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お見通し令嬢は婚約者の心を知らない

掲載日:2025/10/21



 まあこういうのを何と言うのだろうか。

 昔から人が考えていることが人一倍分かる子だった。特に長く接している人やとても親しく思っている人が今どんな気持ちで何をして欲しいのかがやたらとよく分かった。


 言ってしまえば共感能力や観察力が高いのだろう。別にそれで困ったことはないしどちらかと言えば誇らしい特技だと思ってる。特に誰かの顔色を常に伺う必要のある伯爵令嬢としては殊更便利な能力だと我ながら思う。


 そんな私が今一番気持ちを仔細に理解することができる人物こそ私の婚約者、メリオルド・フォルストである。


 私――キュレル・ヒルクレリオは紅茶を飲みながら横目に自身の婚約者を盗み見た。


 シルクのような金糸の髪、長いまつ毛に縁取られた珠玉の翡翠のような双眼が伏せ目がちに飲んでいる紅茶の液面を映していた。

 まるで彫刻のような印象を覚える美しさだ。綺麗すぎて作り物めいている、紅茶を飲み込み吐く息すらも彼が行えばとても神聖な物に見えてしまう。


 でも彼をそのような印象に引っ張っているのは美醜の他にも要因があると思う。

 それはしばらく観察すればすぐ分かる。我が婚約者、メリオルドはほとんど表情が変わらないのだ。表情筋を母親のお腹の中に置き忘れてしまったのではないかと思うほど彼の表情はいつも無表情だ。不機嫌でもご機嫌でもない、その整いすぎた眉も目尻も口元も本物の彫刻のように動かない。まあ美麗な人の無表情は圧があるらしくどちらかと言えば彼は常に不機嫌に見えるそうだ。


 メリオルドは感情を表に出さない。果ては出さなすぎて感情がないのではと言われるほどだ。

 しかし実際には彼にもちゃんと心はある。それが私にはよく分かるのだ。


 例えば彼は今はとても心穏やかでいる。暖かい午後の昼下がりに婚約者であり幼馴染でもある私と過ごす時間を彼は心の底から楽しんでいる。

 またその中にほんの数滴ソワソワしたような気持ちも混じっている。そしてこういう時の彼は大抵何かを隠している。


 なぜ表情も変わらないのに分かるのか。さあそんなの私にもさっぱりだ、けれどもし私がメリオルドと会ったばかりだったのならここまで詳細には分からなかったと思う。


 その時、メリオルドがこちらを気にする素振りを見せた。ほんの刹那の一瞬だが明確に向けられた意識に私は「どうしたの?」と笑顔で問いかけた。


「…………キュレルは覚えているか?俺たちが婚約したのはちょうど十年前の今日だった」


 相変わらず表情は変わらないけど彼のソワソワ度が増したことは分かった。私は紅茶を啜りながら「覚えているわ」と答えた。


「そうか、つまり今日は俺たちにとってとてもめでたい日だ。それで……先日君が綺麗だと言っていた宝石を、取り寄せたのだが……」

 

 メリオルドは尻すぼみになりつつも最後には翡翠の瞳に意志を宿して立ち上がった。彼は私の横に膝をついてどこからか取り出した重厚感のあるケースをパカっと開いた。


 そこには光り輝く綺麗なエメラルドがそっと横たえられていて私は思わず「まあ」と口元を抑えた。


「エメラルドのネックレスだ、めでたき日の記念品としてよければもらってくれ」


「ええ、ありがとうメリオルド。ぜひつけてくれないかしら?」


 無表情ながらもどこか不安げな彼に私は幸せを滲ませた微笑みでそう言った。するとメリオルドは一瞬本物の彫刻のように固まったが「……分かった」と頷き私の後ろに回り込んだ。


 メリオルドのスラリとした手がネックレスを持って肩から伸びてきた。エメラルドが鎖骨に当たりひんやりとした感触が一瞬走る。彼は私の長い亜麻色の髪を持ち上げると金属のチェーンをカチャリと繋げた。


「うん……とても似合っているよキュレル」

 

 彼は私の首からぶら下がったエメラルドのネックレスを見てそう言った。その時の彼の表情は相変わらず無表情であるのにどこか柔らかく熱を帯びていて、そしてどうしてだかこういう時の彼の気持ちだけはいつも分からなかった。


