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【第3章 みちびく 第21話 奇跡が起こった横浜の夜】

 翌日の朝、まさに遠足の前の子どものように早く起きてしまったチェン。夕方までの時間がもったいないとは考えたが、全く仕事が進まない。


 もうあきらめようと開き直って散歩に出かける準備をしていた時にスマホが振動し、閃電白虎からの通知を知らせた。


「チェン同士。最終確認は行っていませんが、我々が把握している情報を先行してお伝えします。富岳を利用するためには1年くらい前から申し込みを行うのですが、競争倍率は20倍程度と言われています。富岳の管轄は文部科学省が所管する理化学研究所であるため、どちらかと言えば学術的意味合いでの公共利益をもたらす研究である方が、審査に通りやすいようです。一般的にはスケジュールまでにデータを理化学研究所に送り、理化学研究所の職員が実行する。つまり依頼者は神戸にはいかない場合がほとんどのようです」


――まあ、予想通り知っておいた方が良いけれど、知っても道が開けるわけでもないわね……

 チェンはハンガーにぶら下げた、昨日買った洋服を眺めながらつぶやいた。


 夕方、少し早めに元町中華街駅に降り立ったチェンは、やや西日に傾いた中華街をブラブラと散策していた。


 約束の10分前に萬珍楼本店が見えてくると、入り口でエミが待っていてくれた。

「ジュジュ」


 エミは笑顔で手を振ってくれた。チェンも笑顔になり、手を振って小走りにエミの元に駆け寄った。

「久しぶりだね、エミ。もうね、昨日の夜から仕事が手につかなかった。楽しみでね」


 チェンは、はにかんだような笑顔を見せて言った。

「なあに?久しぶりに彼氏にでも会うみたいね」

 エミは笑って返した。


 店内をエミに並んで歩いていると、エミが小さな声で言った。

「わかっているとは思うけれど、美咲さんがジュジュのこと覚えていなくても、あんまりガッカリしないでね。あの人、そういうところ本当にダメな人だから。相当深く関係した人でも、記憶に残さないというかなんというか……」


 エミは心配そうな表情をチェンに向けた。

「うん、大丈夫。私が勝手に美咲さんにあこがれているだけだから」

 チェンは精一杯の笑顔で返した。


 個室に入ると、そこにはすでに花楓、篤、健治が座っていた。そして花楓の隣に美咲が座っており、その隣には悠太がいた。


 入り口に立っているチェンに気が付いた花楓は、大きく手を振った。

「ジュジュ、元気にしてた?って、どうしたのよ?」


 その部屋にいた全員が視線を入り口に向けると、そこには涙をこらえきれずにいるチェンがいた。


 後ろから肩を抱くようにエミがチェンを個室内に誘導して、美咲の前に連れて進んだ。

「美咲さん。チェンロウちゃんです。幼児舎の時に美咲さんに声をかけてもらって、それ以来、美咲さんにずっと憧れてきた娘です。覚えていないかもしれませんが、今日会えるのを、すっごく楽しみにしていたそうです」


 チェンの余りの感激に、エミも少しもらい涙を浮かべていた。


 チェンは勇気を振り絞るような表情で、美咲を見つめた。

「美咲さん。私はあなたに勇気をもらいました。なんか、言葉が出てきませんけれど、お会いできるのを楽しみにしていました」


「美咲はどうせ覚えてないでしょ?あんたが幼児舎の時にね、偶然通りかかった下級生の教室でね――」


 美咲は花楓の言葉を遮るように立ち上がって、チェンを抱きしめた。

「それがね、覚えているのよ。チェンさんのことは。久しぶりね。色々聞かせてね」


 美咲の静かだが力強い声に、チェンは大きく泣きだした。

 それを見ていた悠太は美咲に言った。

「美咲ちゃん。僕の席に座ってよ。僕は一つずれるから、チェンさんは美咲ちゃんが座っていた席に座ればいいよ。色々話したい事もあるでしょ?」

 チェンは美咲に促されるように、今まで美咲が座っていた席に座り、花楓と美咲に挟まれる形になった。


 場が落ち着くと、花楓が立ち上がった。

「さあ。今日も楽しく過ごしましょう。今日はジュジュも来てくれたし、何より美咲がジュジュのことを覚えているなんて奇跡が起こった夜。準備は良いかしら?じゃあ、乾杯!」

