【第7章 つなぐ 第55話 嵐の中の座談会】
中央規律検査委員会のスーツを着た男2名が帰った後、チェンは自分のデスクに着いたが、仕事が手につかなくなっていた。思考を重ねようにも、様々な感情が先立ってしまい、考えるという行為が全くできずにいた。
そんなチェンを呼ぶ声。振り向いたチェンに映ったのは、やや怪訝な表情を浮かべたチェンの直属の上司、ソウ(曹)だった。
「チェン。いま外交部本部のソン副部長から連絡があり、これからすぐに長安街にある外交部庁舎のソン副部のところまで行ってくれ」
チェンは次から次へとくる、普通じゃないことに嫌気がさしつつあった。
「なんですか?外交部の副部長が私を呼び出すなんて」
「私にもわからんよ。だが私に連絡をしてきたということは、前に日本に調査に行った時のように、何かしらの依頼かもしれん」
チェンはため息をついて言った。
「わかりました。時間によっては戻らないかもしれません」
「ああ、それでいいよ」
会釈をして、自分のデスクを片付けて部屋を出た。
チェンは地下鉄を乗り継ぎ、50分後にはソン副部長が務める執務室にいた。
「チェン、わざわざありがとう。ワンのことは聞いたか?」
「はい。先ほど中央規律検査委員会のスーツを着た男二人が来て、取り調べを受けていました」
「私も取り調べを受けた。まったく、ワンが主席の暗殺を企てた?バカな」
「はい。私ももう、何が何だか。世界中の人が主席の敵に回っても、ワン警護官が裏切ることはあり得ないと思います。ワン警護官が私を裏切ることはあっても、首席を裏切ることは無いでしょう」
ソンは何かに憤りを覚えているようなチェンを見て、笑いながら言った。
「ワンはチェンを裏切ることもないよ。あいつはチェンが思うより、お前さんを高く評価していたし、あいつが誰かをとっておきのカードだなんて言うところを、お前さんのこと以外で聞いたことが無い」
チェンは自分の中で吹き溜まるような、様々な疑念が少しだけ晴れた気がした。
「いったい何が起こっているのですか?」
「私にもまだなにがなんだかわからないが、どうやら現任の政府高官が得た情報らしい。証拠も揃っているといっていた」
「そんなバカなことが……」
チェンは首を左右に振りながら床に目線を落とした。
ワンの後ろ盾があってこそ、閃電白虎などの政治的な力を使えたが、この状況にあってチェンは、自分の力のなさに嫌気がさしていた。
自分が無茶してでも動くことにより、手遅れという事態を防ぐ可能性やメリットと、余計な行動を咎められ、ワンが追いつめられる可能性やデメリットを比べると、今は下手に動くタイミングではないと考えたチェンは、自分の仕事に集中しようとしていた。
チェンが働く正式名称『人民解放軍総参謀情報部配下・海外文化戦略・対外認知工作処』通称『文化交流情報処』は人民解放軍情報部第三部第十局という施設の中にあり、つまりチェンは軍属である。
文化交流情報処では、普段は私服の紺色や黒のスーツを着ている。しかしそれぞれのロッカーの中には支給されている文職用の制服(軍服)があり、式典など指示があった時だけに着用するものである。
本来中央規律検査委員会の査問を受ける際には、この文職用軍服に着替えるべきであるが、突然やってきて、大した意味もないような取り調べが実行されている為、チェンは私服のままで取り調べを受けていた。
チェンにとって、間違えても楽しい時間とは言えなかったが、どこをどう調べても何も出てこない、何もない事実をいくら掘り返されたとしても、何も怖いことはなかった。
電車の中やレストランで子どもが泣いている。犬も庭先で吠えている。まあ、それが仕事だもんね。と最近では落ち着き払った様子で査問を受けている。感情的になることもほとんどない。
そんな日常業務に、週二回くらい30分程度の査問が追加されている毎日のとある午後、チェンの直属の上司、ソウはチェンのデスクに封筒を置いた。
「これは何ですか?」
当然のようにチェンが聞く。50代中盤に差し掛かる中年男性であるソウは、M字に額が広がっている頭に手を置いて言った。
「実はね、私の大学時代の先輩に出版社で編集をやっている人がいてね。まあその人には世話になったので、冷たくもできないんだが、その先輩の後輩編集者がどうしてもチェンを呼びたいと言っているらしいんだ」
チェンは封筒を開けながら言った。
「呼びたいと言うと、何かの催し物ですか?」
チェンが手にしたパンフレットを上司が補足するように声に出していた。
「実はOSINTの学術座談会を開催するらしくてね。その座談会を企画立案した私の先輩の後輩編集者が、チェンと同じ大学卒業らしいんだ。すごい優秀なんだね。清華大学なんて。で、たまたまチェンの卒業論文の『衛星画像、物流記録、文化ノイズからの早期検知モデルを提唱した、開かれた痕跡の統合』だっけ?それを読んでファンになって、チェンが書いた論文を全部読み漁ったらしいという、ちょっと気持ち悪いやつらしいんだけど。どうしても嫌じゃなければ、私の顔を立てると思って行ってみてはくれないだろうか?」
チェンはなんとも表現できない、喜怒哀楽をまぜこぜにしたような表情をほんの1秒浮かべた後で、いつもの笑顔で言った。
「もちろん、喜んで。私の論文を読んでくれた相手を気持ち悪いなんて思うわけ無いじゃないですか」
ソウはホッとしたような顔をしていた。