 ◇◇◇


 私とメリオルドが婚約したのは八歳の頃。お互い伯爵家の子供で家格がちょうどいいからと結ばれた婚約、しかし今考えるとあちら側の家には違う思惑もあったのかもしれない。

 

「ごきげんよう、わたしはキュレル・ヒルクレリオと申します。これからどうぞよろしくお願いします」


 最初の顔合わせの時、私はそこまで緊張していなかった。結婚とか婚約とかをまだよく理解してなかったし、それよりも新しい友達ができるとワクワクしていた気持ちの方が大きかった。


 そして現れたのは当時から綺麗な容姿を持つメリオルド・フォルストだった。当時、私には幼い彼がまるで天使のように見えた、どうにかして仲良くなりたくて両家の大人たちが私たちを二人っきりにすると私は積極的に彼に話しかけた。


「ねぇメリオルドって呼んでいい?わたしのこともキュレルって呼んでいいから」


 私の要求にメリオルドは首だけ頷いた。私は彼の反応を疑問に思いながらも他にもたくさんのことを話しかけた。

 好きな食べ物、嫌いな動物、きょうだいや両親の話に、次会ったら何をするのか。たくさんたくさん話をした、しかしそのどれもで彼の反応は薄く、私はもしかしたらこの子は私と一緒にいるのが嫌なのかなと思った。


 しかしふと彼を見ると、それは違うなと思い直した。無表情ではあるけれど風に靡くその金糸の髪が、伏せ目がちの翡翠の瞳が、彼の纏う雰囲気が、どれもとても穏やかで温かみを感じたのだ。


「……わたしも、そのクッキーすごく好きなの。美味しいよねもっともらってこようか?」


 無表情に一枚のクッキーを食べるメリオルドに私は頬杖をついてそう問うた。すると彼はどこか驚いたようにこちらを見て「どうして……」と呟いた。


 それは文脈からいろいろな意味が取れるが、この私に限って文間の読み違いはありえない。彼は『どうして自分がこのクッキーを好きだと気づいたのか?』と言ったのだろう。


「なんとなく、だよ。理由はないけどなんとなく分かるのわたしってもしかしてエスパーなのかも」


 そう言ってイタズラっぽく笑うとメリオルドは少し俯いて「おれは……」とこぼれ落ちるように話し出した。


「おれは昔から表情が顔に出ないんだ、自分では笑っているつもりなのに周りは全然笑ってないって言うんだ」


 その言葉はとても寂し気だった。どうやら彼は本当に表情がないだけで中身は普通の男の子のようだった、普通に理解されないことに悩む同い年の男の子。そこで私は何となく先方の大人たちは、メリオルドのこういうところを直したくて表情豊かな私を婚約者に据えたのかなと思った。


「じゃあわたしが分かってあげるよ!」


 私の言葉に、メリオルドはほんの少しだけ翡翠の双眼を見開いた気がした。


「わたしがみんなが分からない分まであなたを分かってあげる!だから友達になろうよメリオルド!」


 それはまあ何と傲慢な発言か。しかし後から振り返ってみてもきっと私はちゃんと有言実行していたと思う。私はこれまで彼の見えにくい感情を一つも取りこぼさずに幼馴染として友人として婚約者として生きてきた。


 だから初めて『あのメリオルド』を見た時は心底驚いたのだ。穏やかでどこか微笑んでいるようなのにその瞳の中に蝋燭のような熱を宿しこちらをじいっと見つめてくる。

 その目で見られると何だかこちらもむず痒くなる。そして一度囚われてしまえば巻きついたように離れなくなる。

 私にはそれが何なのかどうしても分からなかった。


 ◆◆◆


「『あのメリオルド』はいったい何なんだろう……」


 メリオルドとの茶会の日の晩、私は自室のベッドで寝転びながら今日もらったエメラルドのネックレスを天蓋に向けて両手で広げていた。


 エメラルドがサイドランプの光に当たり幾重にも屈折し輝きを放つ。その色彩はまるでメリオルドの瞳の色のようで私は今日の彼を思い出した。


 いつも通りメリオルドと会う約束をしてフォルスト伯爵家で茶会を開いた。今回はメリオルドからの誘いだったが私たちは何となく週に一度はああして会合し好きなことをする。どちらが決めたらルールという訳ではないが私たちの縁は十年以上こうして繋がってきた。


