【第1章 きっかけ 第6話 シグナルイエロー】
チェンが日本国内のPTP容器に関する調査を終えようとしている少し前、NSS(内閣官房国家安全保障局)の外事課特殊案件係戦術介入班では、数分前から伊藤光也が眉間にしわを寄せて、無言でキーボードを高速で叩いていた。
首を傾げたり振ったりしていたが、一人うなずくとヘッドセットのボタンを押してAIアリシアに向かって言った。
「アリシア、情報技術解析係の向上係長に、緊急で現状報告と加勢を依頼ヨロ」
「光也さん、了解しました」
光也の居場所である『中央合同庁舎8号館』の道路をはさんだ向こう側、首相官邸の地下1階の更に深部にある、一般人は存在を知らないCCC。
この場所には、NSS情報分析課の、サイバー攻撃対策係と情報技術解析係が詰めている。
サイバー攻撃対策係は、主に防衛、遮断、システム保全が任務であり、相手のサイバー攻撃に対して、リアルタイムで戦う兵士のような存在であるともいえるし、守ることの専門家ともいえる。
情報技術解析係は、解析、逆探知、特定が主な任務であり、場合によってはこちらから攻撃を仕掛ける場合もある。事前の計画、日常の警戒、社会情勢や技術進歩への対応、新しい対応策の策定を行う、日本の情報保護の中心的存在といったところか。
首相官邸地下のCCCに詰めていた、情報技術解析係の向上紗耶香係長のヘッドセットにアリシアが通知を行った。
「紗耶香。特殊戦術係介入班の伊藤光也CQBから緊急の通知です。現在交戦中につき加勢を要請されています」
30代にして国家レベルの情報戦術の中核を任された向上紗耶香は、アリシアからの通知に対して迷いも淀みもなく指示を出す。
「総員トリガーレベル3。シグナルイエロー。アリシア、全端末に現状を展開」
「紗耶香、展開完了です。情報技術解析係と介入班光也さんをボイスチャットで接続完了」
CCCの室内はやや暗くなり、ところどころに設置してある、先ほどまで緑色に点灯していた警告灯の色が、黄色に変わっていた。
向上紗耶香が壁面スクリーンに映し出された現状を読み解きながら、ヘッドセットのマイクに向かって話しかけた。
「光也さん、状況は?」
「電力会社のサーバに侵入があった。数日前に仕掛けておいたトラップが反応したんだ。どうも通信の癖が素人じゃない」
紗耶香は部下のエンジニアに向けて指示を飛ばす。
「逆探知開始。反応速度に異常があるポイントは中継だけの偽装と仮定して、本物の足跡を絞り込んで。通信の応答時間とその揺らぎから、相手のおおよその距離を算出」
エンジニアたちは素早く作業を開始し、巨大スクリーンに複雑なネットワーク構造が広がる。通信経路上にある多数のポイントが、時間軸に沿って色分けされ、応答速度と安定性が視覚化されていく。
エンジニアが声を上げる。
「脅威主体はデータを出し入れする間に、こちらの防壁の反応を測ってますね。偽の通信情報を混ぜて、どこにセンサーがあるか探ってる感じです」
光也が頷いた。
「やっぱり、かなりの手練れだね。攻めながら、防御の癖まで見ようとしてる。こういうやり方は、つわものの動きだよ」
紗耶香は冷静に指示を続ける。
「通信情報の揺れを見て、相手が切り替えた本命ルートを特定して。慎重に、でも早く」
数秒後、モニターの一部が赤く染まった。
「向上係長、脅威主体がこちらの仕掛けたトラップに気付きました。データ抜き取りの速度が急激に上がってます!」
「回線を変えるつもりね……全員、通信の切り替え先を予測して先回り!主要ポイントに防御壁を展開して」
エンジニアの操作で、通信経路制御信号が一斉にネットワーク上を駆け巡る。信号が通れるはずの道を事前に塞ぐ高度な技術だ。
「仕掛けた網にかかりました!でも……逃げられます!」
光也が笑いながら言う。
「うわ、逃げ足はや」
「いいわ、民間企業とはいえ、電力会社の情報漏洩をこれ以上広げるわけにはいかない。脅威主体が侵入している出入口を閉鎖しちゃって」
