【第4章 うごく 第30話 自分がコントロールできるのは自分の発言と行動だけ】
ワンとの電話で、中南海で行われたアリシアAIに関する会議の内容を聞いていたチェンは、必死で自分の脳内を整理していた。
ワンは話のまとめに入っていた。
「という訳でね、チェン。私はこのアリシアがあたかも人間のようなゼロイチ、つまり自分でどうにかしようと考えて、プロテオブロックを設計したのではないか?と疑っているのだよ」
「すみません、ワン警護官。理解が及びません」
「チェンは専門家ではないから仕方がない。私も然りだが。近年社会で騒がれているAIとは、LLM、つまり大規模言語モデルといわれているものだ。途方もなくたくさんの文章から言葉を学んでいくものだ。チェンに閃電白虎が入手した、このAIの基礎を作ったと思えるデータの極一部、音声ファイルを送る。こう言ったやり取りの中から、とてもじゃないが大規模とは言えない言葉のやり取りから作り上げられたAIである可能性を感じてほしい。基礎設計がな、あまりにも個人的な目的で作られ、その個人との膨大な時間の会話で作り上げられたシステム、AI。これがアリシアというものだと予想している。チェンも大きな想像力でこの音声データを聞いてみてくれ」
「とにかく、理解が及ぶように善処いたします。そのうえで今後の動向を考えます」
「うむ。それではな」
ワンは通話を切った。
チェンは大きなため息をついた。
ワンから送られてきたWAVファイルを目の前にして、気が付くと背中に汗が一筋流れ落ちていく。
「……目の前にある一つの答えを、知るのが本当に怖い……」
チェンは鎌倉で美咲から聞いたアリシアの話を思い返していた。
「でも、もしよ?もしもアリシアを設計したのが美咲さんだったとしても、プロテオブロックを開発したのがアリシアと断定されたわけではないし、もしそうだったとしても、美咲さんがプロテオブロックを設計した訳ではない。私が恐れる事なんて何もない……はず……」
チェンはスマホの再生ボタンに触れる直前に指を引いた。
「でも、もしよ?アリシアの設計者が美咲さんだったとしたら、私はそれを報告できるの?報告したのであれば、その後美咲さんに何が起こるの?それを私が確かめる方法はあるの?」
チェンはスマホを放り出し、ベッドの上にドサッと仰向けに倒れ込んだ。
「私は愛する祖国が実行しようとしている、地球上の人類全体を幸せに導く道と、私を助けてくれた、とてもとても大切な日本人女性と、どちらかを選ばなくてはならないの?」
チェンの瞳から、大粒の涙が流れだした。
心が押しつぶされそうな不安から、ひとしきり泣いたチェンは、音声再生アプリを閉じて美咲にSNSメッセージを送った。
「美咲さん。とても重要で大切なご相談があります。美咲さんのアドバイスが欲しいです」
そのままチェンは、ベッドの上で眠りに落ちた。久しぶりに夢で、あの日、幼児舎で美咲に胸ぐらをつかまれている光景を見た。
「共産主義国人とか日本人とか、黒人とか白人とか、そんな事はどうでもいいの。問題なのはあなたかそれ以外か。わたしかそれ以外か。それだけ。あなたはあなたを認めて、自分の足で立ち、自分の足で歩き始めなさい。自分から始めなければ、誰もあなたを認めない。あなたはあなたを承認してスタートラインに立ちなさい!」
スマホの振動で目を覚ましたチェン。スマホには美咲からのSNSメッセージが届いていた。
「深刻そうね。今夜の方が良さそうね。心配事を抱えたままではゆっくり眠る事もできないからね。私の家に来る?」
チェンはメッセージを読んでいる途中から、またしても大粒の涙がとめどなく流れ始めていた。
自宅の玄関先で目が腫れたチェンを見た美咲は、何かしらの状況の深刻さを把握した。
「さあ、上がって」
美咲に教えてもらった住所を頼りに、美咲たちが住むマンションのダイニングに進んだチェンは、促されるままにダイニングチェアに座った。
チェンは言葉を選ぶ為の無言の時間を過ごした後で、小さな弱弱しい声で話し始めた。
「私の仕事を進める中で、どちらかを選ばなくてはならない状態に陥ってしまいました。どちらも私にとっては大切なものです。どちらかを選ぶなんて私にはできない。そう思っています。美咲さんであれば、こんな時にどう考え、どう行動しますか?」
「情報が少なすぎて答えにくいけれど、情報が少ないこと自体も情報だと認知するわね」
心配そうな顔つきで、悠太が温かいコーヒーを美咲とチェンの前に置いた。
「悠太君も座って」
美咲が視線をチェンからそらさずに言った。
「でも……チェンさんは僕がいない方が……」
美咲はキリッとした視線を悠太に向けた。
「わたし悠太君に隠し事はしないから」
うなずいて悠太は美咲の隣に座った。美咲は視線をチェンに戻して言った。
「チェンさん。私はどんな時でも結果をコントロールしようとしない。自分の都合の良い所に物事を動かそうとはしない。私がコントロールできるのは私の発言と行動だけ。だから私は、私に正直に生きることを心がけている。悠太君。私はそう生きられているかしら?」
悠太は少し微笑みながら言った。
「うん。それ以外ないね」
「よかった。チェンさん。私があなたであれば、その双方のカードに自分が置かれている状況を説明する。誤解が無いように、しっかりと伝える。そのうえでその双方のカードがどのような反応をするのかを知る。そうするとね、ほとんどの場合自分が選ぶべき道は自然と見えてくる。チェンさんは今、チェンさんの視界だけで解釈して判断している。確かに私もね、私が全てで他は関係ないと思っている。でもそれと同時に、世界は私がコントロールできないし、するべきでもないと認識している。行動を起こすことによって選べる道が減っていき、残された道がチェンさんにとって、幸せで安寧な道である保証はないけれど、時に戦ったり、時に他の誰かに協力を求めたりして、残された道を自分ができる限り正直に歩んでいく。そんなやり方が私の生き方」
うつむいたチェンは、またしても大粒の涙をこぼしていた。
チェンはふと頭に小さな温かみを感じて顔を上げると、気付かぬ間に隣に座った翔子が、チェンの頭に手を置いていた。
「だれだとおもっているの?ちぇんさんなんだから、しんぱいはいらないわよ」
小さな美咲といえるその笑顔に、ますますチェンの瞳から涙が零れ落ちた。心配そうな表情で悠太が言った。
「チェンさん。僕らはチェンさんに何が起こっているのか知る由もないけれど、チェンさんの人生だから、チェンさんが良かれと思う道を選んで歩くしか方法がないんだ。少なくとも僕や美咲ちゃんは、チェンさんの味方だ。だから何ができる訳でもないけれど、味方が二人いることは忘れないでね」
翔子が驚いた顔で悠太に抗議した。
「わたしだって、もう、しょうがくせいなんだから。ちぇんさんのみかたになってあげられるんだからね」
「ごめんごめん。チェンさんの味方は三人いたね」
翔子は笑顔を取り戻した。




