チーフとマスター
「ええ、先月からチーフにしていただきまして。」
「そっか、おめでとう!頑張ってたもんな。」
「ありがとうございます。ただ――」
「ただ、なんだい?」
「いや、二人しかいない店でチーフって言われてもな、と。」
そうなんだよな。
別に、新人が入って来て部下が出来たわけでもない。そもそもこの店の規模で三人は、毎日満席が続くようでもない限りはキャパシティオーバーだ。
この状態で役職って何か意味あるんだろうか?
まあ……仕事を認めてもらえた、という意味では良いことなんだろうけど。
「まあまあ、何にしてもいいことじゃないか。これからも頑張ってくれよ、チーフ!」
「そう、ですね。できる限り頑張っていきますよ。」
「そうそう、無理は禁物だよ?」
そんな話をしていると、バックヤードのドアが開く音がする。換気扇が唸り、コオオ、と一際大きな音を立てる。
「あ、マスター来たみたいですね。」
「お、やっとご到着か。まあ、チーフがいるから安心して任せられるんだろうけどな。」
BGMに紛れて衣擦れの音がする。
コツ、コツ、と靴音が聴こえて……そこで気付く。
おかしい。
いつもより足音が遅い。少し引き摺るようにも聴こえる。
バックヤードを振り向く。
そこには――壁に手をつけながら、顔をしかめるマスターがいた。
「ちょ、マスター大丈夫ですか!?」
駆け寄り、肩に手を回す。
「おお、すまん、な。いや、何、もう痛みも引いたしと出て来たんだが。また酷くなっちまってな。アイタタ……。」
「無理しないでくださいよ!ちょっとここで座っててください、今椅子出しますから!」
そう言って、カウンターの端に座らせる。
レジの下に置いてあったパイプ椅子を広げて、いつもマスターが座っている場所に置いた。
「マスター……大丈夫ですか?そんな酷いんですか、腰。」
「おお、なんだ来とったのか。いや、いつもはそこまでじゃないんだがな。雨が降るとどうしても、な。」
もう一度肩を貸して、カウンターの中に置いた椅子に座らせる。
お客様にまで心配させるなんて、まったく。
「マスター、今日は無理しないで帰った方が。店はオレ一人で大丈夫ですから。」
「こりゃ、なんだ! カウンターの中で、『オレ』なんて!言葉遣いには気を付けろといつも言ってるだろうが、あ、アイタタ……。」
再び腰をさすりながら前屈みになる。
「マスター、チーフの言う通りだよ。これ飲んだらオレ帰るとこだったから、一緒に帰りましょう!」
お客様が気を使って声を掛けてくれる。
いらして間もないのに、申し訳ない。
とはいえ、確かにマスターはしんどそうだ。
「すみません、お願いしてしまっても大丈夫でしょうか?」
「大丈夫だよ、近所なんだ。これも警察官としての地域貢献さ。」
「すまんな……今日はダメそうだわ。チーフ、頼むぞ。」
お勘定、と言われたが、さすがにそれは申し訳ない。
マスターもいい、と言っていたので、またゆっくりいらしてください、とだけ伝えて、タクシーを呼ぶ。
店を出たところでタクシーを待とうとドアを開けた時には、もう雨は止んでいた。
さして待つこともなくタクシーが目の前に停まり、こちらが近寄る前に後部座席のドアが自動で開いた。
「すみません、今お連れしますんで、少しお待ちください。」
もう一度ドアを開け、店内に戻る。
「タクシー来ました!」
そのままバックヤードに戻り、紙袋にマスターの荷物をまとめてお客様に渡す。
「すみません、お願いします。」
「ああ、任せとけ。家に着いたら連絡入れるよ。」
マスターの肩に手を回し、そのまま立ち上がる。
その軽さに、胸がキュッと締め付けられる。
「すまんなぁ。いかんな、歳だなぁオレも……。」
笑ってごまかそうとして、声が少し裏返っていた。オレの肩に回した腕が、小刻みに震えている。
「大丈夫ですよ!無理しないで、ちゃんと休んでくださいね。」
「ああ、ありがとな。」
お客様は先にドアを開けて待ってくれていた。
「ありがとうございます、すみません。」
そう告げて、タクシーまで運ぶ。
「お待たせしてすみません、お願いします。」
タクシーのドライバーが、マスターのツラそうな姿にギョッとした表情を見せ、心配の声を掛けてきた。
お客様がオレと入れ違いにタクシーの中へと滑り込む。
バタン、という音と共にタクシーがドアを閉じた。
頭を下げて見送りながら、濡れた路面を見つめる。
路面に反射するテールランプが遠ざかっていく。
大したことないと良いんだけど――
テールランプが消えた後も、そのモヤモヤは消えることはないまま。
その後は、訪れたお客様の前で、笑顔を作るのに少しだけ苦労しながら。
その夜は、更けていった。




