【第2章 すすむ 第17話 抜けたカギ、隠された扉】
朝6時過ぎのCCC。SEが声を上げた。
「清水副係長、脅威対象が撤退していきます。足跡を消しながら」
「相手の足跡は保存しているよな?」
「撤退時の足跡は、きれいに消されていますが、進入時の足跡は保存してあります」
「了解。さてさて……」
腕を組んでいる清水を横目に、紗耶香はヘッドセットに向かって言った。
「アリシア、サイバー班につないで」
「紗耶香、どうぞ」
「サイバー攻撃対策係の皆さん、ご苦労様でした。ある程度、相手の目星も付けられました」
「了解です、向上係長。我々としては、製薬会社のデータはほぼブロックをかけられました。我々が介入するまでの時間で、どのくらいのデータが抜き取られたかについて現在は不明ですが、今日中にまとめられると思います」
「ありがとうね。さすが守らせたら天下一品ね」
「お褒め頂きありがとうございます」
紗耶香は自分のデスクに座って、ヘッドセットに向かって言った。
「さて、光也さん。どう思われます?」
「そうだね……僕は7時になったら、シベリアを買いに行かなければならないんだけど。富岳に狙いをつけていたとは驚きだね。何でだろう?」
関口SEが右手で後頭部を撫でながら言った。
「清水副係長。脅威対象が探していたワードとして『別送』というものがあったのですが……」
「え?別送か……みんな少ない人数でご苦労様なんだけど、悪いが関口SEと若林SEは、今日攻撃された製薬会社のサーバー内に『別送』という情報について検索をかけてくれないか?つながりが知りたい」
若林SEが振り向いた。
「皆さん、スクリーンを見てください。[治験申請として、薬効評価テストの申請文章(仮)]というテキストファイルの中に[富岳シミュレートにより臨床試験の短縮を許可するものである]という配下テキストがあります。この中に書かれた文章は、2行だけなのですが『詳細については、別送ファイルを確認されたい。厚生労働省からの省令の時限特例の成立および運用での対応となる』という文言が存在します。富岳と別送で『アンド検索』を実行すると、このファイルだけが提示されます。これを脅威対象が読んだとしたら、今回の行動に説明がつくのではないでしょうか?」
ヘッドセットの向こうで、光也が言った。
「なるほどね。つまり共産主義国でこのデータを見つけた。だから別送ファイルが欲しかったのと、富岳が何をしたのかを知る必要が出た。こんな感じかね」
紗耶香は腕を組んだ。
「だんだん迫ってきていますね。プロテオブロックの正体に」
清水が言った。
「でもしかし、なぜここまで日本国としてプロテオブロックの設計概要を隠匿する必要があるのでしょうか?」
光也が返した。
「僕あと五分で出かけちゃうからね。清水君の意見も分かるんだけどさ、アリシアってみんなが認知しているより頭が良いんだよね。まあ、僕ほどじゃないかもしれないけれど。しかも僕と違って、お願いは何でも聞いてくれちゃうんだ。世間的にはデータ集積システムと思われているけれど、まだ発生していないウイルスを無効にする薬を設計しちゃうくらい頭が良い。もう少し世界が落ち着くまではさぁ、アリシアが盗まれて、悪用されないようにしなくちゃならないからさ。だって冷静に考えてみてよ。ありえないでしょ?まだ存在していない病気を治す薬を作るとか。薬の副作用も回避したという、激強の運も持っているAIって」
静かで激しい夜が明けた。
**
朝の気持ちが良い公園で、カレーパンを食べたチェンは、近辺を15分ほど散歩をしてから、ホテルの自室に戻った。
閃電白虎のデータ抜き取り以外の私が進める道で、富岳を使ったシミュレーションで治験期間を短縮するなんてことが可能なのか?を調べるところからかしらね。
頭の中で手順をまとめたチェンは、10時過ぎにプロテオブロックの製造に関わったであろう製薬会社に電話をして、業務提携についてのアポイントメントを取った。
日本橋に本社がある製薬会社に向かったチェンは、会議室に通された。会議室には2名の男性と1名の女性がいた。
共産主義国の商社の名刺であいさつを終えたチェンは、席に座って話を始めた。
「本日は突然の時間をいただきありがとうございます。共産主義国内に『新民医薬科技』という製薬会社がございます。新民医薬科技は、資本金約6億人民元、日本円でおよそ120億円規模の中堅大手製薬会社です。創業は1992年、もとは地方都市で漢方薬局として立ち上がりましたが、現在では年間10本以上の新薬治験プロトコルを提出できる研究開発体制を整えております。主力は西洋医薬品ですが最も特徴的な点は、旧来の漢方理論を現代のケミカル創薬技術と融合させる研究開発体制です。特に免疫・代謝系の領域では、天然由来成分の作用機序をスーパーコンピューターで再解析し、標的分子に対する新たな治療アプローチを構築しつつあります。今回のご提案は、日本国内における技術創薬レベルでの協業が目的です。御社が過去に開発された化合物や臨床プロトコルに対して、新民医薬科技の生薬ライブラリおよび構造最適化エンジンを掛け合わせることで、互いの強みを活かした創薬が可能になると信じております」
チェンは笑顔で営業トークを続けた。チェンの本来の目的である、富岳での研究を引き出しやすくするために、共産主義国内のスーパーコンピューターにも一部触れる内容だった。
話を聞いていた、一番年配の女性が、テーブルの上に両手を載せた。
「チェンさん、日本語がとてもお上手ですね」
「はい。日本生まれの日本育ちです。本国ではカタコトと思われているかもしれませんね」
「なるほど。道理で。では言葉を選ばずにお話しさせていただきますね」
チェンは笑顔でうなずいた。
「正直なことを申し上げれば、日本人にとって、共産主義国の製薬会社が製造した薬というものについて、信頼できると認知させるまでは、いましばらくの時間が必要かと考えます。現状、我々のような立場にあるものは、共産主義国が工業や科学はもちろんのこと、医学においても世界の最先端を行く国であることは存じ上げております。しかし、まだ一般の日本人の中には、共産主義国で作ったものは粗悪品であるというイメージは払しょくされていないのが現実です。食器や工具などであれば、一部の粗悪品を買ってしまったとしても、大変安い価格と引き換えに、外れを引いたという言葉で笑って済ませられるでしょうが、薬となると話は別であると考えます。多少高価であっても、信頼できるものを選びたい。厚生労働省が、国ぐるみで動いた結果、最近ではジェネリックという言葉も浸透し、ある程度の範囲で受け入れる状況が見えますが、それでも、それすら懐疑的な日本人は一定数居ます。ここまでいかがお考えですか?」
チェンは一度大きくうなずいた。




