【第4章 うごく 第32話 成長した異質と友となる手立て】
蒲田のホテルに戻ったチェンは、しばらく考えていたが、美咲と悠太の笑顔を思い出し、勇気を出してワンに音声通信をかけた。
「チェン。どうした?」
「ワン警護官。アリシアの設計者は私が日本の小学校で、共産主義国人といじめられていた時に、自分の足で立って歩けと私を助けてくれた、私の恩人でした。本人から直接聞いてきました。私は祖国の為であっても、彼女を危険にさらすことは出来ません。そんな私に彼女は言いました。あなたの上司はそんなに信用できない人物なのか?と。なので私は今、自分が知り得た事実をワン警護官にお伝えしています。彼女はアリシアを作ったのは自分であるけれど、プロテオブロックを作ったのは自分でないので、自分の口から何かを言うことはできない。それは自分の足で歩いて探せと言いました。私の知り得たことは以上です」
チェンは何かにすがりたい気分で、ワンの言葉を待った。
「チェン。色々と了解した。恩人の言うように、チェンは当初の目的通りに、自分の頭脳とその足で、プロテオブロックの設計者を探せ。私に本当のことを伝えてくれた勇気と信頼に、感謝を述べる」
チェンの瞳から、またしても大粒の涙が零れ落ちた。
夜も更け、静寂と暗闇が中南海を包み込んでいた。主席執務室内では、リウ主席とワン警護官が、ソファで向かい合って座り、白酒の注がれたロックグラスを手にしていた。
「という訳で主席。アリシアAIを作った人物は、何の因果かわかりませんがチェンにとっての恩人だったようです。閃電白虎にチェンの過去や当時のデータをあたらせました。結果としてこれらの情報の入り口ドアはオープンでした。我々はそのドアに気が付かなかっただけであり、このアリシアシステムの制作者が黒田美咲という女子高生であり、現在は安田美咲という医師であることは確定情報です」
リウ主席は、ワンがこの話を始めた瞬間からずっと、子どもがカブトムシを見つけた時のような、キラキラした笑顔を隠していなかった。
「ワン。閃電白虎からの報告やお前の推理。挙句にはチェン同志との関係性。これらを考えた時に、アリシアシステムを単純にAIと括るのは、そろそろやめた方が良いのではないか?」
ワンは珍しく眉毛を上げて言った。
「言語処理型AI、それ以外に分類があるというのですか?」
「ある。生成AIでもLLMでもない。アリシアというものは成長した異質なのではないか?」
「異質?と申しますと?」
「世界中がMORSウイルスの感染拡大に打ち勝つことができない中で、個人が高校生の時に作ったAIが、MORSウイルスの侵入を止めて、国家インフラの中核となった。信じられるか?さらにお前の読みが正しければ、我々のこれだけの規模の世界一路構想を、一度完全に止めたんだぞ?一人の女子高校生がだぞ?すごくないか?」
語っている内容とは正反対な、これ以上ない笑顔のリウ。
「たしかに」
「だろう?だが、それが現実だ。医学生になった彼女は、ネット上の医学情報を自動収集し、分類・学習させる機能を加えた。そこに協力したのが、安田悠太。高校生のプログラマーだ。アリシアは最初、彼ら2人との会話だけで育てられた。外部のSNSやノイズのある言語を学ぶことなく、IQの高い2人の厳選された言語空間だけで言葉の意味と論理を鍛えられた」
「つまり、初期学習データが異常にクリーンかつ狭かった……」
「そう。大量の雑多なコーパスではなく、一点特化型の知性がそこに生まれた。しかもその全領域は医学。インプットされ続けたのは論文、知識、そして問いかけ……それに応答するという一点だけで進化した存在だ」
「まるで、手製の神経回路を持った思考機械ですね」
「だから、アリシアの言葉遣いは異常なんだ。どこか人間に近く、しかしどこか人間とは違う。大量の人と対話したのは、その後だ。買収された後、エリシオン社によって資金が注ぎ込まれ、日本中の病院と接続された。MORS対策としてそれまでとは比較にならない資金が日本国家から注がれ、全官公庁とも接続された」
「LLMのように見えるのは結果であり、出自はまったく異なる……」
「そう。だから注意しろ、ワン。それはもうAIではない。黒田と安田の人格を鏡に映した知性の変異体。私にはそう見える」
「……了解しました。では、白虎には私の読みである、プロテオブロックはその知性の変異が、つまりアリシアが設計をしたという流れをメインストリームとして、あらゆる方向からハッキングを仕掛けさせます。我々が求める人類の恒久的安寧を邪魔する障壁がアリシアであると仮定して」
「それがいい。強敵が最良の友になることはよくある話だ。そのためにはまず相手を知ることからだな。相手を知るには招いて腹を割って話す必要がある。チェン同志には別ルートでアリシアを招く手段を当たらせればよい。私が欲するのはチェン同志の恩人ではなく、プロテオブロックの開発経緯だ。それがアリシアだというのであれば、我々の技術でそれを上回る知性の変異体を作り上げるまでだ」
リウ主席は、消えない笑顔のままで、ロックグラスをワンに向け、一気に飲み干した。




