【第5章 あざむく 第41話 賽は既に投げられていた】
共産主義国、首都にある最高級ホテルの最上階スイートルーム。
オールバックの男は連日ツァイを呼び出し、ルームサービスで最高級の夕食を共にしながら報告を行い、それが終わるとオールバックの男に変わり、映画女優のような美しい女が入ってくる。
パブロフの犬のように、ツァイはオールバックの男からの呼び出しがかかるたびに、よだれを垂らして日が暮れるのを待つ。そんな数日間を過ごしていた。
エキドナが世界で飛び抜けた技術力を持った、サイバー戦の集団であることを知らないツァイは、そもそも自分の目の前にいるのが、エキドナのメンバーであることを知らない。ツァイは、アリシアを手に入れるための日本へのハッキングが成果をもたらしていない事実について、オールバックの男に釈迦に説法のような文句をわめいていた。
あたかも自分を、世界の王であるように思い込んでいる態度で。
「失敗の報告なんて聞きたくないんだよ、俺は!失敗の報告なんて必要ない!俺に認めてほしいのならば、結果を俺の前に持って来いよ!子どもでも分かるぞ?!そんな事は!」
オールバックの男は、一切口を挟まずに顔をツァイに向けていた。
「……何とか言えよ!なんだ?その態度は?!自分の無能さを棚に上げて、謝罪の気持ちひとつないのか?自分の無能さを詫びたいときはなぁ、地面に跪き、手足を着いて詫びるんだよ!そんな常識もないのか?!」
ツァイの表情や声質は、ますます自分が世界の王であるという高揚感で強くなっていく。
オールバックの男は椅子から降り、地面に手足を着けて言った。
「ツァイ様。我々の無能をお許しください。我々は今後どのようにしたらよいのか、お教えいただければ命に代えて、あなた様のご命令を全うしようと考えます」
その声は、発している本人の態度や言葉とは違い、全く謝罪の意識を感じさせない、相変わらず不気味なほどの自信に満ち溢れる物だった。
それはツァイも感じ取っている事であり、自分の中に沸いているオールバックの男に対する恐怖心を打ち消すように、椅子から立ち上がり、床に手足を着いているオールバックの男の脇腹を蹴り上げた。
「そ、そんな事もわからないのか?無能者め!アリシアが手に入らないのであれば、それを作った人間を手に入れろ!同じものを作らせろ!」
オールバックの男は立ち上がり、頭を下げて部屋を出て行った。
入れ替わりに入ってくるはずの美女を、キョロキョロと待ったツァイであったが、この夜はスイートルームにツァイだけが残される夜となった。
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1週間以内の帰国を指示されてから3日間が経過したチェンは、今回の訪日で得た情報をまとめたり、エミお勧めの食事クレープを二人で食べに出かけたりしていた。
花楓が音頭を取ってくれ、チェンの帰国の2日前である明後日の夜に、横浜中華街で美咲も含めてみんなが集まって食事会をすることになっていた。
今回は仕事も終わり、美咲との距離も縮まったチェンは、前回とは違う喜びにあふれていた。前回は久しぶりに美咲に会える喜びと緊張が同居していたが、今回はもっといろいろな話を美咲としたい。美咲が何より大切にしている夫の悠太とも、もっといろいろ話をしたいと望んでいたし、それが出来る前提を持っていることに、強い喜びを感じていた。
いよいよ今夜、萬珍会議が開催される日の朝早く、チェンは目を覚まして早朝の蒲田を散歩していた。昨夜の酒や誰かがこぼした愚痴の悪臭がまだ残る時間。
新しい太陽光が、これらを綺麗に浄化していくような景色を歩くのがチェンは好きだった。
そんな昨夜が、すっかり今日に上塗りされた午前10時過ぎ、首相官邸の地下空間にあるCCCではNSSだけではなく、厚労省、防衛省、外務省から担当者が選任されて、NSSの職員と日本国内全体のデータ通信の監視を行っていた。
当然のように自分のテリトリーから出てこない光也は、CCCがある首相官邸の道路の向こう側にある、合同庁舎8号館の自分のデスクで、自分のやり方で監視活動を行っていた。
光也のモニターが派手にアラートを表示し始め、キーボードをしばらく叩いていたが、首をひねりながらヘッドセットのボタンを押した。
「アリシア。CCCのメンバーにつないで、僕のアラート状況を共有」
「光也さん、音声チャットON。共有完了です」
光也のヘッドセットから紗耶香の声。
「なんですかこれ?映像フローの統計ダンプ?これ、まさか……警視庁の監視カメラシステムのライブアクセスログですか?」
光也は自分のモニターに映るグラフ群の一つを操作した。
「そうなんだよねぇ。こないだ、防衛省の回線がやられたじゃん?あのあとさぁ、軍が狙われたなら警察もヤバくね?と思って、念のため全国の警察関係のネットワークにもパッシブ監視用のトラップを仕掛けたんだよ。紗耶香ちゃんの好きな『トリップワイヤ』だけどね、今回のはトリガーじゃなくって、アクセスパターンの統計異常値だけを警告する軽い設定のヤツだから、そこにいる新チームとの共有はしていなかったんだけどね」
光也は一つの映像ログを拡大表示する。時間と共に、全国各地の監視カメラのアクセス回数の増加から、東京都の一部と神奈川県の一部への集中にシフトしている結果を表示している。
「これ見てよ。何かを探して全国各地を走り回っていたけれど、だんだんとターゲットに向けて絞り込んでいっているような、気持ち悪い感じが見て取れない?このログの揺れは、人間が手動で追跡しているような動きだよね……」
CCCに詰めているメンバーがざわつき始めた。光也は静かに続けた。
「普通の警察の捜査で、こんなやり方しない。捜査令状のログも出てない。監視対象が誰かも、警視庁側のデータベースには履歴なし。けど……見てて気持ち悪いのは、このアクセスの推移がね、だんだんと何かに迫っている感じがしてならないんだよね……何に迫っているのか……みんなにはわかるかなぁ?」
モニターには、地図上に回数が多ければ赤く、少なければ青く映し出されるアクセスログが、時間と共に収縮していき、東京23区内と神奈川県の一部に絞られてきている様子を映し出していた。
「僕が見た限り、明確な『顔認識照合』は使われてない。つまり、顔が分かっている人物を探しているのではなくって、映像から見つけ出そうとしてるんじゃないかな。録画を遡らず、ライブカメラに限定してるってのも奇妙。これって警視庁の誰かが本気で個人を追ってるか、あるいは……もっと別の何かが警視庁内部からアクセスしてる可能性がある」
紗耶香が一拍おいてから問う。
「つまり……エキドナの関与を疑っている?」
光也は肩をすくめた。
「断言はできないけど、彼らならやるだろうなとは思う。この手口だって、僕じゃなければ気が付かなかったでしょ?普通の範囲内に収まる異常?」
音声チャットを聞いていた冴子が、ドアを壊す勢いで光也がいる介入班室に入ってきた。光也のモニターに映っている地図を見ている冴子の表情は、どんどん危険を確信したものに変わっていった。
冴子はスマホを取り出すと、即座に番号を打ち込み発信ボタンをタップした。




