのボトルを置く。


「こちらのギムレットには、プリマス・ジンの中でも、ネイヴィーストレングス――57%という強いアルコール度数を持つものを用いました。それが、重厚さの理由かと。」


「57……度?」


「はい。少し、強くなるので、その分減らしてはいますが。」


ネイヴィーストレングスのボトルに目を落とす。


「一般的なドライ・ジンなら、およそ47%が主流となりますが、プリマスのノーマルは、42.1%……少し度数が落ちる分、コシが弱くなり、軽く感じることがございます。ドライ嗜好の方が期待するギムレットならでは、の味わいが楽しめない可能性がありました。」


「そこまで考えていた、ということか……だったら、ロックスタイルにしたのは、何故だ。」


きっと、これが一番不思議に思われていたことだろう。

グラスを掴む手に、わずかに力が入っていた。


「それも、ネイヴィーストレングスを用いた理由と同じですね。」


ロックグラスの中の丸氷が、お客様の手の動きに合わせて小さく揺れる。


「三口目以降のペースが落ち着いたことから、お客様は本来、ゆっくりとお酒を嗜まれるのがお好きなのではないかと。ですので、多少ゆっくりと飲まれても、味が落ちないように、と……それと、一般的なギムレットよりは度数が高くなること。この二点を考慮して、ロックスタイルにさせていただきました。」


「あの、たった一杯でそこまで……。」


しばらく手の中のギムレットを眺めた後、ふぅー、と息を吐き出す。

その顔は、どこかスッキリとして見えた。


「試すような真似をして悪かったね。いや、素晴らしい。よく勉強しているだけじゃない、本当にキミは客のことを見ているんだな。」


「とんでもございません。それもまた、バーの楽しみのひとつ、と思っております。」


小さく頭を下げてから、言葉を紡ぐ。


「この仕事をするなら、酒の歴史を知ることも大切だと思います。先人達が紡いできたバーという文化を、疎かにするわけにはいきません。」


オレの応えに、柔らかな微笑みを返してくれる。

やっと、お客様に認めてもらえた気がする。


きっと、この柔和な包み込むような笑顔が、このお客様の本当の表情なんだろうな。

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