【第6章 ひらく 第52話 期待の奥に潜んでいた心当たりの棘】
時間を遡って1か月少々前。チェンに帰国指示が出てから5日目の夕方。これから開催される萬珍楼会議で、美咲と話ができることに浮き足立っていたチェンは、足早に京浜東北線に乗り、横浜中華街に向かっていた。自分の帰国前にこのスケジュールをねじ込んでくれた花楓に、心からの感謝を感じながら。
約束の時間10分前に萬珍楼についたチェンは、店員に恥ずかしい気持ちを抑えながら『萬珍会議』の参加者であることを告げると、個室まで案内してくれた。
――もうちょっと他の会名は無かったのだろうか?
そんなことを考えながら個室に入った。
室内には既にほぼ全員が集まっていたが、美咲と悠太の姿が無い。
エミがチェンに気が付いて手を振った。
「ジュジュ。今日は私の隣に座る?」
チェンは少しキョロキョロしながら笑顔で答えた。
「そうね。明後日には帰っちゃうからね」
エミはスマホを見ながら言った。
「なんかニュースが流れて来たけれど、日本でも警察と銃撃戦があるなんて驚きね」
「そうよね。アメリカじゃないんだからね。共産主義国でもありえないことよ」
席に座りながらチェンは返した。
テーブルのちょうど反対側に座る花楓が、キョロキョロしているチェンに気が付いて声をかけた。
「美咲はまだ来ていないけれど、多分来るから大丈夫よ。美咲は来るって言ったら来るから。美咲とも悠太君とも連絡が付かないのは、ちょっと気になるけれどね」
エミの双子の兄であり、今は花楓の夫である篤が自分のスマホをとりだした。
「そうなんだよ、ジュジュちゃん。俺もさっきから悠太に電話しているんだけれど、電源が入っていないって」
それを聞いていた健治もスマホを取り出して電話をかける。
「あぁ、まだ駄目だね。電車の中で電源切っているのかなぁ」
花楓が立ち上がった。
「まぁ、そのうち来るでしょ。じゃあとりあえず、明後日帰るジュジュのご苦労様会をはじめますか!」
明るく楽しいいつもの雰囲気で始まった萬珍楼会議であったが、結局美咲と悠太は会場を訪れることはなく、連絡は最後まで付かなかった。
途中花楓は美咲の実家である病院にも電話をかけたが、事務長である父親にも、院長である母親にも連絡は取れなかった。
結局帰国までの間にも、何度か直接SNSで美咲にメッセージを送っては見たものの、既読にすらならない状況に、不安を覚えるチェンであった。
帰りの飛行機の中、日本の土地を離れれば離れるほどに不安が募り、もしかしたら自分がアリシアを作ったのは美咲であるということを伝えたせいで、何かとんでもないことが起こっているのでは無いだろうか?
ニュースでやっていた、警察と武装集団との銃撃戦。共産主義国と何かしら関係があるのではないだろうか?そんな心配がどんどん膨らんでいった。
飛行機を降りると、まず初めにチェンはワンにメッセージを送った。
「ただいま帰国いたしました。報告とは別件で至急確認したいことがありますので、お時間をいただけないでしょうか?」
チェンは返事を待ったが、とりあえず出来ることはしたかったので、その足で中南海に向かった。
中南海に着いたチェンは、いつもワンと話をする紫光閣の第七接見室にある中央警護局のドアを開けた。
「人民軍総参謀情報部配下、海外文化戦略局チェン・ロウと申します。ワン警護官に緊急の要件があり、お約束なくお伺いしました。ご面会の取次ぎをお願いします」
チェンは基本的に軍属であるため、敬礼をしてワンとの取次ぎを依頼した。
この部屋の主である中央警護局も警察の仲間と言える部署であるため、受付にいた担当官も立ち上がり敬礼をした。座り直して端末を操作し、ワンの予定を確認後、担当官はチェンに言った。
「ワン警護官は、ただいまリウ主席と共に会議中であります。1時間後位に会議が終わる予定ですが」
チェンはためらいなく答えた。
「待たせていただくことは可能でありますか?」
その後チェンは、担当官の案内で小さな会議室に案内された。チェンは大きなキャスター付きのトランクケースを引きずって、案内された会議室に入った。
防音がしっかり効いている会議室内では、空調の音がやけに大きく聞こえる。ゴォーと響く音の中、チェンの不安はどんどん大きくなっていった。
――もし共産主義国が美咲さんに何かしていたら……何かって何?まさか拉致なんてする?もしそうだったら、私はどうするの?共産主義国がバラまいたウイルスを、世界の安寧の為に致し方ないと認めたり。ウイルスが美咲さんやエミの命を奪う可能性だってあったのに、重症化率とか死亡率をただの数字として認識していたり。もう、本当に自分自身が何が何だかわからない……
明らかにチェンは冷静な思考からかけ離れた精神状態に陥っていた。
しばらくの間一人で抱えきれない不安に押しつぶされそうになっていた、チェンが座るこの閉鎖的空間の扉が不意に開いた。そこにはワンがいた。
「どうしたんだ?チェン」
ワンはいつものように、落ち着き冷静、チェンの心を見透かしているような声で言った。