 参加者全員が、グラスを持ち上げて「乾杯!」と声を合わせた。


 料理が運ばれてくる間、みんなはそれぞれ会話を弾ませていた。

 美咲は隣に座ったチェンと話し始めた。

「お仕事で日本に来ているの?共産主義国の商社で働いているって聞いたけれど」

 チェンは少し曇った表情を浮かべた。


――ああ、美咲さんに嘘は言いたくない。けど……

「今回の訪日は、政府関係の仕事で来ています」


 チェンは政府職員であるとは言わなかったが、明らかな嘘ではない言い方で自分を納得させた。

「あら、色々幅広く動いているのね。実は私もね、少し前まで政府の仕事をしていたのよ。医者だからね、厚生労働省に出向という形でね。いまはもう違うけれど、政府の仕事ってのは守秘義務やら手順が面倒やらで、ストレスが多いわよね」


 美咲は笑って見せた。

「そうだったんですね。お子さんも生まれたと聞きました。旦那様も優しい方ですね。隣に座らせてもらって、すごく感謝です」


「それはそうよ。だって悠太君だもん」


 話が聞こえた悠太は、自分のスマホを取り出して、翔子と美咲が写っている一番のお気に入りの写真をチェンに見せた。

「チェンさん。これが娘の翔子です。小学生になりました。本人の希望で、美咲ちゃんやチェンさんとは違い、公立小学校です。言葉使いがほぼ美咲ちゃんであるという、見た目とのバランスがあまりにもとれていない、すごく可愛い娘です」


 チェンは悠太のスマホを手にして、写真に見入った。

「……やっぱりかわいいですね。美咲さんの娘さんなら、そうなりますよね」


 そういいながらスマホを美咲経由で悠太に返した。

「それはそうよ。だって私と悠太君の子どもだもん」


 太陽は東から登るような言い方で説明する美咲を見て、チェンと花楓は大笑いした。

 料理が回転テーブルの上に乗せられて、悠太は美咲とチェンの分を取り分けて言った。

「チェンさんは好き嫌い無いですか?共産主義国には回転テーブルは無いって聞きましたけど」


「いえ、悠太さん。共産主義国では庶民の定食屋のようなお店以外では、どこにでも、何なら一般家庭にも回転テーブルはあります。発祥の地が日本だってだけで、共産主義国はレタスのチャーハンとか、世界のあたりまえをどんどん飲み込んでいく民族の集まりと言えますね」


「そうだったんですね。共産主義国の人は、回転テーブルが日本発祥だということは知っているのですか?」


「ほとんどの人が知っていますね」


 その話を聞いていた健治が言った。

「どこぞの国は、ソメイヨシノ桜まで自国発祥だとか言い張るけれど、共産主義国はそういう発想は無いんですか?」


 チェンは少し苦い顔をして答えた。

「ははは。まあ、色々お国柄ってありますね。共産主義国は自分たちで発明したということにはあまりこだわりを持たないといいますか……それが悪い方に現れるのが、コピー商品ですね。あの時計と同じデザインで、正確性も劣っていないのに、価格は10分の1だなんて、どうだ!すごいだろ!的な価値観がちらほら見えます」


 篤がエミの分の料理を取り分けながら言った。

「ああ、それさぁ、日本でも大阪ってその風味があるよね。安いことを誇るというか」


 うなずきながらチェンが言った。

「大陸的な思考と言いますか、共産主義国はとてもたくさんの民族の集団なので、細かいところは気にしないで商売繁盛これ幸せのような、結果重視な考えがあるんですよね。そういう点では、商人の町であった大阪は、少し近いのかもしれませんね」


 みんなの手元に料理が行き届いたのを見届けた花楓が言った。

「じゃあ、普段は話が聞けないから。ジュジュ、今はどんな暮らしをしているの?どんな仕事をしているの?」


 一瞬だけ表情を曇らせたチェンを見て、悠太が手を上げた。

「じゃあ僕から。僕が高校2年生の時に、花楓さん発、篤経由で、美咲ちゃんが開発した簡易テスト作成アプリに、ディープラーニング機能を搭載したいと相談されたのがきっかけで、お付き合いが始まりました」


 全員一瞬シーンと静寂になり、一気に笑い声が広がった。

「聞いてないよ!」「知ってるよ!」


 真顔な悠太が言った。

「だって、チェンさんが大ファンでいてくれ続けている黒田美咲ちゃんが、どうやって安田美咲になって、翔子のお母さんになったのか、知りたいでしょ?僕らがチェンさんの今を知らないように、チェンさんも僕らの今を知らない訳だから」


 隣で美咲が顔を赤くして、つま先で床をトントン叩いて言った。

「悠太君ったら……でも翔子を作った時の話は……ちょっとだけ恥ずかしいなぁ……」


 悠太は毅然とした態度で言った。

「そこは言わないから」


 またしても場内は笑い声に包まれた。


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