~第3幕~
クリスタルエデン本社に綺羅めくるまたマネージャーの新田が訪ねてきたのは報道の翌々日。新田が本社にやってきた翌日のこと。
彼女たちは最上階エリアにある応接室のソファーに腰掛ける。
「すいません……ご迷惑をおかけしました……」
めくるの声は一昨日の会見よりもさらに酷く掠れていた。
「ひどいな。手術の必要はあるのか?」
賢治は1番気になることを間髪入れず聞いた。彼の手元にはトレードマークのウィスキーがない。彼が真剣にこの場に応じていることを新田は察する。
「今は療養を医者から進められているので。私からお答えさせていただきますね。手術はこれ以上悪化することがなければ大丈夫です。ですが大声を張り上げたりするような真似は高い頻度でしないこと、やってもたまにと指示がありました」
賢治は顎に両手を深くあてる。
張り上げるような大声というのが難しいのは林萌香というキャラクターを演じゆくのに致命傷ではないだろうか……と普通の監督なら思うだろう。でも、彼は違う。それは次の問いで明らかになる。
「めくるさんはドロップアウトの林萌香を続けたくはないか?」
「!?」
「あの……言いづらいですが……本人は歌手業も続けられるならば続けたいのだという本心はあります。萌香役もやめたいワケじゃないですよ」
「ごめんな、優秀なマネージャーさん。俺は小さな声でもいい。本人の気持ちを本人の声で聴きたいんだよなぁ」
「……続けたい。歌手も萌香も」
彼女はポロポロと涙を零す。
その言葉に嘘偽りはない。
彼は思考を巡らせる。何か言えないかと。
ここでありきたりな発想を浮かばせるようではこの先もありきたりな光景しか見せてあげられないだろう。何かを言うべきなのではない。何かを思いつくべきなのだ。
女王様。俺はどうしたらいいのか?
ふとそんな言葉がでそうになる。いや、ここでそんなふざけたことを言うべきではない。でも、彼は彼女を救済したくて止まない心に駆られる――
「わかった。撮影はいくらでも遅らせよう。俺も萌香は君以外の誰にも渡したくない。ただ『MUGEN』を歌うのは……何かやり方があるはずだ。喉に負担のかからない歌い方とか。俺にできることを精一杯やらせてくれ」
「監督!!!」
めくるはさらに大粒の涙を零して賢治に抱きつく。
新田は微笑んでそれを見守る。
「萌香役は継続でお願いできるのですね?」
「ああ、今の俺はシラフ。男に二言はない」
この出来事はこの場に居合わせた伊達賢治と綺羅めくるたち、そしてあと1人を除いて誰も知ることのない彼らの歴史――
賢治はその翌日、クリスタルエデンと同じ都内に構える大手音楽レーベル本社を訪ねた。
「何しに来られたのですか?」
「顔馴染みのよしみだ。社長に会わせてくれ」
「まずは用件をハッキリさせなさい。それで約束できるものでもないですが」
賢治に応じるのはヴィベックス専務の山里、吉原やテレビ局各局とコネを持つ業界の重鎮と謳われる男。賢治と顔馴染みのよしみとは確かなことだが、だからと言って親交があるなんてこともない。
賢治と華崎は数年前に食事を共にしたことがあった。華崎に誘われての食事であったが、その直後に賢治が暴漢たちから暴行を受ける事件が発生した。以降は両社ともネガティブな印象を持ち続ける事となる。
もっとも賢治と華崎がどうなのかは置いておき。
山里が賢治を追っ払おうと対応に臨むなかで彼のスマホが鳴る。
彼は溜息をついて「会われてもいいそうですね」と席を立ち、賢治を案内することにした。
ヴィベックス本社の最上階近く。クリスタルエデン本社に負けないほど立派な応接室から東京の景色を賢治は眺める。だが、そこに酔いしれる時間もなく彼女はやってきた。
「今日は相棒がいないのね?」
「傑のことか? アイツは忙しくてなぁ」
「違うわよ。いつも手に持っているヤツ」
「ああ、今日は飲みながら話したくないもので」
「いつもそうしたら? イメージアップするかもよ?」
「別に好感度なんかいらないさ。今の俺なんかにはね」
「それで。ご用件はなんでしょうか? 伊達社長さん」
華崎鮎美。ヴィベックス代表取締役社長を務める元大物歌手。90年代に一世風靡の大活躍をしていたが、とあるスキャンダルで歌手業を引退する事になる。それから所属事務所の社長となったのだが、その事務所を大楽業界でトップだと謳われるものにまで成長させた。山里以上に業界の重鎮とされる存在だ。
「あるコに喉に負担のかからない歌い方を教えて欲しい」
「あら? 綺羅めくるさんのこと?」
「そうだな。俺の事務所のコじゃないから俺から名前はださないでおくよ」
「ふふ、意外と律儀ね。ボランティアか何かでそれをしろと?」
「いいや。まぁ見返りはあるさ。お金よりもっと魅力的な形で」
「何かしら?」
「映画を作ってあげよう。アナタの映画を」
華崎は目を丸くする。
それは密かに彼女がやってみたいと思っていた事だから――