【第9章 かわる 第75話 答え合わせ】
美咲との鎌倉はとても楽しかったが、その後の真理雄との会話で大きなショックを受けているチェン。ホテルに戻ってスマホを取り出すと、ワンからのメッセージがあった。
「チェン。日本には灯台下暗しという言葉があるのだが、日本の全ての医療機関や、全省庁が使用しているプラットフォームが『アリシア』という名前のシステムであることに気が付いた。共産主義国の力が及ぶ日本の病院経由で確認を取ったが、これが過日ジュネーブのWHOでのアナウンスで出ていた『アリス』の正体ではないのだろうかという考えを持った。ジュネーブには再度この線で確認作業に当たらさせている」
チェンはとても驚いた。先ほど訳も分からず真理雄から言われた『アリス』が『アリシア』のことだと言われた答え合わせが実行された。そんな経緯を何も知らないはずのワンから。
「真理雄さんっていったい何なの?」
チェンはつぶやいた。
共産主義国内では、ワンがこのプラットフォームアリシアについて調査の指示を出した。
閃電白虎や共産主義国マネーが注入されている、日本の病院経由で、様々な考察が進められた結果の仮報告書が添付されていた。
閃電白虎からワンへの報告書を読んだチェンはスマホの画面から目を離し、軽くため息をついて呟いた。
チェンはしばらく考えた後、とりあえず真理雄の言ったことは忘れて、自分ができる事、富岳の件が中途半端な状態であることを考えて、京都大学の西嶋准教授にメールを送る事にした。
―――
西嶋先生
お忙しいところ恐れ入ります。先日は宇宙物理学におけるスーパーコンピュータ利用に関する貴重なお話をありがとうございました。
私の方で富岳の予約スケジュール表を拝見しておりましたところ、フルノード利用(=約15.9万ノードすべてを占有)されていた例が年に数回あることに気付きました。その中でも文部科学省主導タスク「ワクチン普及と感染拡大に関する、ワクチン製造業者の本拠地と製造地の関係性」というタイトルが気になりました。
私自身、宇宙物理学と比較した際、この演算分析でフルノードが必要だったことに、不思議を感じています。
専門外ゆえご見識をお借りできれば幸いです。フルノード使用に合理性があるのか、先生のご意見をお聞かせいただければと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
敬具 陳 柔
―――
数分後には西嶋准教授から返信があった。
―――
陳さん
ご連絡ありがとうございます。富岳利用におけるノード規模の問題は、我々の分野でもしばしば議論の対象となりますので、良い視点だと思います。
それにしても、よく富岳のスケジュール表など見るチャンスがありましたね。またこないだのように、いきなり理研に押しかけて行ったのかな?と想像して笑ってしまいました。
さてご質問の件、私見も交えてご返信いたします。
ワクチン普及と感染拡大に関する「本拠地と製造地の関係性」
正直なところ……これはいくらなんでも過剰だと感じました。
位置情報を因子としたSIRモデル(感染拡大予測)でフルノードが必要とは思えませんし、せいぜいRなどで分散処理できる程度のスケール感ではないかと。つまり私のノートパソコンでもできるような、R言語の分析処理でも十分ではないかな?という印象を持ちます。
可能性としては、実際の主目的が別にある、つまり「表向きのタスク名と実際の演算内容にズレが生じている」ケースかもしれません。
もちろん、私の知らない新しい数理モデルがある可能性も否定はしませんが……やや眉唾に感じますね。
ご参考になれば幸いです。
京都大学大学院 理学研究科
宇宙物理学講座
西嶋 尚志
―――
西嶋先生
早速のお返事ありがとうございます。
実は私の方に、この文部科学省の富岳利用は、とあるAIと並列協業により創薬設計を行ったという情報が入りまして。
ご専門ではないことは重々承知しておりますが、AIと富岳の協業で製薬設計などが可能なものか、西嶋先生のご意見をうかがうことはできますでしょうか?