 そして私にネックレスをつけてくれた時の『あのメリオルド』それがどうにも頭から離れないのだ。


 メリオルドがああいう顔をするようになったのはいつからだろう。いやきっと最初からその兆しはあった、でも明確に火が灯ったのはここ数年だ。


 温かく触れば火傷してしまいそうなほどの熱を宿した瞳。優しげで穏やかなのに、何かいつもとは根本的に違うような雰囲気が『あのメリオルド』にはあった。


 こんなことは初めてだ。私は人が考えていることが何となく分かる、特に長く接してきた人や親しく感じている人の気持ちはもはやエスパーなんじゃないかとすら思うほどだ。


 メリオルドはその代表例みたいなものだ。今まで蓄積されてきた経験や彼の癖がきっと無意識のうちに私の中で積み上がっている。おそらく私は彼の両親よりも彼のことを理解している。


 そんな私でも『あのメリオルド』だけは分からない。時折り見せるあの表情が、声が、視線が、発生する源が分からない。人間関係において初めて味わう『不可解』という感触。あれが何なのか分からない、でも別にそれで困ることもない。しかしどうにも気になってしまう。そんな感覚がどれだけ拭っても消えないのだ。


「……こんどメリオルドに聞いてみようかな」


 なんだか負けた気がして悔しいが人の気持ちは千差万別、こういうこともあるだろう。別にやましいことでもなければちゃんと教えてくれるはずだ。私はそう思って目を閉じ眠りに落ちていった。


 ◇◇◇


「いや教えないよ?」


 それから数日、今日はメリオルドと湖の湖畔でピクニックをすることになった。よく晴れた大樹の下、シートを広げて私とメリオルドは湖面を反射する光を眺めていた。


 その時彼がこちらを見ていることに気がついた。彼の翡翠の双眼と目が合い、その熱を帯びた視線に絡め取られそうになる。そこで私は、今あなたは何を思っているのかと聞いてみた、すると返ってきた答えがこれである。私は目を見開いて「どうして?」と首を傾げた。


 メリオルドは特に答えもせず呆れたように息を吐いたと思うとポスンと私の太ももに寝っ転がった。


「……本当にキュレルって頭いいんだか悪いんだか分からないよね、いつも未来予知みたいに俺の行動を予測してくるのに」

 

 彼の言い草に私はムスッと眉を顰めた。

 その金糸の髪が散らばる額を指先で撫でて目にかかる前髪を払うとメリオルドはほんの少しだけ口角を上げて私の頬に手を伸ばした。


「……今俺が何を考えているかキュレルには分かる?」

 

 その言葉にごく自然と、私の中に彼の心が浮かんできた。


「……楽しくて居心地が良くて少し眠い?」


 メリオルドは「当たりだよ」と私の頬を一撫ですると、スルリとその手を下ろして今度は私の亜麻色の髪をいじり始めた。


「どうしても知りたいならこうして君が当てればいい、俺は君には嘘をつかないから得意の読心術で答えてごらんよ」


 メリオルドは煽るような口調でそう言うと私の太ももから起き上がった。そうして振り返った彼はやはり翡翠の瞳に熱を孕んだ『あのメリオルド』だった。


 ◇◇◇


 それから学園が始まった。とは言え最終学年の最終学期なのだが私とメリオルドは残り少ない学園生活を満喫していた。


 その間、私は『あのメリオルド』の気持ちを当てようと奮闘していた。時に朝、時にお昼時間、時に放課後、メリオルドがその表情を見せるたびに状況に即した感情を言い当てたが、そのどれもで彼が首を縦に振ることはなかった。