エンジニアが驚いた顔で言う。
「え?いいんですか?後々問題になるのでは?」
紗耶香は迷いなく指示を続けた。
「大丈夫。閉鎖は数分以内にする。その間にアクセスログを元にして、相手が使っていた経路上に高精度のデコイサーバを配置。見た目は同じ構成で、中身は監視タグ入りにする。再侵入してきたら、こっちから逆探知を仕掛ける」
「それって……」
「一時的な通信障害。外部から見ればただのラグだと思わせて。復旧後には誰も不自然とは思わないわ。システム再同期に見せかけて再開、クレームの前に問題は終わってる」
「了解」
モニター上の通信経路がすべて黒く変わり、相手との接続が完全に切断されたことを示していた。
紗耶香が少し息を吐いてから言う。
「ここまで私達からの攻撃で得られた情報は?」
「……相手の狙いは、日本国内の製薬会社の電力消費量です。生産の稼働状況を読むつもりだったようです」
紗耶香が頷いた。
「各主要製薬工場と通信会社のインフラ周辺にデコイを展開。あとは引っかかるのを待つだけね」
光也は軽く笑った。
「紗耶香ちゃん、やっぱ頼りになるなあ」
「光也さん、少しは先に連絡してください。毎回いきなりじゃ困ります」
CCCの緊張は解けつつも、次の備えを静かに進めていた。
エンジニアから紗耶香へ報告が入る。
「係長、電力会社の出入り口にデコイサーバー設置完了。通信閉鎖を開放します」
「了解ありがとう。光也さん、シグナルブルーに戻します」
「ありがとうね。僕の仕掛けが弱かったせいで、手間かけさせちゃったね」
「何があったのですか?」
「そうだね、ちょっと僕のボスとも繋げちゃうね。アリシア、冴ちゃんも呼んで」
「光也さん、了解しました……」
光也のボスである、NSS外事課特殊戦術係長の佐藤冴子がボイスチャットに加わった。
「どうしたの光也?」
「冴ちゃん。トリガーレベル3、具体的脅威検出のアラートかけて、紗耶香ちゃんのところにも手伝ってもらって、サイバー戦をやってた。経緯報告しちゃうよ?」
「わかったわよ光也。紗耶香ちゃんもありがとうね」
「いえいえ。で、光也さん、何があったのですか?」
「うん、実は数日前に、誰かが日本中の電力会社に不可解な読み取りアクセスをかけていた足跡を見つけたんだ。僕にはなんだか嫌な臭いがしてさ。で、僕は自作の『網』を電力会社のシステムに仕込んでおいたんだよね。相手がもう一度手を伸ばしてくるとすれば、今週中かな?って思ってね。皆に相談しておけば、今回はもっと良い結果が得られたかもだったんだけれど、確証が無さ過ぎてね。その網に引っかかったんだけど、相手がかなりの手練れだったので紗耶香ちゃんたちに応援を頼んだんだ」
冴子が問いかけた。
「光也、1回目は何の情報にアクセスしていたのか把握しているの?」
「薬の容器工場の電力消費量だね。今回が薬の工場だから、一連の流れは読めるよね」
紗耶香が言った。
「冴子さん、なんにしても電力消費量を知りたがっているのはわかったので、各電力会社のデータサーバーにデコイを仕掛けておきますけど、他にヒントがあれば教えてください」
「そうねぇ、今のところなんとも言えないわよね。光也が手練れだなんて言うんだから、相当なもんなんだろうけど、エキドナレベル?」
「さすがにエキドナだと、僕が作った網にもかからずに、僕は何も知らないままだったよ。アメリカ国防総省のケロべロスはまあナシとして、イスラエルのブラックスワンか、実はGAFAの裏部隊とか都市伝説があるシリウスか……共産主義国の閃電白虎とかそのレベル」
「何の根拠もないけれど、今このタイミングの世界情勢を鑑みた時に、介入班の真理雄が前に言っていた、共産主義国が仕掛けようとしていた『世界一路構想』というものが本当にあったとすると、その計画を頓挫させたプロテオブロックのことについて、調べていたのかしら?っていう推測もできなくないわね」
デジタルの音声チャットではあったが、誰かが『ゴクン』と唾をのんだ。




