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知りたくないの

丸氷の準備までが終わり、フロアの掃除も半ばまで終わった頃。

バックヤードの扉が開く音がした。換気扇の音が、一瞬だけ嘲笑うかのように大きくなる。


昭和歌謡の甘ったるい鼻歌が、バックヤードから聞こえてくる。

これは……間違いない。

吉永小百合の歌った、『知りたくないの』、だ。

……オレも知りたくなかったよ、という気持ちがどっとあふれる。


そんな思いに反して、マスターはかなりの上機嫌のようだ。

これは――間違いなく酒屋に寄って店長……いや、共犯者と、サユリスト同士で盛り上がって来たな。


どんな言い訳が飛び出すか。刑事さんに事情聴取の時のやり方を聞いとけば良かった、とふと思った。


軽やかな足取りは、カウンターが見える位置に来て止まった。


「おう、おは!?」


おはよう、と言いかけた言葉が途切れ、その場で固まる。カウンターの上に、これ見よがしに置かれた木箱を凝視していた。


「あー、マスター。おはようございます。もうちょっとでフロア終わるんで。」


ひくつく頬を、散々練習した営業スマイルの形に持ち上げて、マスターに告げる。


「その後、お話がございます。分かってますよね?」


少しだけ視線を彷徨わせた後、項垂れたマスターの唇が諦めたように動く。


「……はい。」


全ての開店準備を終え、あとは看板を出すだけ、となった後。

木箱に入ったマッカランの前、カウンターの隅でちょこん、と小さく座るマスターの前に立つ。

明らかに暑いからではない汗が額を流れているのが見える。


「……で? 何か言うことは?」


「いや、これはだな、ホラ、やはりバーテンダーとしては熟成の極みを学ばずしてお客様に酒の深淵を語ることはできないというかだな……!」


やけに早口になっている。


「深淵を語る前に店の終焉が見えそうなんですが?」


「韻を踏みおって……上手いこと言うな!」


……ハァ。呆れが溜め息となって漏れる。


「感心するとこそこですか?」


「それにホラ! やっぱり熟成の樽による違いも」


「他にももっと値段を抑えたカスクフィニッシュで充分ですよね?ボウモアとか今何本あると思ってます?」


マスターがとぼけた顔で指を折って数える。


「マスター?」


ひっ、と小さな声を漏らして、えっと、あーっと、と次の説得材料を探している。

閃いたように顔を上げて、


「それにだな、酒屋の店長がだな、小百合様の秘蔵ポスターをくれるって!」


「それが店の営業と何の関係が?」


うぐ、と声を詰まらせて言い訳を探す。だが、何も思いつかなかったのだろう。

絞り出すように本音が漏れる。



「……だって……飲みたかったんだもん……。」



……ハァ〜。

特大の溜め息が、盛大に漏れる。頭痛が痛いってこういうことだろうか。


「返して来なさい!」


「ヤダヤダ! これはもうワシのもんじゃ! この店に置くんじゃ!」


「何ジジイ言葉になってんすか! 売れるわけないでしょうこんなの! 返して来なさい!」



その後、開店の後も、裏でこの騒動は尾を引いた。

マスターは最後まで折れることはなく、結局、なし崩し的にオレが押し切られる形で、このマッカランは棚に居座ることになった。


この日、棚卸し表に追加された二本のボトルが開封されるまで、二年半の時間を要した。


同じ月に仕入れられ、同じ日に開けられた、二本のボトル。

その日が、どんな日になるかなんて。

この時には、誰も――仕入れたマスター自身も、もちろん、オレも。


想像すらしていなかった。

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