「分かった!痛みを我慢してる時でしょ!」


 教室の移動中に足を挫いた彼を心配した時に、メリオルドはまたあの顔をした。歩き出してから得意げにそう言うとメリオルドは「残念ちがうよ」と首を振った。


「むぅじゃあもう一回あの顔をしてよ、いつも急になるからちゃんと見れないわ」


 いじけた私の言葉にメリオルドは少し考えた後、イタズラでも企んでいるような雰囲気になり私の手首を掴んだ。


「いいよ、でも俺がそうなるためにはキュレルにも協力してもらわないとだけど」


 メリオルドはそう言った私の手首を掴んだまま近くの空き教室に入って行った。暗く灯りのついていない教室はとても静かでメリオルドは扉を閉めると私に向き直った。


「協力って?私に関係あることなの?」


 目を見開いた私にメリオルドは「そうだよ」と呟き、暗がりの中指先で私のおとがいを掴み上を向かせた。


「キュレル……俺は君に出会って救われたんだ。君は自分でも分からなかった心の声を掬い上げてくれた、明るくて前向きでお人好しで……俺はずっと君といたいよ」


 メリオルドは翡翠の瞳を細めてこぼれ落ちるように言った。その声と視線がくすぐったくて、私はえへへっと笑った。


「ありがとう、感謝されるのは気持ちがいいね。でも私は何もしてないわよ?」


 救ったと言われても私はただ一緒にいただけだ。ただ自然と聞こえてくる声に答えていただけ。しかしこう言われると心臓でも撫でられているようなむず痒さを覚えた。


 メリオルドは暗がりなのに眩しげに目を細めると、不意に顔を近づけてきた。しかし皮膚と皮膚がくっつくんじゃないかってくらいまで近づくと、どこか躊躇したように瞳を揺らし身を起こして離れていった。


「……キュレルはなんでもお見通しのようにみえて意外とそうでもないよね」


 呆れたようにメリオルドはそう言った。なんだか急にナイフが飛んできて私は反発しようとしたが口を開く前に突然ギュッとメリオルドに抱きしめられた。


「へっ?な、なによ急に……」


 私は唐突に現れた衝撃と体温に驚いて声を上げた。すると私の肩口に顔を埋めていたメリオルドが耳の中に吹き込むように「動かないで」と囁いてきた。


 体が硬直し声が出そうになるのを必死に抑えた。メリオルドは大人しくなった私の髪の匂いを嗅いだり、隙間を埋めるように抱きしめる腕の力を強くしたりとやりたい放題で私は喃語ののような声しか出せなかった。


 しばらくして腕の拘束が緩むと名残惜しげにメリオルドが離れた。私は混乱をたぶんに含んだ不可解という目で離れた彼を見上げたが次の瞬間、キュッと心臓が掴まれたように目を見張った。


「……ほら言っただろ?もう一回あの顔をしてって……どうだ?俺が今何を考えているか分かったか?」


 さっきまで私を抱きしめてたメリオルドは今までで最もその翡翠の瞳に怪しげな熱を宿していた。


 ◆◆◆


「分からないよ……」


 そう言うにはあまりにもあの視線や体温が未だに絡まりついて離れない。あの熱源の正体が、視線の意味が、思い出すだけで頬が火照る。私は夜の自室でベッドに座り込みながらギュッと目を閉じた。


 考えてみればそれは婚約者として普通のことなのかもしれない。しかしやはりよく分からないのだ、昔からそういうのはよく分からなかった。


 でもならなぜこんなにも胸が痛いほど鳴り響くのだろう。血が沸騰したように熱く指先から内臓にいたるまで全身が熱い。


 分からない。他人のことはあんなに分かるのに自分のことになると途端に分からなくなる。暗がりに光るメリオルドのあの翡翠の瞳がいつまでも私を捉えて離さない。


 全身を包むあの体温や意外と骨ばった骨格がこびりついたように付き纏う。一人で自室のベッドの上にいるはずなのにまるで後ろから抱きつかれているような錯覚を覚える。


 ベッドにいるのはよくない気がする。無駄にある想像力がいろいろな未来を掻き立ててしまう。そう思って化粧台の椅子に移動したが鏡に映る顔の真っ赤な自分に何も言えなくなってしまった。


「……ねぇあなたはどう思うの?」


 私は鏡の中の自分に問いかけた。すると彼女は恥じらうようにまつ毛を伏せて『分からない』と呟いた。しかしその表情と声音から彼女の中に喜びや期待が表れ始めていることが分かった。


「……でも、とても嬉しいのね?混乱もしているけどあなたはメリオルドが誰よりも綺麗な心を持っていることを知っているから」


 彼女はコクンと頷いた。メリオルドの心は本当に綺麗なのだ、どれだけ暴いても彼の気持ちで傷ついたことなどない。だから彼の側はとても居心地がいい、安心して寄りかかってしまうような柔らかさと温かさがある。


