【第9章 かわる 第74話 5回目の材木座海岸】
材木座海岸にやってきたチェンと美咲は、砂浜に座って海の風を吸っていた。
憧れの美咲と色々な話をして、すっかり気持ちが緩みがちになっているチェンは、海を見ながら美咲に言った。
「日本の厚生労働省で務めているという『アリス』という人物がとても有能らしくてですね、その人を見つけてほしいなんて依頼もあったのですが、日本人でカタカナで『アリス』って名前の人は見つけられず、こっちの方はあきらめようかななんて思っています」
それを聞いて笑いながら美咲が言った。
「そうね。いないとは言えないけれど、アリスって名前は少ないでしょうね。その昔ね、私が自分で簡易的なAIを作ったんだけれど、自分一人では進化させるのに限界を感じた時に花楓に紹介してもらったのが悠太君なのよ。悠太君が初めにやることとして挙げたのが、そのAIに名前を付けるってことで。アリシアと、何だったかもう一つ候補を出した時に、面倒だからアリスにするって言ったら、それでは不思議の国に迷い込んでしまうから、アリシアで決定ってなったのよね。もう、ホント悠太君てば、大好き」
あれだけクールな美咲が、夫の事になるとバカになるとは聞いていたけれど、デレデレになっている美咲を見て、なんだか楽しくなってしまったチェンは大笑い。
二人はパンを買って鎌倉駅の方に向かって歩いたが、時間的にも甘味処はまた今度という事になった。
美咲は一度片瀬にある実家に戻るため、鎌倉駅でチェンに手を振って江ノ島電鉄乗り場に向かって歩き出した。チェンはホテルがある蒲田に戻るため、JRのホームに行く必要があるので、その場で手を振り返していた。その時に、ふいに声をかけられた。
「美咲ちゃん」
そこには真理雄が手を振って立っていた。その声にチェンも視線を真理雄に向けた。
美咲は驚いた顔で言った。
「真理雄君、どうしたの?こんなところで」
「偶然だよ。お友達?」
真理雄はチェンに視線を向けた。
「そう。小学校の時の後輩って言えるのかしらね?」
一度離れかけた美咲とチェンは、その中間にいる真理雄の元に再度集合する形になった。
真理雄は美咲を見ながら言った。
「もう少し早く会えたら、一緒に鎌倉めぐりできたのに。残念」
チェンは美咲に聞いた。
「美咲さん、お知合いですか?」
「悠太君の親友だから、私の親友でもあるわね。真理雄君よ」
真理雄はチェンに身体を向けた。
「はじめまして。近藤真理雄です」
美咲が真理雄の肩を押しながら言った。
「こないだの萬珍樓会議には来なかったわね。友情をなんだと思っている訳?」
「最近仕事が忙しくってね。残念だったよ」
美咲はニヤッと美しい笑顔を真理雄に投げかけて言った。
「残念だけれど、翔子が実家で待っているからもう行くわね」
「また遊びに行くよ。悠太君にもよろしくね」
「お土産を楽しみにしているわ。またね」
美咲はもう一度チェンと真理雄に手を振って、江ノ島電鉄のホームに向かって歩き始めた。
「チェンさんはJRですか?」
「はい。私はホテルが蒲田なので」
「じゃあ一緒に帰りましょう。僕も横浜で乗り換えて京浜東北線なので」
二人はホームに向かって歩きだした。
ホームで案内板を見た真理雄。
「横須賀線は10分後ですね。座ってますか?」
「幼いころから父が、ああ、父は日本人なんですけれど、子どもは立ってろって言われ続けていたので、なんだか日本の公共の場で座ると罪悪感を感じてしまうんです」
「じゃあ立って待ってましょう」
真理雄は笑顔で答えた。
「チェンさん。僕はチェンさんが知らないことをいろいろ知っているんです。例えばアリスというのはアリシアというAIのことだとか」
笑顔の真理雄を驚きと不審が入り混じる表情で見つめるチェン。
「え?」
「そのアリシアというAIは美咲ちゃんと悠太君が作ったこととか」
チェンはますます混迷を深める表情を浮かべた。
「富岳のノードのことでの疑問は、文科省がやった調査は名前と内容が大きく違います。実はあれはアリシアがプロテオブロックを設計するときに富岳の力を借りたというものでした。プロテオブロックはアリシアが国立感染症研究所の情報整理をしている中で、人造ウイルスではないかと気が付いて、それを確定させる演算の中で富岳と連携してついでに設計したものなんだよ」
「ちょ、ちょっとまって、真理雄さん。ごめんなさい。訳が分からない。あなたはいったい何?」
ホーム内に電車が到着する案内が流れた。真理雄は笑顔で言った。
「じゃあ、乗りましょう」
チェンはこれ以上ない、不安と不信と混迷を混ぜ合わせた表情のままで真理雄の後に続いた。
電車に乗り込み、二人で反対側のドアに背を預けるように立つと、電車が走り出す。
「真理雄さん。あなたは諜報員ですか?」
チェンは硬い表情に変えて言った。
「諜報員……そうですね。内閣のNSSという組織に属していますから、諜報員のたぐいであることは間違いないかもしれません」
「では私が日本に来た本当の狙いや、私が所属する組織も知っているということ?目的は何?」
「チェンさん、落ち着いてください。おそらくチェンさんが考えているのとはちょっと違います」
チェンが拳を強く握っている事に気が付いた真理雄は、また笑顔を見せてチェンを安心させようとしていた。
「チェンさん。僕の発言はNSSは関係ありません。いや、そうだな。関係あることにしよう。僕が得た情報によると、エキドナという集団が、共産主義国を狙っています。主席を暗殺して陰から共産主義国を管理しようとしています。これが実行されると、人間にとって……いや、日本にとってとても厄介なことになります。リウ主席は時に強硬な姿を演じるが、実はとても人間的で心から世界人類の安寧を願っている。そうですよね?」
真理雄はスパイ映画に出ている俳優のセリフのように言った。
「……」
「だからリウ主席には暗殺などに倒れずに、しっかり共産主義国を守っていただきたいのです。プロテオブロックの製造に関わったというアリスというのは、AIアリシアのことです。そしてそのアリシアは美咲ちゃんが高校生の時に作り、それを悠太君が成長させた。プロテオブロックはそのアリシアが自発的に富岳と協業して設計したものです。NSSの係長が、弱みを握っていた文部科学省の官僚を脅して、富岳のフルノード予約をねじ込んだ。チェンさんがやるべきことは、この事実を持って帰り、リウ主席をエキドナの暗殺計画から守ることです。他に聞きたい事があれば、僕が分かる範囲でお答えします。何かありますか?」
チェンは眉間にしわを寄せて返した。
「もし私が全面的に真理雄さんを信じるとして……エキドナとはどの国の組織?どんな方法で主席を狙う?」
「エキドナとは元々、企業や政治家の腐敗を暴く集団であり、どの国にも属していません。ですがエキドナの存在意義が変わってしまったようです。何かしらの理由があって共産主義国のコントロール権を手中に収めようとしている。そしてエキドナは閃電白虎や僕達NSSでは勝負にならないような高いレベルのハッカー集団だ。どんな方法で主席を暗殺しようとするのかについては、僕にはわからない。ただし、今現在の世界においてそのほとんどのセキュリティーは、デジタルのシステムを使っていますよね。セキュリティーシステムをハッキングして何かを仕掛けるって流れは読めるといえますね」
チェンは何かを言いかけて口をつぐんだ。