敬具 陳 柔
―――
1時間ほど間をおいて西嶋から返信があった。
―――
陳さん
さすがに私の知識ではお役に立てなかったので、友人である医科学の専門家に意見を聞いてきました。
彼が言うには、AIついては自分も専門家ではないので何とも言えないが、創薬、設計について富岳を使うことにより、そのリスクや効果に対する予測演算をすることは十分考えられるとの事でした。
AIの方は専門家といえる友人はおりませんので、ご回答はここまでとさせていただきます。
京都大学大学院 理学研究科
宇宙物理学講座
西嶋 尚志
―――
チェンはある種の恐怖心をもって、真理雄の言葉を思い返していた。
「西嶋先生を飲みにでも誘わないと悪いかしら……それにしても、でももしもよ?アリシアを作ったのが美咲さんで、そのアリシアがプロテオブロックを作ったとなった場合、それを私がワン警護官に報告すれば、美咲さんに何かしらの迷惑が及ぶ可能性は無いの?それに、真理雄さんが言ったこれらのことが本当である場合、それよりも優先は主席を守るということではないの?私はどうしたら良いの?何を信じたらよいの?何にフォーカスすればよいの?」
何一つ確定情報が無い中で、どれも重大で重要な仮定を渡されたチェンは、恐怖と不安に押しつぶされそうになっていた。精神的に身動きが取れなくなってしまい、その夜はそのままベッドに潜り込み、眠れたとも眠れていないとも言える、まんじりともしない夜を過ごしていた。
翌日もチェンは今後どのようになにをしたらよいのかイメージできず、思考を完全に止めたままで午前中をホテルの自室で過ごしていた。そんな時に、ワンから通信が入った。珍しく音声通信だ。
チェンは眉間にしわを寄せて電話に出た。
「はい、チェンです」
「チェン、こちらの動きと現状の私の考えを伝えておくことにした。大丈夫か?」
「はい。今はホテルにいます。お考え伺えます」
「よろしい。閃電白虎に大規模ハッキングをかけさせた。相手は厚生労働省のアリシアだ」
「……はい」
「WHOの職員が言っていた『アリス』という名前の人物についてだが、西洋では本名のアリシアをニックネームとしてアリスと呼ぶ事が多いと聞く。従って私はこのアリスとアリシアは同一であると考えた。そのほかチェンが疑問に思った事などを勘案して、私はこのアリシアというAIがプロテオブロックの開発設計に、深くかかわっているのではないか?と感じた。そこで閃電白虎にこのアリシアというシステムがどのようなものなのか探りを入れさせた」
「……はい」
「きっかけは人間が作ったのかもしれない。設計しろと指示があったのかもしれない。しかし私は設計の計算などの補助的な動きではなく、AIが主導して設計を行ったのではないのか?という考えを持っている。まあ、状況が示す要素からくる私の勘でしかないが」
「……はい」
「この考えを主席にお伝えして、会議を行った。最終的に主席は3年間でこのアリシアを超えるAIを共産主義国で作り、この国の医療機関の根幹システムの構築を指示された。お前にもこのアリシアの本質の部分を知ってもらいたいので、閃電白虎が手に入れたWAVファイルを送る。聞いてみてくれ」
ワンは通話を切った。
チェンは大きなため息をついた。
ワンから送られてきたWAVファイルを目の前にして、気が付くと背中に汗が一筋流れ落ちていく。
「……目の前にある一つの答えを、知るのが本当に怖い……」
チェンは鎌倉で美咲から聞いたアリシアの話や、その後で真理雄が言った言葉を思い返していた。
意を決した表情で、チェンはWAVファイルを再生した。スマホからは間違いなく美咲の声で、美咲から悠太へのメッセージが再生されていた。次のWAVファイルは、悠太の声で語られる、悠太から美咲へのメッセージに間違いは無かった。
チェンはぐっと目をつぶり、うなずくとSNSで美咲とのチャットを開き、通話ボタンをタップした。