「なら何が不安なの?彼はあんなにいい人で、あなたもそれを喜ばしいと思っている。なのにいったい何があなたの心につっかえているの?」

 

 鏡の中の彼女はまた『分からない』と呟いた。それでも私は汲み取ってしまう、鏡の中の彼女の気持ちが根拠もなく自然と浮かび上がって、共感してしまう。


「そう……あなたはその感情に名前をつけることが怖いのね?あなたはいつだって感情を観察する側だった、感情に支配されたことなんてなかった」


 それはまるで果てのない大海原に身を投げ込むようなものだろう。そして私たちは泳ぎ方を知らない、下手をすれば溺れてしまいそうなほど私たちは理性を上回る感情の扱い方を知らない。


「一度名前をつけてしまえばもう元には戻れない。肥大化した好感度は不可逆で後でやっぱり違うなんて言えないもの」


 形のない好意はフワフワしていてまるでぬるま湯のようだ。決して火傷しないし悩まなくて済む。しかしそれに名前をつければ熱湯にもなるし冷水にもなる、傷つくこともあるだろうし熱しすぎて干上がることも、冷やしすぎて動けなくなることもある。


「でもね、きっと本来人とはそうあるべきなのよ。それに、そんな混沌とした渦の中でもメリオルドと一緒なら案外悪くないかもしれない」


 いつの間にか鏡の中の私は消えていた。そこにいるのは等身大の私、臆病で将来に不安を覚える十八歳の伯爵令嬢、キュレル・ヒルクレリオだった。


「けれどそうね……もう少しだけ時間を置いてもいいかも、卒業パーティーまでにはちゃんと分かるようになりたいかな」


 学園を卒業すれば私たちは成人だ。あと一ヶ月もないけれどそれまでにモヤがかった部分を晴らしていきたい。


 そう思って私はベッドに戻りドキドキする胸を抑えて眠りについた。


 ◇◇◇


 それからメリオルドとは表面上いつも通りに過ごした。けれど明確に何かが違う、元々無意識のうちにいろんな動作を見ていたが最近はその一つ一つに気が取られる。特に唇や指先、長いまつ毛の先や絡みつく視線に意識が持って行かれて仕方がない。そしてその中に何かを求めてしまっている自分がいることが驚きだった。


「あれ?メリオルドどこにいるんだろう……」


 その日は放課後待ち合わせ場所にメリオルドがおらず周囲を探していた。そしてちょっとした物陰で輝かしい金糸の髪が見えて駆け寄ろうとしたが、何やら重々しい雰囲気が漂っていたのでサッと隠れてしまった。


 こっそり覗くとメリオルドの他にもう一人女子生徒がいた。彼女は顔を赤くして何かを言った、メリオルドがそれに返答すると彼女は目元に光る涙を浮かべてどこかへ走り去って行った。


「……ってうわキュレル!?いつからそこに……」


 戻ってきたらメリオルドが曲がり角で私を見つけて声を上げた。私は壁に寄りかかったまま「別に……」と地面に咲く雑草を見ていた。


「聞いてないから、安心して……でもモテる男は大変ね」


 私がぶっきらぼうにそう言うとメリオルドは雰囲気を少し和らげて私の横に寄りかかった。

 私は横目に彼を見た。メリオルドはこの世のものとは思えない美貌をしているが、いかんせん常に無表情であるためとっつきにくい印象を覚えるらしい。だから普段はあまり話しかけられないが、卒業までもう間もないからかこういうことが起きたのだろう。


「そもそも婚約者がいるって分かってるのに告白するって時点で誠実性を欠いているわ」


 私も時折りこういうことが起きるがその度に相手に対してそう思う。感情を抑えられず行動に移してしまうなんて情けないことだと思っていた。


 その時右手がフワッと温かいものに握られた。それはメリオルドの手で彼はにぎにぎと私の小さな手を好き勝手に触り始めた。


「でも俺はもしも君に他の婚約者がいたとしたら、誠実性に欠いた行動をするかもしれない。そしたら君は軽蔑するかい?」


 指先が絡まって撫でるように触られる。骨ばった手が私の右手を包み込み血管を伝い彼の熱が流れ込んでくる。


「……するわ、約束を破らせようとするのはよくないことだもの。それが例えば愛や勢いで正当化されてはいけない、だから……」


 私はメリオルドの手を握り返した。絡まった指先が偶然ではなく必然となる、遮る皮膚さえもが邪魔だと感じる。

 私は俯いていた顔を上げてメリオルドに笑いかけた。


「だから……私の婚約者があなたでよかったわメリオルド」


 私がそう言って微笑むとメリオルドは少しだけ眼を見張り蕾が綻ぶように笑った。


「ああ俺も、君が婚約者でよかったキュレル」


 ◆◆◆


 それから数週間、ついに私たちの卒業パーティーがやってきた。月が夜空を明るく照らす頃、私は馬車から降りてパーティー会場に到着した。

 

