【第4章 うごく 第36話 ことが動くときはだいたいが雪崩のように連鎖する】
「富岳」というタブを眺めたチェンは「あ?!」とつぶやき、今回日本に来てからの思考をまとめている、ジートゥのファイルを開いた。
「次から次へと色々あったから、まだ中途半端な調査が残っていた」
チェンはしばらく目をつぶって考えをまとめ、直後ホテルの部屋を出て行った。
スマホで乗り換え情報を確認しながら、チェンが着いたのは霞が関にある合同庁舎第7号館。名刺入れの中から「鈴木風香」という日本人の名前と「フリージャーナリスト」という肩書が入った名刺を受付に出した。
「わたくしフリージャーナリストの鈴木と申します。京都大学の宇宙物理学分野事務室の依頼で『小学生でもわかる宇宙とスーパーコンピューター』という小冊子の取材をしております。スーパーコンピューターが人間の為にどんな活躍をしているのか?という冊子なのですが、宇宙物理学という難しい事だけではなく、もっと身近な計算の例として、文部科学省が行った「ワクチンの製造工場と感染拡大の関係」というプロジェクトについて、お話を伺いたくお邪魔しました。締め切りが3日後に迫った中で、このプロジェクトを知ったので、お約束をお願いする時間が無く飛び込みでお伺いしてしまったのですが、このプロジェクトについてお話をお伺いする事は可能でしょうか?霞が関統括室という部門でのプロジェクトであると、理研からお伺いしているのですが」
美咲が相手でなければ、チェンの嘘はスムーズでまことしやかに聞こえる。
受付の担当者は、内線電話でどこかに電話をした後で、しばらくお待ちくださいと鈴木風香に告げた。
10分くらい待っていると、40代くらいの男性が少し落ち着きがない様子で降りてきた。
チェンが鈴木風香の名刺を出すと、片手で受け取りその男性は口頭で自己紹介をした。
「霞が関統括室の室長薮田と申します。富岳を使ったプロジェクトの事で取材とお聞きしましたが?」
チェンは目いっぱいの笑顔で言った。
「はい。お忙しいところ、わざわざ室長の薮田様に直接足を運ばせてしまい申し訳ございません。京都大学が小学生向けに小冊子を作っておられるのですが、その中にスーパーコンピューターの活躍として、文部科学省様のプロジェクトを簡単にご紹介したいと存じまして――」
チェンの言葉を遮るように薮田が言った。
「悪いですけど、あのプロジェクトは途中で中止となりましたので、ご紹介できる形では何も残っていないのです。すみませんが、そういうことで」
もう帰れと言わんばかりの態度を示す薮田にチェンが聞いた。
「そうですか、それは残念です。もともとは何を目的にしたプロジェクトだったのですか?文部科学省様ですので、ぜひ小学生の皆さんにもご紹介したかったのですが」
「ですから、中止になったプロジェクトですので、何もお話しできることは無いのです。すみませんが、このあと会議があるので」
薮田はチェンに物申させない勢いで、背中を向けてエレベーターに向かっていった。
その様子を見ていた受付に頭を下げて、チェンは中央合同庁舎第7号館を出た。
「富岳を管理している省庁だからとはいえ、フルノードで演算させた挙句、プロジェクト中止で話せることは何もない……は無いわよね」
ホテルに戻ったチェンは、この霞が関統括室の室長薮田という人物について知りたかった。明らかに何かを隠しているけれど、わざわざ受付まで出てきたという矛盾が気になっていた。
だが閃電白虎に調べてもらうにしても、いったい薮田室長の何を自分が知りたがっているのかを自分で把握できていない。だから依頼の出しようがない。
チェンはジートゥの「RNAワクチン設計部」「アリシア」「富岳」と三つのタグをぼんやり見ながら頭を整理していた。
もしも……アリシアが自分で考えて行動するのだとすれば……
チェンは閃電白虎ではなく、ワンにメールを送信した。
「ワン警護官。自分の思考が壁にぶつかっているのですが、文部科学省が富岳に依頼したプロジェクトの担当部署の室長にインタビューした結果、中止になったので話す事は何もないと追い返されました。どうも何かを隠している様子は見て取れますが、この室長の何を調べたらよいのか見当が付きません。私の中では、国立感染症研究所のRNAワクチン設計部、アリシア、富岳を使った文部科学省の中止になったプロジェクト。この三つの関係が、絡まった糸のように見えています。私はどこから解すべきなのでしょうか?」
――こんなとりとめもない愚痴を送られても、ワン警護官も困るだけよね……
翌日の朝、ワンからチェンへのメールが届いた。
「チェン、ご苦労様だった。一度帰国せよ」
チェンは驚いて返信を送った。
「昨日のメールは失礼いたしました。緊急の案件ですか?」
「緊急という訳ではないので、無理に急ぐことは無いが、チェンが成すべきは一応片が付いたので、日本の友人などに挨拶をしてからでよい。1週間程度でホテルも引き払い帰国するように」
ますます訳が分からないチェンに、閃電白虎からメッセージが届いた。
「チェン同士。ワン警護官からの依頼についてのご報告です。ワン警護官の読み通り、チェン同士が目を付けた、文部科学省の中止となったプロジェクトである、ワクチン製造拠点とウイルス拡大の関係という、富岳のフルノードを使った緊急演算の同日、アリシアを運用するエリシオン社のWEBサイトには、アリシアがすべての通信をダウンしているトラブルが起こっていること。だが通信が行われていないため、データ漏洩は無いということ。その数時間後に、復旧プロンプトが実行されており、その日の夜には復旧するという案内があったことを突き止めました。以前探った電力会社の電力消費量データと状況を合わせた時に、アリシアの通信トラブルが始まった同時刻に、富岳の消費電力からフルノードでの演算が開始されたという事実。アリシア復旧の時刻と同時に富岳の演算も終了した事実を把握。よってアリシアと富岳の行動は同期していたという可能性が高いという推測にたどり着きました。また、その数日前には南アフリカより日本にMORSウイルスのガンマ株が研究用に送られたことも把握。これは国立感染症研究所の村山庁舎にあるRNAワクチン設計部が受け入れ主体となります。ワン警護官はこれらのつながりは、チェン同士が予測したとおりにつながっていると判断。我々としましても、RNAワクチン設計部がガンマ株の解析から何かを把握し、そのデータをもとに、アリシアと富岳が協業。つまりプロテオブロックの設計は、国立感染症研究所とアリシア、富岳の共同設計であるという流れが最も可能性が高いと考察を終えました。チェン同士には、心から尊敬の念をお送りします」
チェンは自分が解せなかった糸を、ワンが解して閃電白虎に確認させた事実を把握した。
「いやいや。私は何もできていなかったし……私の周りはあまりにも能力が高い人たちが溢れている……」
チェンは冷蔵庫から、冷たく冷えたペットボトルのミルクティーを取り出して飲んだ。
それと同時に美咲にSNSメッセージを書いた。
「美咲さん。1週間後の帰国命令が出ました。できればもう一度、エミや花楓さんと一緒に、みんなで楽しい時間を過ごしたいです。いろいろとお礼も言いたいので、前向きにご検討お願いします」
チェンは自分の力ではなかったが、それでも強い達成感をもって、安堵の笑顔を浮かべながら送信ボタンをタップした。