 そこにはメリオルドが待っていて、礼装をした彼ははどこかの王族のようで私はクスッと少しだけ笑ってしまった。


「やあキュレル、いい夜だね。卒業おめでとう」


 私を見つけた彼が手を振って近づいてくる。私も「ありがとう」と返しその腕をとった。

 ごく自然なエスコートで私たちは会場に入った。そこはシャンデリアが輝く豪奢な式場で既に多くの紳士淑女が集まっていた。


「綺麗だね、世界で一番星よりも輝いて見えるよ」


 それが本心から言っているのが私には分かった。相変わらず無表情だけれどその視線や声音は熱くまだお酒も飲んでいないのに酔ってしまいそうだった。


 ワルツの音楽が流れ出し、会場に集まった生徒たちが踊り出す。私とメリオルドも手を取って音楽に乗り人々の波を縫うように踊っていた。


 ターン、ステップ、ターン、緩やかな三拍子のリズムに揺られて私はメリオルドを見た。リズムに揺れる金糸の髪がシャンデリアの眩い光に呼応して絹糸のように輝いている。長いまつ毛に縁取られた翡翠の瞳は内部で幾重にも色彩が重なり合い吸い込まれそうな印象を覚える。

 何度も見てきたはずなのに、何かが違って見える。まるで網膜に星の粉末がかかったような、胸の奥から素敵な何かが湧き出てくるような感覚がする。


 するとメリオルドが私の視線に気づき優しげに微笑み顔を近づけてきた。


「なんだ?見惚れているのか?」


 意地悪げにメリオルドは口角を上げた。目の前に迫った翡翠の双眼に私はニッコリと微笑んで「そうよ」と返した。


「あなたがいつも私を見つめていた気持ちが分かった気がするわ」


 メリオルドはカウンターをもらったように面食らうと「ならよかった」とシャボン玉が弾けるように笑った。


 ◆◆◆


 パーティーも終盤に差し掛かり私は人気のないテラスで夜空を眺めていた。


「キュレル」


 メリオルドがグラスを二つ持って横に並ぶ。そのうちの一つをもらいカチンと乾杯を酌み交わす。

 シュワシュワとした弱いお酒が喉を伝う。グラスを夜空に掲げると月明かりが湧き出てくる泡沫を黄金の宝石のように映した。


 いつもより、星空が綺麗に見えた。その一つ一つが散りばめられた真珠のように輝きただの暗闇を星空に変える。

 隣で同じく星を眺めるメリオルドを見やる。金糸の髪に翡翠の双眼、何度も見慣れたその色彩が不思議とこの星屑の世界で一番輝いて見えた。


 私の視線に気づいてメリオルドはこちらを振り向いた。月明かりに照らされる彼は私を見惚れるように見つめて、そっと頬を撫でた。


「綺麗だね……」


 私は彼の熱の籠った瞳を見ると、ふっと笑い私の頬を撫でる彼の手に己のそれを重ねた。


「それって……一体何に向けた言葉なのかしら?」


 この満天の星空に向けた言葉なのか、それとも目の前の着飾った一人の婚約者に向けた言葉なのか。

 メリオルドは戯けたように笑うと「さあどうなんだろうね?」と言い、頬を撫でる手を重なり合った私のと絡ませて二人の間に落とした。


「……キュレル、君の答えを聞いてもいいかな?」


 メリオルドは私からグラスを奪い取り手すりに置くとでそう言った。その瞳からは暗闇に揺れる蝋燭のような熱が感じられ、私はそれを真正面から受け止めた。


「俺が、この顔をする時何を思っているかあれから分かったかい?」


 その中からは期待、不安、切望、そういう感情が混ざり合わずマーブル模様を描いているようだった。

 私はそっとメリオルドの胸の上に手を置いた。ちょうど心臓の上あたり、きっと心と呼ばれる見えない器官があるところ。私が触れた瞬間、脈打つ心臓は跳ね上がり脈動が高鳴る、その温度が流れ込むように私の中に入ってくる。


「……暖かい、まるで小鳥みたいに動いてる」


 その服と皮膚の下にある血が走るように蠢く。彼の心を代弁するように、心臓は高鳴り仄かな熱が伝わってくる。

 私は彼の胸の上から手を下ろした。その固い感触が手のひらから離れないまま、メリオルドを見た。


「――メリオルド、あなたが今思っていること……それは『好き』……ね?」


 一瞬、彼の喉に声にならない音が伝った。そして瞳の裏側に涙を溜めたように微笑むと「正解だ」と言った。


「やっぱり、キュレルは何でもお見通しなんだな……」


「……そんなことないよ、今までずっと分からなかった。こんなに熱くて大きな感情を、私はすぐそばにいたのに気が付かなかった」


 私はそっと下を向いた。ずっと、人の心は簡単なものだと思っていた。簡単すぎてつまらない、私には、誰かの心から湧き出てくる感情が手に取るように分かる。赤色を見て緑色と間違えないように、それは当たり前で明確なことだった。


「私はずっと感情なんて薄っぺらいものだと思ってた。でも最近、自分ではどうしようもないほど強い感情もあるんだって少しは分かった気がするの」


 そういう人が苦手だった。まるで頭上に浮かぶ感情という名の傀儡師に操られている操り人形のようだと思っていた。けれど今なら少しだけ分かる気がする。

 私はメリオルドを見た、すると少しずつ心の中にあったフワフワしたものが形を得て具現化していった。温床の中で眠っていた感情が産声を上げる、無視できないほど大きな声で、思わず触れてしまうほどの熱を持って、それは確かに生まれてしまった。


 私は繋がれたメリオルドの手を強く握った。その温度がきっとこの芽生えたばかりの感情を育んでくれる気がする。

 揺れ動く翡翠の瞳に私は何かが綻ぶように微笑みかけた。


「生まれたばかりのものには名前をつけないといけないらしいわ……ねぇメリオルド?私はこの想いになんて名前をつければいいのかな?」


 その彫刻のような顔立ちが僅かに歪む。隙間から見えた想いは強く宝石のように輝いていて私はなんて綺麗なんだろうと思った。

 繋がれた手が握り返される、翡翠の瞳に熱が籠り彼の全てが私を巻き付ける。自然と引き寄せ合うように二人の距離が縮まる、コツンとくっついたおでこから流れ込むように彼の心が伝わってきた。


「……もしも君がいいと言うのなら、願わくば俺と同じものがいい。俺と同じ恋がいい……」


 間近に迫った瞳が想いを訴える。まるで慟哭するような心の声に私は知り得たばかりの気持ちでそれを胸の中に抱き留めた。熱くて重くて深い、まるで果てなき海に飛び込むような感覚だった。しかし案外悪くない、ああ本当に悪くない気分だ。


「私も……溺れるならあなたとがいい、あなたとならきっとこういうのも悪くない……その代わり絶対に離さないでね?」


 私はメリオルドの心を見つめながらそう語った。熱った頬を夜風が撫でる、夜会の喧騒は耳に入らずただメリオルドの息遣いだけが私の鼓膜を刺激した。


「ああ……もちろん、離してって言われても離さないさ」


 メリオルドは抱き寄せるように私の腕を掴んだ。それはとても優しい力だったが、きっと大海原の中でも離れ離れに分たれることはないくらい強い力でもあった。


 惹かれ合うように二人の距離が縮まる。吸い込まれるような翡翠の瞳が、きめ細やかな肌が、熱い吐息が、私の中を満たす。その大きな手が私の頬を包み、指先が輪郭を掠めるように撫でた。

 

「好きだよ……キュレル」


 月明かりに潜む二人の影が重なる瞬間、メリオルドが愛を告げた。それに呼応して、私も自然と胸の底から湧き上がるような想いを口にした。


「私もよメリオルド……」

 

 そうして二人はお互いの愛を飲み込むように口付けを交わし夜の闇に溶けていった。

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